台東区の史跡


平安時代以降、奥州街道の隅田川渡河地点という交通上の要衝となった。江戸時代は寛永寺の門前町として発達した上野と、日本一の繁華街として長く賑わった浅草寺周辺を、中心として今日まで庶民の町を形成している。
 江戸時代、上野公園は寛永寺の境内で総坪数が36万坪の樹木の茂った静かな森でした。今の大噴水の辺りは竹の台と言われ、根本中堂を中心とした多数の壮麗な堂塔が点在していました。また、東照宮を始め徳川将軍家の霊廟等と共に東叡山は江戸第一の霊場でした。幕末、慶應4年(1868)に彰義隊の戦いで上野の山は1日の戦乱で諸堂宇の殆どが焼失しました。
 明治6年に日本最初の公園として出発し、今日、都民に最も親しまれています。


 
開山堂
開山堂
 寛永寺の開山天海僧正を(慈眼大師)を祭る、慈恵大師を併祀しているところから、一般には両大師と言い う。
上野大仏
上野大仏
 関東大震災で倒壊した、大仏の頭部を祀る。
上野黒門
黒門
 元は上野寛永寺の正門であった。上野戦争の時に彰義隊はこの門を本陣として戦った。 円通寺住職が放置されていた戦死者を境内に葬った縁で、明治40年(1907)に現在地に移された。 今も弾痕の跡が多数残っている。
上野東照宮
上野東照宮
 縁起・元和2年(1616年)2月4日、見舞いの為に駿府城にいた藤堂高虎と天海僧正は、危篤の家康公の病床に呼ばれ神君より三人一処に末永く魂鎮まるところを造って欲しいと遺言をされた。そこで藤堂家の屋敷地であるこの上野の山に、寛永4年、1627年に東照宮を造営した。けれど三代将軍家光は、この建物に満足出来ず、慶安4年、江戸の象徴、金色殿として改築した。
不忍弁天堂
不忍弁天堂
 上野公園の隣にあり、かつての東京湾の名残です。江戸時代は池の周囲に水茶屋が並び町民の遊び場でした。不忍池弁天堂は寛永寺の境外祠堂で寛永年間(1624〜44)に常陸下館城主水谷伊勢守が中島を築き堂を建てて弁財天を祀ったのに始まります。現在の堂は昭和33年の再建です。
巖有院霊廟勅額門
巖有院
 四代将軍家綱の霊廟は権現造りの華麗な建物であったが、戦災で焼失し勅額門、水盤舎、宝燈を残すのみです。
清水観音堂
清水観音堂
 清水観音堂は京都清水寺の僧が清水寺に安置されていた千手観音を天海僧正に献じたことに起因し、 寛永8年(1631)清水寺にならい創建されました。
浅草寺
浅草寺
   推古天皇36年(628)宮古川(今の隅田川)で投網漁をしていた檜前浜成、竹成兄弟が、1寸8分の聖観音黄金像を引き上げ土師直中知が像を迎え私邸に寺として安置したのが寺の起こり。大化元年(645)、諸国巡錫中の勝海が堂宇を建立し、本尊を安置し、秘仏と定めてから今日まで秘仏を目拝したものはいないと言います。
 源頼朝、足利尊氏、北条氏康など武将の尊尊をうけ、徳川家康入府後は寺領500石を受け、幕府の祈願所となった。昭和20年戦災により二天門、伝法院を残して諸堂宇を焼失、昭和33年本堂、49年には五重塔を再建した。
浅草神社
浅草神社
    浅草寺本堂の北にある浅草寺の鎮守で江戸時代は三者権現と言われていました。祭神は檜前浜成、竹成兄弟、土師直中知で後に東照宮を合祀した。本殿、弊殿、拝殿は共に慶安2年(1649)三代将軍家光によって再建されたものです。この神社の祭礼が三社祭りで、江戸時代から江戸三大祭りとして盛んに行われています。

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