上岡覺の相撲甚句

 

 

そろうたそろひました 相撲取り衆が

稻の出穂より なほよくそろうた

 

門に松竹 注連繩飾り

内に七a@鏡餅

 

土俵の砂つけて 男をみがく

錦を飾りて 母待つ國へ

 

あがる軍配 笑顔でうける

櫓落しの みだれ髪

 

砂にまみれて みだれし髷も

やがて見事な 大銀杏

 

富士の白雪 朝日でとける

娘島田は 情けでとける

 

安藝の宮島 回れば七里

裏は七浦 七えびす

 

咲いて牡丹と 言はれるよりも

散りて桜と 言はれたい

 

主の仇討 赤穂の浪士

武士の鑑の 假名手本

 

さらばここいらで 唄の節をかへて

今も變らぬ 相撲取り甚句

 

東京名所を甚句にとけば

芝か上野か淺草か

春は花咲く向島

墨田川には都鳥

三十六間架け渡し

あれが名代の兩國か

ひときは目に立つ國技館

千代に八千代に二重橋

 

髪の形も數あるなかで

ちよいと捲いたらハイカラで

娘結ふのが高島田

小粹で小憎い丸髷か

銀杏返しは雙心

親の意見は耳隠し

モダンガールは斷髪で

パーマネントは雀の巣

誰がつけたか相撲取り頭を

チヨンマゲチヨンマゲ

 

中野名所を甚句にとけば

お江戸東京西の道

青梅街道宿場町

東は新宿新都心

西なら杉並高圓寺

中を走るは中央線

さかる人出も中野驛

新井薬師に寶仙寺

哲學堂やら囲町

鍋屋横丁まち並みと

中野まつりは十月で

相撲じや名門二子山

ゆかりも深き中野にて

相撲が好きで甚句好き
集ひて楽しく唄ふのは

城西相撲の甚句會

 

緋鯉に眞鯉に池の鯉

男と女は色戀で

相撲取りや土俵で

どすこいどすこい

 

われら人生甚句に詠めば

幾歳重ねて人生も

六十歳になつたなら

心も體も元氣です

七十で迎へに來たならば

ただいま「留守だ」と云ひませう

六十・七十とはや過ぎて

いつもにこにこ朗かに

八十で迎へに來たならば

「まだまだ早い」と云ひませう

何も不足は云ひません

九十で迎えに來たならば

「そんなに急くな」と云ひませう

われら人生九十から

いつも感謝で暮します

百で迎へに來たならば

頃見て行くよと云ひませう

 

六十七十は鼻たれ小僧

八十九十は青二才

男盛りも女盛りも

百から百から

 

石川名所を甚句にとけば

雪をいただく白山に

百萬石の城下町

加賀は梅鉢前田公

Cき流れも犀川の

さかる人出の香林坊

花に浮かれて兼六や

出湯の里なら片山津

しのぶ思ひの山代の

唄で知られた山中に

安宅の關で名も高き

辯慶、義經勸進帳

大漁のぼりは七尾港

秋なら紅葉の那谷寺で

二人仲良く輪島塗り

お茶を飲むなら九谷焼

御神乗太鼓も勇ましく

荒波高き能登育ち

故郷へ錦を飾りたる

横綱輪島の土俵入り

 

昇る朝日も山なれば

沈む夕日も山となる

相撲甚句の名調子

唄ふ人生喜びと

櫓太鼓に

祝ひ酒祝ひ酒

 

プロレス力士を甚句にとけば

雙葉を敗りし記録あり

美男力士の清美川

日下開山横綱は

江戸っ子きんちん東富士

輪島は黄金左腕

リング上での髪は

つつぱり天龍源一郎

田吾作スタイル惡役で

下駄の社長は芳の里

WWAンピオン

怪力無雙の豊登

二所のあらくれ關脇は

張り手あらため空手打ち

海峽越えたる熱血漢

怒濤の男は力道山

 

端唄長唄三味線彈いて

祭りのお囃子笛太鼓

相撲甚句にや荷物はいらぬ

兩手叩いて

ドスコイドスコイ

 

砂を集めて甚句にとけば

一面廣る風紋の

鳥取砂丘は日本一

足に聞える鳴砂は

琴姫傅説琴ケ濱

月の沙漠は御宿で

出湯の指宿砂蒸や

星の砂なら西表

相撲見るなら砂被り

砂にまみれし亂れ髪

土俵の砂付け技磨き

やがて見事な横綱よ

 

一軒二軒三軒目

三軒目の三味線屋

そのまた隣の三味線屋

彈いたり彈いたり

 

當地興行も本日限り

勸進元や世話人衆

ご見物なる皆樣よ

いろいろお世話になりました

お名殘惜しうは候えど

今日はお別れせにやならぬ

我々立つたるその後も

お家繁盛町繁盛

惡い病の流行らぬよう

陰からお祈り致します

これから我々一行も

しばらく地方をば巡業して

晴れの場所で出世して

またの御縁があつたなら

再び當地に參ります

その時やこれに勝りし御贔屓を

どうかひとへに願ひます

 

折角馴染んだ皆樣と

今日はお別れせにやならぬ

いつまたどこで會へるやら

それともこのまま會へぬやら

思へば涙が

パラリパラリ

 

 

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