尾張藩下屋敷
現・上智大学周辺

尾張藩邸石垣跡
尾張藩石垣跡

 紀尾井町の由来は、紀伊家、尾張家、井伊家の屋敷があったことに由来します。明治になり、それぞれ北白川宮、皇宮用用地、伏見宮家などの用地になったため区画は、今でも江戸時代と、殆ど変わりません。
 聖イグナチオ教会前を、半蔵門方向行き、上智大学の東門の所には、尾張家の石垣が残っています。三段程度の石垣ですが、小さな民家の用壁として使わています。大学の中にも多くの、石が無造作に並べられています。この写真の石垣は、東門の坂を下り、紀尾井坂の手前の十段100m程の石垣です。
 ニューオータニの庭園は、井伊家の庭園を利用した物と思います。弁慶橋を渡り、出雲藩の上屋敷跡の衆参議長公邸過ぎ、お堀際を赤坂見附跡を見ますと、堀から高さがあり、往時の偉容を今に伝えています。なだらかな諏訪坂の赤坂プリンスホテル側には、丁寧に積まれた、石垣があり、紀伊家の表門に連なっていたことを感じさせます。

home back