占春園
現・占春園

守山葵  徳川光圀の弟、徳川頼元が万治2年(1659)に拝領し、その子頼貞は元禄13年(1700)に常陸と陸奥合わせて3郡2万石を受け、守山藩主として大学頭を名乗った。庭内は62,000坪余りあり、氷川下の低地に当たる池は吹上邸として有名だった占春園の名残で、ホトトギスの名所であった。青山の池田邸、溜池の黒田邸とあわせて、江戸三名園と言われた。池を落英池、橋を折柳橋と言った。
 延享3年(1746)に建てられた碑文に「我が公の園は占春と名づく。その中見る所は、梅桜桃季、林鳥池魚、緑竹丹楓、秋月冬雪、凡そ四時の景有らざるは莫し。」とある。
 明治36年に東京高等師範学校、戦後は東京教育大学、筑波大学となり、昭和59年に「教育の森公園」となった。
丸の内線 茗荷谷駅 文京区大塚三丁目

占春園碑文落英池
占春園碑文----------------------------------落英池

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