墨田区の史跡


 墨田区内は永万元年(1165)に桓武平氏の葛西三郎清重が鎌倉幕府の重臣として領していた、敬神崇祖の武将で所領地の上・下葛西領33郡を伊勢・香取両神宮に寄進し「葛西御厨」と言われた。
 江戸時代の向島地区は江戸へ供給する蔬菜を中心とした農業地帯であった。また、吉原に近く墨堤、花屋敷など江戸文化の中心地の1つであった。一方、本所・両国地区の開発は明暦の大火(1657)により両国橋が万治元年(1659)に完成し、大名、旗本の屋敷を代替地として与えたことに始まり、。

 
初代若乃花手形
手形
 両国駅の周辺は相撲関係のオブジェが多く、その一つに力士の手形があります。右下は初代若乃花の手形です。
国技館
国技館
 総武線両国駅北側に昭和60年、蔵前国技館から両国国技館に移転完成した。日本相撲協会の本拠地。
野見宿禰神社
野見宿禰神社
 相撲の神と言われる野見宿禰を祀る神社。初代高砂親方の尽力で明治17年(1884)に、もとの陸奥弘前藩津軽越中守上屋敷跡に建立された。境内には歴代横綱の石碑が二基並んでいる。
墨田区亀沢2-8-10
旧安田庭園
旧安田庭園
 元禄4年(1701)、下野足利藩本庄因幡守宗資が幕府から拝領した。その後、丹後宮津藩主松平伯耆守の下屋敷、安政年間隅田川の水を引いた潮入回遊式庭園として作園される。規模は大きくないが江戸名園である。明治になって安田善次郎の所有となり、大正11年(1922)に東京市に寄贈される。
東京百景
隅田公園
 江戸時代は水戸徳川家の下屋敷で小梅御殿と呼ばれていた。将軍家からこの地を拝領したのは元禄6年(1693)、三代藩主綱條公の時である。西は隅田川、南は北十間側に面し、現在の向島1丁目の大半を占め2万坪余りの面積であった。
 小石川本邸の別邸として従者の蔵奉行、水主、鷹匠の住まいとして使われ、また、船蔵や材木が置かれていた。
 明治になり水戸徳川家の本邸が置かれ、昭和6年に帝都復興計画により公園として開園した。 
隅田川七福神 文化元年(1804)に佐原鞠塢により向島の百花園が開かれ、ここに集まる太田南畝が中心に文人墨客たちが鞠塢の愛蔵する福禄寿を百花園に置き、三囲神社の恵比寿・大黒、弘福寺の布袋、長命寺の弁財天、白髭神社の寿老人、多聞寺の毘沙門天等の七福神を揃え、隅田川七福神として始めた。。
回向院
 明暦3年(1657)の明暦の大火の焼死者の冥福を祈るため、徳川家綱の命により創建。

区分地図