大手門

大手門高麗門
大手門

大手門前堀
大手堀と枝垂れ桜

 江戸城の正門。慶長11年(1606)藤堂高虎の縄張りで翌年完成、さらに伊達政宗らのお手伝い普請によって元和6年(1620)に枡形門に築造された。大名や役人が本丸に登下城する門。最も警備の厳重な典型的な枡形門で、外側に面してた門を一の門(高麗門)、内側の門を二の門(本御門)という。明暦3年(1657)明暦の大火で類焼し翌年再建した。戦災で二の門の渡櫓を焼失、昭和43年(1968)再建された。
 一の門を内側から見ると鉄砲を撃つ狭間が有ることが分かる。出入り口が広くないのは敵の侵入を防ぐためです。壁は白亜総漆喰塗り、城門は燻(ふすべ)と言う銅を熱処理したものが張ってある。
 また、門外の堀端に下馬札がたっていた、付き人達はここで主人の帰りを待っていて、各藩の情報を交換していた。これより下馬評と言う言葉が生まれた。

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