寛永13年(1636)の外堀普請の時に築かれた三段の根石。鍛冶橋付近の丸の内一丁目から出土し、石垣の表面に担当した大名の刻印があるのが分かります。丸に山の刻印は備中成羽藩山崎家のものです。いまは、移築され小石川後楽園の塀の一部に利用されています。
江戸城の外堀の石垣は注意してみると、担当した大名の色々な刻印があります。