藤堂
現・上野動物園

藤堂蔦紋  江戸時代初期、上野の山にあった藤堂、津軽、堀の3大名家の屋敷を公収し、天海僧正に与え、東叡山寛永寺が建立した。寛永寺の堂塔伽藍は上野公園いっぱいに建てられ寺域は30万坪を越える広大なもとなっていました。
 上野動物園地は大名藤堂家の屋敷でした。寛永3年(1622)伊勢国安濃津藩主藤堂高虎は、上野下屋敷内に東照宮を建立し、隣には寒松院と言う寺を建立し菩提寺にしました。寛永4年に徳川秀忠、家光が参拝しました。高虎は1630(寛永7)年江戸で没し、上野寛永寺山内の寒松院に葬られたが、2代藩主高次のとき、津城下に改葬しました。今でも上野動物園の中に整然とした藤堂家の大名墓地が残っています。
 閑々亭の由来は家光「武士も風流をたしなほど世の中が閑になったもので、閑々亭と名付けると好かろう。」と言ったことから閑々亭という名前になった。1868年(慶応4年)に焼失しましたが、1874年(明治11年)に再建されました。
上野動物園内

藤堂家大名墓地−−−−−−−−−−−閑々亭
藤堂家墓地 閑々亭

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