牛込見附跡

牛込見附跡

阿波守石
 江戸城外郭の門は、敵の侵入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、二つの門を直角に配置した「枡形門」と言う形式を取っていました。
 牛込見附は、家光の時代,寛永13年(1636)阿波徳島藩主蜂須賀忠英(松平阿波守)によって枡形石垣と土橋が普請され、翌年に櫓・門が作られ門番が置かれました。
 毎日、忠英は普請現場にで熱心に監督したことが、当時の資料に残されています。明治になり、一部を撤去した時に、石垣から松平阿波守と書かれた石が発見され、今も、市ヶ谷駅前に置かれています。
 江戸時代の牛込見附は田安門を起点とする「上州道」の出口として交通の要所でした。江戸城外堀跡の見附としては、最も江戸時代の面影を残しています。

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