私の住む熊谷市(旧妻沼町)の紹介

 熊谷市(旧妻沼町)は、利根川に沿う肥沃な平坦地で古く農業が開け、宿場は聖天山の門前町として、また、利根水運の河川場として栄えてきました。
 いま、国道407号が町を縦断し、新幹線熊谷駅へ20分、首都近郊生鮮野菜の主産地となる一方、新たな工場や住宅が建ち並び、魅力と味のある町となっています。
 長閑な田園風景に、グライダーが舞い、ゴルフ場も開けて渡しが浮かぶなど、妻沼ならではの情緒が漂います。
 悠久の流れと長い歴史に培われた勤勉と思いやりの心が、斉藤別当実盛公や荻野吟子など先人を育んだのも、ふるさと「めぬま」の誇りです。

O 記事、写真など妻沼タウンガイドより、転載しました。

 

国宝・重要文化財の妻沼聖天山

 妻沼といえば、日本三大聖天の一つ「妻沼聖天山」でその歴史は、そのまま町の歴史に連なっています。
 創建は、1179年で、斉藤別当実盛公が自己の守り本尊の大聖歓喜天を祭って聖天宮と称し、長井庄の総鎮守としたのに始まります。
 江戸時代の妻沼は、新田往還の宿場町として栄えていました。
 現在の本殿は、1760年に完成したもので、壁面を飾る華麗な彫刻は桃山時代の建築様式を伝える貴重な遺構として、本尊の錫杖とともに国の重要文化財に指定されています。
 平成25年に、文化財保護法の制定の修復が終了し、妻沼聖天山の本殿である「歓喜院聖天堂」は、国宝に指定されました。


日本初の女医荻野吟子

 日本最初の女医で、渡辺淳一の小説「花埋み」のヒロインとなった荻野吟子は、1851年現在の妻沼町に生まれました。
 18歳の時、熊谷の名主に嫁ぎましたが、婦人病のため離婚、診察の 屈辱をバネに女医志望を決意し、周囲の反対を押し切って上京しました。
 刻苦勉励し、明治18年政府公許の女医第一号となり、東京本郷に「産婦人科荻野医院」を開業しました。
 後にキリスト教に入信し、女性解放の先駆者として活躍、再婚して北海道に渡り瀬棚町で開業するなど不屈の根性と愛を貫きました。
 (写真は、生誕の地記念公園)


あじさい寺の能護寺・グライダーの滑空場

 「あじさい寺」の名で親しまれる能護寺には、50種
類500株のあじさいが咲き乱れ、初夏の訪れを教え
てくれます。

 日本学生航空連盟妻沼グライダー滑空場か
ら舞い上がる、白い機体のグライダーが爽快
な青空に大きく弧を描いて飛んでいます。