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怪異譚の舞台・三次

三次市は広島県の北東部に位置する田園都市で、南北に山が分布し、中央部には盆地が広がる。市内には二千を超える古墳があり、県内でも有数の古墳密集地帯である。また、この盆地には可愛川、西城川、馬洗川が巴になって江の川に流れ込み、古くから中国山地で生産される砂鉄などの水運が盛んだった。夏には鵜飼いが行なわれ、秋から初春にかけては霧の海が見られる。陸路も山陰・山陽を結ぶ出雲街道の要衝である。

三次の地名は上次・播次・下次の三つの次からきているともいわれるが、次は「すき」と読まれ、「よし」と発音するようになった理由はよく分かっていない(「倭名抄」)。ほかに多くの水流が集まるので「水村(みすき)」が語源であるともいわれる。中世・近世には三吉・三好・三善などとも書かれたが、江戸時代以降は三次で統一された。

鎌倉・室町時代には比叡尾山に城があったが、天正十九年(一五九一)、三吉氏十五代広高が比熊山に居城を移した。その城下に作られた五日市町・内町・十日市町が現在の三次氏の起源である。

寛永九年(一六三二)には広島藩主浅野光晟の庶兄長治が五万石を分知され、三次藩が成立した。しかし後継に恵まれなかったり、享保三年(一七一八)の広島本藩にまで波及した一揆の影響などもあり、五代八十八年間で広島本藩に合併された。

参考文献
・広島県大百科事典 上(中国新聞社編、中国新聞社、1982年)
・郷土資料事典34 広島県(人文社、1989年)

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