葛飾区の史跡


 平安中期、葛飾地方は桓武平氏の葛西三郎清重が鎌倉幕府の重臣として領していた、敬神崇祖の武将で所領地の大半を伊勢・香取両神宮に寄進した。区内に天祖神社、香取神社が多いのはこのためです。
 江戸時代は幕府の直轄地として、関東郡代の支配下に入りね米や蔬菜を江戸に供給した。

 

小菅御殿跡
(現小菅監獄)
 徳川吉宗が鹿狩りや鷹狩りの際に訪れた。徳川家重も度々訪れたが1742年に焼失以後御成はほとんどなく、御膳所に格下げされ1794年に取り払われた。
小菅1-35
しばられ地蔵(業平山南蔵院)  享保年間八代将軍徳川吉宗の時代、呉服問屋の手代が地蔵の前で昼寝をしている間に荷車の反物を盗まれました。大岡越前守忠相は地蔵を泥棒の所行を黙ってみていたので同罪として江戸市中を引き回しました。珍しさのあまり野次馬が集まりその中にいた盗賊団を一網打尽にしました。
 以来「しばられ地蔵」は盗難除け、厄除けの願いを聞いてくれる地蔵尊としてお願いする時は縛り、願いが叶えば縄解きする風習が生まれました。
東水元2−28
東京100景
水元公園
 昭和15年の紀元2,600年記念事業の1つとして計画された65万uの公園。公園の基礎となったのは小合溜井は幕府が江戸を水害から守るために紀州藩の土木技術者に命じて作らせた、治水事業の名残です。
東京100景
柴又の帝釈天
 寛永8年(1631)開創で正式には経栄山題経寺と言う、本尊が日蓮上人自彫の帝釈天板本尊を祀る。
柴又7-10
葛西城址  15世紀の半ばに関東管領上杉氏がこの地に葛西城を築き、守護代大石氏に5代にわたり守らせた。江戸時代に入り青戸御殿として再興され、鷹狩りなどの休息所となった。明暦3年(1657)の大火のため、江戸城が焼けたために建築資材として取り壊され、以後再興されることは無かった。
青戸7-28
普賢寺  治承4年(1180)、領主葛西清重が建立した真言宗の古刹、宝篋印塔は鎌倉後期の洋式を持ち都内最古のものである。
東堀切3-9
西光寺  嘉禄元年年(1225)、領主葛西清重が居館建立した天台宗の古刹
四つ木1-25
浄光寺(木下川薬師)  嘉承2年(849)伝教大師作の薬師如来像を本尊とし慈覚大師が創建の天台宗の古刹。徳川家の祈祷所・御膳所として庇護され、江戸名所として賑わった。境内には徳川家光の御手植えの松がある。
東四つ木1-5

区分地図