奉拝
浅草名所七福神

七福神


大黒天浅草寺台東区浅草2-3-1
恵比須浅草神社台東区浅草2-3-1
毘沙門天待乳山聖天台東区浅草-4-1
福禄寿今戸神社台東区今戸1-5-22
布袋尊不動院台東区橋場2-14-19
寿老人石浜神社荒川区南千住3-38
寿老人鷲神社台東区千束3-18-7
弁財天吉原神社台東区千束3-20-2
福禄寿矢先神社台東区松が谷2-14-1

浅草寺  浅草寺
推古天皇36年(628)宮古川(今の隅田川)で投網漁をしていた檜前浜成、竹成兄弟が、1寸8分の聖観音黄金像を引き上げ土師直中知が像を迎え私邸に寺として安置したのが寺の起こり。大化元年(645)、諸国巡錫中の勝海が堂宇を建立し、本尊を安置し、秘仏と定めてから今日まで秘仏を目拝したものはいないと言います。
 源頼朝、足利尊氏、北条氏康など武将の尊尊をうけ、徳川家康入府後は寺領500石を受け、幕府の祈願所となった。昭和20年戦災により二天門、伝法院を残して諸堂宇を焼失、昭和33年本堂、49年には五重塔を再建した。

浅草神社 浅草神社
 浅草寺本堂の北にある浅草寺の鎮守で江戸時代は三者権現と言われていました。祭神は檜前浜成、竹成兄弟、土師直中知で後に東照宮を合祀した。本殿、弊殿、拝殿は共に慶安2年(1649)三代将軍家光によって再建されたものです。この神社の祭礼が三社祭りで、江戸時代から江戸三大祭りとして盛んに行われています。

待乳山聖天
 古い縁起によると、推古3年(595)、突然ここの土地が隆起し小高い丘になり、金龍が舞い降りたと伝えられています。本尊は歓喜天で、男天の魔王、女天の十一面観音の双身像であることから、お供え物に二股大根を備える習慣がある。

今戸神社 今戸神社
 康平6年(1063)源頼義、義家が奥州夷賊阿倍貞任・宗任の征伐の折り、鎌倉鶴丘と浅草今之津に京都の石清水八幡を勧請したのが今戸八幡です。その後、永保元年(1081)清原武衡・家衡討伐に源義家が今之津を通過するにあたり戦勝を祈願し、勝ち戦の後に社殿を修復しました。

不動院
 不動院は天平宝字4年(760)、奈良東大寺建立に尽力のあった高僧良弁僧正の高弟寂昇上人により開創されました。本尊は不動明王で良弁僧正が刻んだ一木三体のうちの一体です。当初は法相宗でしたが、現在は天台宗比叡山延暦寺の末寺です。

石浜神社 石浜神社
   神亀元年(724)聖武天皇の勅願によって当地に鎮座され、源頼朝が藤原泰衡征伐の折り、当所に祈願し、後日社殿を造営寄進した。境内には富士遙拝所がる。

鷲神社
    毎年11月の酉の日に「酉の祭、酉の市」で知られる鷲神社は、江戸下町を代表する神社で、開運、商売繁盛、家運隆昌、子育て、出世の神得が深いとされ、また、「おとりさま」と称されて、古くから江戸下町の民衆に篤く信仰されてきました。創建は明らかでないが、明和8年(1771)現在地に移ってきました。鷲宮、鷲大神宮と言われ、一般には「浅草のお酉さま」として有名です。祭神は天日鷲命、日本武尊です。

吉原神社 吉原神社
 元和3年(1617)徳川幕府の命によって、江戸市中各所に散在していた遊女屋は日本橋葺町あたりに廓として統合されました、その後、明暦3年(1655)大火の後、千束村に移転を命ぜられ「新吉原」となりまし。
 新吉原には、古くから鎮座していた玄徳稲荷社、それに廓の四隅に守護神である榎本稲荷社、明石稲荷社、開運稲荷社、九郎助稲荷社が祭られていました。この五社が、明治五年に合祀され吉原神社となりました。吉原神社の歴史は新吉原と重なり、遊郭の鎮守として古くから崇敬されています。

矢先神社 矢先神社
 寛永19年(1642)三代将軍徳川家光公がこの地に三十三間堂を建立し、守護神として稲荷大明神を勧請し、 その場所がちょうど的の先に当たっていたので「矢先稲荷」と名付けられました。
 元禄11年(1698)浅草を中心とした大火で三十三間堂は焼失し深川に移転しましたが、稲荷社は町民の要望で当地の産土神として再建が許されました。拝殿の格天井には神武天皇の御世からの「日本乗馬史」を描いた100枚の絵が奉納されています。

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