東京十社


 明治天皇は東京の鎮護と万民の安寧を祈るために、明治元年に准勅祭神社として、東京十社を定め、勅使をして御幣帛を捧げご祈願されました。昭和50年より関係神社の協議により十社巡りとして企画されました。
根津神社 神田明神 芝大神宮 日枝神社 亀戸神社
白山神社 品川神社 富岡八幡宮 王子神社 氷川神社

根津神社

根津神社

 日本武尊が東制の途中、千駄木の地に須佐之男命を祀ったのに始まる古社で、文明年間に太田道灌が社殿を再興した。
 現在の社殿は宝永3年(1706)5代将軍綱吉が嗣子家宣の氏神社として甲府宰相の江戸邸に奉建したものです。当時の権現造りの社殿、唐門、透塀、楼門、透塀等の建物が全て現存し、江戸時代の代表的な建築として、国の重要文化財に指定されています。境内は徳川綱重公が庭につつじを植えたことに始まる、咲き競う数千本の「つつじ」の名勝です。  
ご祭神スサノオノミコト 文京区根津

芝大神宮

芝大神宮

 寛弘2年(1005)創建、古くから江戸の大産土神、祭礼は期間の長さから「芝明神だらだら祭り」として知られ、生ショウガ、甘酒茶屋で有名。歌舞伎で上演される「め組の喧嘩」は当境内で起きた。
ご祭神 天照皇大神 港区芝大門

神田明神

神田神社

 天平2年(730)創建、徳川家康の江戸城拡張、続いて神田川開削工事のために元和2年(1616)江戸城の鬼門の守護として現在地に遷座され、歴代将軍の崇敬厚く神田祭りは天下祭りと呼ばていました。
 お茶の水駅から、江戸時代に掘られた神田川にかかる聖橋を通り、湯島聖堂から神田明神までは10分程度です。少ない時間で江戸情緒が忍ばれます。銅製鳥居の脇には甘酒の老舗があります。
ご祭神 大己貴命 少彦名命 平将門 千代田区外神田

日枝神社

日枝神社

 文明10年(1478)江戸城築城にあたり太田道灌公が城内に奉斎した神社、江戸時代は日吉山王神社と称して歴代の将軍に尊崇あつく、山王祭りは神田祭りと共に天下祭りと言われ、御輿山車の列は城内で将軍の親拝を得ていた。
 赤坂見附駅から溜池を埋めて作られた外堀通りをしばらく行くと、山の形をしている山王鳥居があります。社は丘の上あり、非常に格調高い雰囲気和伝えています。
ご祭神 大山咋神 千代田区永田町

亀戸天神

亀戸天神

 寛文2年(1622)管原家の末裔の神官菅原大鳥居信祐公が九州の太宰府天満宮の神木飛梅の木で菅原道真公の像を刻み勧請、地形を始め、社殿、楼門、太鼓橋など境内の結構を全て太宰府の社に習った。以来江戸庶民の天神信仰の中心となっている。
 神社の前に活気がある商店街、藤棚で有名です。
ご祭神 菅原道真公 江東区亀戸

白山神社

白山神社

 天歴2年(948)加賀一宮白山神社を現本郷元町に勧請、建武2年(1355)足利尊氏より国家平安ご祈願所に命ぜられる。明暦元年(1655)年徳川家綱公により現在地に還座する。
ご祭神 ククリヒメノミコト他 文京区白山

品川神社

品川神社

 文治3年(1186)源頼朝が海上交通の安全と、祈願成就の守護神として、安房国州崎神明のアメノヒリノメノミコトを勧請し、品川大明神と称した。  文明10年(1478)太田道灌がスサノオオノミコトを勧請し天王祭りが始まる、品川宿の鎮守である。 
ご祭神 アメノヒリノメノミコト 品川区北品川

富岡八幡宮

富岡八幡宮

 寛永元年(1624)僧長盛が八幡像を祀ったのに始まる、江戸勧請相撲の発祥地、歴代横綱碑、巨人力士碑、都内最古の鋳鉄橋がある。
ご祭神 応神天皇 江東区富岡

王子神社

王子神社
 元享2年(1322)、当時の領主豊島氏が紀州熊野権現を勧請し若一王子宮として祀ったのに始まる。3代将軍家光が権現作りの社殿を造営したところから、王子権現として知られるようになり、8代将軍徳川吉宗公は飛鳥山を開き、王子権現の名と飛鳥山の花見は江戸の名所として知られた。
ご祭神 伊那那岐尊 北区王子

氷川神社

氷川神社

 天暦5年(951)、赤坂一ツ木に創建する。江戸時代は紀州藩の産土神の所以により、享保15年(1730)8代将軍吉宗公が老中水野和泉守に命じて現社殿を造営する。将軍の直拝により社領5,000坪を下渡される。以後、8代より14代までの将軍朱印状が収められている。
 赤坂2丁目の南部坂から、信濃松代藩下屋敷跡のアメリカ大使館官舎沿いにしばらく行くと、都心とは思えない、静寂な鎮守の森があります。ここも、江戸の風景が残るところです。
ご祭神 大己貴命 スサノオノノミコト 港区赤坂



2001/12/27