文章いろいろ

父親

小さい頃から、私はとてもお父さんっ子でした。


温厚で滅多なことでは怒らない、娘に甘くて何かと本を買ってくれる、そして端正な顔だちで一風変わったユーモア のセンスを持つ父が、私は大好きでした。

小学生の時に風邪をひいて寝込んでいたら、父が会社帰りのスーツのまま部屋にやってきて、手づから洗った苺を 食べさせてくれたことや、防災訓練で父母が迎えに来る日に、他のどこの子もお母さんが迎えに来たのに私だけ父が 来て、何となく誇らしく思ったことや、父にまつわる思い出は、どれも温かいものばかりで、すぐに思い出すことができます。
父と手をつないでてくてくと歩いた学校の帰り道、何か話していたくて、子供心に一生懸命話題を探していたあの気持ちが、(月並みな表現ですが)昨日のことのようです。

少女気質の母と娘ふたりのわがままにも我慢強くつきあい、衣食住全てに彼なりの強い主張を持っているのに常に周りの好みを尊重し、公平で、仕事の愚痴を言うこともない人。

小さい頃は、潜水艦の艦長になって世界中を探検する のが夢だったそうです。今でもテレビの紀行ものが大好きで、自然紀行の番組を楽しみしています。歴史ものも好きですね。

そんな優しい父の姿は、恋人とも結婚相手とも違う質感を持つ、ひとつの理想の男性像として、私の中に存在してい ます。

けれど、あの厄介な思春期をいう奴を迎えて、私もやっぱり父と距離をおきたいと思うようになりました。その時期は、 他の女の子に比べたらずっと遅かったのですが、やはりやってきたのです。
恋人ができたり、外に出かけたりすることが増えて、休日に父と出かけることは少なくなりました。それでも、夜遅くなる私を、父はいつも黙って待っていまし た。母にはけっこう愚痴を言っていたみたいですが。

会社の勢力争いにも加担せずにあちこちに気をつかい、娘の思春期と妻のわがままに耐え、皆の幸せのために黙々と己の仕事を果たし続ける父の姿は、気づかないうちに少しずつ老いはじめ、端正な顔にはしわが、髪には白いものが目立つようになりました。

それから色々な事情があって、私は自宅ではなくアパートで暮らす時期を迎えることになりました。
家族と離れて暮らすようになって思うことは、母と二人きりになってしまう父がさびしがっているのではないか、ということでした。離れてしまうと、うとましさよりも心配の方が勝るのですから、子どもという奴も勝手な ものです。

たまに電話をしたりすると、「もう全然子離れしてないんだから。姉の方はは元気か、明子は大丈夫か、ってそればっかり よ」という母の冗談めいた報告が届いたりしました。

ある日、たまたま自宅に帰って、用事を済ませてからアパートに戻ることにしました。夕方を過ぎ、そろそろ夜という時間でした。「じゃ行ってきます」と言って父を見ると、こたつに入っていた父は黙ってうなずきました。うなずいただけ でした。
昔なら、立ち上がって「駅まで送ってこうか」と言っていた父が、動かないのを見て、ふと私は立ちすくみました。
そして、「ああ、お父さんの子離れが始まったんだな」と、その時に理解したのです。今までずっとひとつのものだと信じて疑わなかった、父の人生と私の人生が、違うものなのだという実感がわいてきました。

今でも時々電話して、「明日そっちに帰ろうかと思ってるんだけど……」などと言うと、父は「無理しなくていいから。お父さん一人しかいないから、大丈夫だから」と返事をします。それが強がりなのか、子離れを経た父の本音なのか、 今の私にはまだわかりません。

ただ、そんな父の台詞を聞くたびに、あの時こたつに座っていた父の背中が思い出されて、自分がひどく遠いところにいるような気持ちになります。

そして、そんなことができないのは承知の上で、叶うものなら小さかったあの頃の私に戻って、父と手をつなぎながら 駅からの帰り道をてくてくと歩いてみたいと思うのです。

 

       

これもかなり初期の頃の文章です。

当時はまだ大学生で、当たり前ですが独身でした。

今は結婚して別の家庭を営んでいる訳ですが、私の中の父親像にはあまり変化がありません。

親戚がたまたまこれを読んで、「まぁずいぶんカッコよく書いたわねぇ」とのたまったものですが、親というものはどんなに平々凡々な人であっても、子にとっては特別な存在なのだから、当然のことでしょう。