慶安年間(1648〜52)牧野越中守成儀を開基とし、本郷に創建されましたが、その後焼失、成儀の子成貞により、元禄4年(1691)、現在の地、牧野家下屋敷に再興。当時、綱吉公の側用人として牧野成貞は下総関宿藩7.3万石となっていた。
牧野成貞(1634〜1712):1680年、常陸国内に1.3万石。1682年、3.3万石、1683年、下総関宿5.3万石。1688年、7.3万石となる。
松浦鎮信の墓外
元禄4年(1693)、松浦鎮信の開基で下屋敷内に開いた寺です。松浦党は平安時代末期から瀬戸内海の村上水軍と並び賞された鎮西の水軍たった。茶道鎮信流の祖である天祥院鎮信は、肥前平戸藩4代松浦鎮信で法名は「天祥院殿」です。
江戸時代初期、上野動物園の地は藤堂家の屋敷がありました。藤堂高虎は屋敷の隣に寒松院を建立し、藤堂家の菩提寺にしました。高虎は1630(寛永7)年江戸で没し、上野寛永寺山内の寒松院に葬られたが、2代藩主高次のとき、津城下に改葬しました。
明治15年(1882)東京・上野の寛永寺の門跡にあった寒松院の庭園に上野博物館(現在の東京国立博物館)が開館し、その付属として現在の上野動物園が開園した。 今でも上野動物園の中に整然とした藤堂家の大名墓地が残っています。現在、寒松院は寛永寺輪王殿の裏手に寛永寺子寺の一角と三重県津市にあります。
松蔭神社所在地一帯は江戸時代から長州藩の抱屋敷のあったところで大夫山と呼ばれていた。明治15年11月松蔭門下の人々が墓に社を築いて神社を創建しました。石灯篭の奉納者は伊藤 博文、山縣有朋、井上馨、桂太郎、乃木希典を始め明治の英傑が見えます。