中央区の史跡


 慶長8年(1103)以降、中央区の大半が埋め立て工事により築かれ、蠣殻町から日本橋、新橋に至る地域が造成された。これから関西地方の商人達が多く集まり、江戸第一の商業地帯となった。

 
日本橋  慶長8年、海岸地帯の整備を行い、江戸前島と呼ばれていた豊嶋洲崎、が埋め立てられた、掘り割りの水路は計画的に埋め残し、このときに道三堀を延長し堀川(日本橋川)に日本橋が掛けられた。日本橋浜町から新橋付近まで埋め立て、受持ちの諸大名の出身地を地名とし、尾張町(銀座5丁目)、加賀町(銀座7丁目)、出雲町(銀座8丁目)などと命名した。
日本銀行
日本銀行本館
 江戸時代の金座跡に本館が建ち、辰野金吾博士の設計により、明治29年(1896)に竣工した。内外ともネオ・バロック様式にルメッサンス的意匠を加えている。
常磐橋門跡
常磐橋門跡
 古くは浅草口、追手口といって江戸五口の一つで警備が厳重で、寛永6年(1629)の構築であった。枡形の石材を一部用いて、常磐橋は日本で最初に架けられた洋式石橋でる。都内では小石川後楽園の円月橋、皇居石橋とここだけである。
両国橋
両国橋
 隅田川では千住大橋に次いで古い架設、両国橋は何度も流失と破損を経験したが、明治37年に鉄橋として現在の位置に移り、昭和11年に現在の橋が完成した。対岸の本所地区の発展に大いに寄与した。また、西詰の両国広小路は火除地として設けられ、次第に広場として賑わいを見せていった。
勝鬨橋
勝鬨橋
 月島の発展により昭和15年に架設された、橋の中央が跳ね上がる可動橋。橋の名前は日露戦争の旅順陥落を記念して名付けられた勝ち鬨の渡しに由来する。
水天宮
水天宮
 久留米藩主有馬氏の江戸上屋敷の分社が日本橋水天宮で安産と水難よけの神として有名であり、壇ノ浦で滅んだ平家の霊を祀るため創建され根本社は久留米市の水天宮、主神は安徳天皇
東京証券取引所
東京証券取引所
 明治11年(1878)東京株式取引所として発足、昭和24年特殊法人の東京証券取引所となった。
兜神社
兜神社
 江戸時代の「楓川鎧渡古跡考」に鎧稲荷と兜塚が描かれていて漁民より信仰を集めていた。明治11年(1878)東京株式取引所の設立に伴い証券取引所が氏子総代となり以来証券界からの信仰を集めている。祭神 倉稲魂命 大国主命 事代主命
東京百景
歌舞伎座
歌舞伎座
 大正13年竣工の鉄筋コンクリート造り、桃山時代の意匠でまとめられた純和風建築。、明治22年に福地桜痴により創設された歌舞伎専門の劇場。
東京百景
銀座中央通り
銀座中央通り
江戸時代を通じてほとんど武家地を含まなかった町人、職人中心の町だった所。日本で最初の洋風建築街(煉瓦街)が生まれ、文明開化の波に乗り高級専門店街へと発展した。
東京百景
浜離宮恩賜庭園
お伝い橋
 代表的な江戸時代の大名庭園。寛永の頃までは将軍の鷹狩り場、承応3年(1654)甲府宰相徳川綱重の庭園となり、その後、世嗣の家宣が浜御殿として、現在の景観を作り上げる。都内では唯一の海水を引いた潮入池を中心とする回遊式臨海庭園と二つの鴨場をもち、潮入の池の岸と中島を結ぶ、京都の八つ橋を模したお伝い橋など風趣に飛んでいる。6代将軍家宣公を讃えた樹齢三百年の松、水上バスの発着場が有ります。
住吉神社  摂津国佃村の漁民を呼び、鉄砲洲対岸の島を与えた。漁民達は故郷の名前を取り佃島と命名し、総鎮守として正和3年(1646)摂津の住吉大社より分霊を勧請し創建した。

区分地図