長州藩大砲鋳造所跡

現・江東区南砂2-3付近

沢瀉紋  パリのアンバァリッドに、長州藩毛利家の紋章のある青銅の大砲が保存されています。 この大砲には、次のように刻まれています。十八封度砲 嘉永七歳次甲寅季春 於江都葛飾別墅鋳之
 葛飾別墅とは現在の江東区南砂2-3付近の長州藩主松平大膳大夫の屋敷を指しています。長州藩では嘉永6年(1853)、三浦半島の砲台に備え付けるために大砲を鋳造するため鋳砲か家を江戸に呼び寄せ、佐久間象山の指導のもと、砂村の屋敷内で大砲の鋳造を始めました。
 長州藩はこの大砲を三浦半島から、下関に移しました。元治元年(1864)イギリス、アメリカ、フランス、オランダの連合艦隊の攻撃により、砲台は陥落、フランスにより海を渡りました。
藩の鋳物師(いもじ)の郡司喜平治が、1844年に萩・松本の郡司鋳造所で作った 
荻野流一貫目青銅砲(砲身長185.9センチ、口径8.8センチ、重さ1トン)の一 
つ。伝統的な和式大砲で、一貫目玉(3.75キロ)を発射できる。
 長州側が用いた大砲はすべて戦利品として海外に持ち出された、1門はアンヴァリッド
軍事博物館(Invalides,パリ)に保管されていて、昭和59年6月、貸与の形で里帰り
している大砲(荻野流一貫目青銅砲,天保15年製,郡司喜平治信安鋳造)は下関市立長
府博物館(下関市長府川端1丁目2番5号)に展示、大砲のレプリカが天保製長州砲とし
て、みもすそ川公園(下関市みもすそ川町1番)に安置されている  

長州藩大砲鋳造所跡
(現地に有るものは模倣品です。実際は3mあります。)
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