久能山東照宮
「我れ死後は遺骸を久能山に納め、葬儀は江戸増上寺で営み、位牌は三河大樹寺に立て起き、一周忌を過ぎてから下野日光に小さき堂を建て勧請し、関八州の鎮守にせよ」と遺言した。同月17日、家康は75年の波瀾に満ちた生涯を終えた。日光では貫主天海、造営奉行藤堂高虎らが廟地造営を行っていた。家康の神号は天海の主張した山王一実神道の「大権現」となり、久能山神廟に後水尾天皇より「東照大権現」の神号が勅賜されました。