水運の下町、江戸

墨堤雪の眺望
墨堤雪の眺望
 江戸時代、幕府は海と低湿地帯の埋め立てに力を入れ、隅田川河口が埋め立てられ下町が造成された。
 多数の運河は排水路、用水路、舟運に利用され、下町は水の都でした。現在では、道路に利用されたり、高速道路が覆ったり等して、かつての面影はほとんど有りません。

日本橋川
日本橋川
 慶長8年(1603)、江戸城東側の銀座、有楽町、新橋周辺は神田山(駿河台)を切り崩して埋め立てられた。埋め立て地には縦横に運河が造られた。この運河の一つが日本橋川であり、日本橋もそのときに架けられた。
 現在の橋は明治44年(1911)に架けられた。
横十間川
横十間川
 万治2年(1659)に本所奉行によって開かれ、墨田区の柳島橋と仙台堀川を結ぶ。江戸城に対して横に流れ川幅が十間有るので名付けられた。
仙台堀川
仙台堀川
  川幅二十間川とも言う。元禄11年(1698)から仙台藩伊達家の蔵屋敷が有ったので、仙台堀と言われた。
大横川
大横川
 万治2年(1659)に本所奉行によって開かれ、江戸城に対して横に流れ、大横川と名付けられた。
洲崎神社
洲崎神社
 洲崎神社は元弁天社と称して厳島神社の御分霊祭神市杵島比売命を斉祀しており、創立は徳川五代将軍綱吉公の生母桂昌院の守り神として崇敬することとなり、元禄13年(1700)、江戸城中紅葉山より此の地に遷して、宮居を建立し、代々徳川家の守護神となった。当時は海岸であり絶景として知られていた。
清洲橋
清洲橋
  ドイツのケルン市のライン川の吊り橋をモデルに、昭和3年に完成した。
「ケルンの眺め」と言われる小名木川万年橋端もとより。
柳橋
柳橋
  神田川が隅田川に合流する所、江戸時代は吉原にここから舟で通い、両岸に料亭があった。 今は屋形船の船宿か並んでいます。
遠方に見えるのが柳橋です。
両国橋
両国橋
  明暦の大火以降、本所・深川方面の開発のために万治2年(1659)に長さ94間の木橋として、隅田川に初めて架けられた橋。現在の橋は昭和7年の 竣工。
品川浦
品川浦
 江戸湾に臨んだ品川には品川浦と御林浦の二つの漁村があり、江戸城ご用の御菜肴八ヵ浦として発展していた。
白頭鷲
白頭鷲と五稜星
開港によって日本に駐在した初代アメリカ公使ハリスは、安政6年(1859)に港区元麻布1-6の善福寺に公使館を開設しました。ついで明治8年(1875)12月、築地居留地内、現在の明石町8に公館を新築しました。後の明治23年3月に現在の赤坂のアメリカ大使館に移転しました。大使館跡には5個の小松石の記念碑が残っています。


中央大橋
中央大橋
勝鬨橋
勝鬨橋
佃大橋
佃大橋

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