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将軍家から水戸徳川家に寛永4年(1625)小石川の邸地を下賜され中屋敷とし、初代藩主徳川頼房が大徳寺左兵衛に命じて作園、二代光圀の時に完成した。回遊式築山泉水庭園、クマザザの築山を築き、滝を落とし、大井川の景を縮し、明の朱舜水が参画し円月橋、西湖の堤など中国の風物も取り入れられている。
「海・河・山・野」を表現した庭園には、円月橋など中国趣味に溢れた景観が広がる。後楽園の名は、『岳陽楼記』の一節にある「(士はまさに)天下の憂(うれい)に先だって憂い、天下の楽(たのしみ)に後れて楽しむ」から命名された。 また、後楽園は小石川台地という起伏に富む地形を活かして、かつ厳しい儒教の影響を受けて作園されており、明るい六義園と好対照をなしています。 |
小慮山
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内園
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西湖堤
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円月橋
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通天橋
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蓬莱島
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寝覚滝
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九八屋
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渡月橋
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後楽園の境域 |
(1)中島を中心とする大泉水とその周辺 (2)西湖・渡月橋・大堰川・通天橋を結ぶ一帯の河川 (3)清水観音堂・小廬山・得仁堂・円月橋を繋ぐ山中の風景 (4)水田・菖蒲田・松原等の東北部一帯の田園 |