現・有栖川宮記念公園
この場所は寛永の頃から常陸笠間藩(のち忠臣蔵赤穂藩)の浅野家の下屋敷であったが、明暦2年(1656)陸奥盛岡藩南部家の赤坂の屋敷と相対替をした、傾斜地を利用した渓流、林泉修景式大名庭園の面影を見ることが出来る。明治になって有栖川宮威仁親王のご用地になったが、同家が絶えて東京市に寄付されました。
サクラと中島
紅葉
2000/11/20