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武蔵境駅
三鷹
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出雲松江藩の屋敷奉行の境本氏がご用屋敷のあった場所を幕府より貰い受け、境新田開発に努めたことにより、「境」の地名が名付けられました。
杵築大社
徳川三代将軍家光公の従兄弟で、松平秀康の四男、出雲松江藩主松平出羽守直政公が幕府より12町四方を賜り、ご用屋敷を設けて、鷹狩りをしていたところです。直政公は屋敷内に、徳川幕府の繁栄と天下泰平を祈願し、出雲の杵築大社(今の出雲大社)と稲荷社を創建しました。以来、境村の鎮守となっています。松平氏ゆかりの神社のため神紋は三つ葉葵です。(武蔵野市境南町2−10)
栄見山観音院
松平出羽守直政公は下屋敷内の西方に観音堂を一宇を建立しました、万治2年(1659)の頃屋敷は引き払われましたが、跡地は境本氏により開拓され、出雲新田となり観音堂は継承発展し観音院となりました。(武蔵野市境南町2−4)