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> 冤罪との闘い■冤罪との闘い犯罪とは無関係の者が「犯人」として扱われて罪を着せられることを「冤罪(エンザイ)」と言います。「ぬれぎぬ」と言うときもありますが同じことです。そんな不思議なことがあるとは信じられない人がいるかも知れません。しかし現実に冤罪は存在しますし、現代社会の重大問題の一つになっています。 冤罪に巻き込まれるということは大変な悲劇です。巻き込まれた事件が大きな事件だと、自分の無実を証明するのに数十年かかるということもあります。また家族の離散など周囲にも悲劇が及びます。 なぜ冤罪が起きるのでしょうか? 「犯人」にされた無実の人にも落ち度があったからなのでしょうか? それとも事件を捜査した警察のほうに問題があったからなのでしょうか? 有罪判決を下した裁判官は冤罪に気づかなかったのでしょうか? あるいは、私たちが冤罪に巻き込まれないようにするにはどうしたらいいのでしょうか? そして、冤罪をなくすにはどうすればいいのでしょうか? ・・・そんなことを考えてみませんか。
Q3、冤罪事件はなぜ起きる? Q6、国際組織の対応は? Q1、冤罪事件はどのくらいある?社会科の教科書や資料集には、たいてい「戦後に再審で無罪になった事件」というような表が載っています。その表に載っている事件はどれも非常に有名な冤罪事件ですが、実際にはこれ以外にも小さな冤罪事件がたくさんあるのです。
▼私が授業でよく話題にする冤罪事件▼
▼最近起きた冤罪事件▼
▼そのほか「冤罪」と言われている有名な事件▼
Q2、冤罪だとどうしてわかる? どうやって救う?1、容疑者本人の主張ある事件が冤罪であるかどうかは、まず「容疑者」とされた本人が「私は犯人じゃない」と主張するところから容易に推測することができます。そういう場合、容疑者を弁護する弁護士は、いろいろな証拠の分析を通して、容疑者が犯人ではないことを裁判で主張していきます。 2、裁判での審理容疑者本人が何らかの事情で「犯人ではない」と主張しない場合でも、裁判の審理の中で冤罪が強く疑われる場合があります。例えば、検察官が主張する内容に矛盾や誤りがあることが見えてくる場合があるのです。裁判の過程で冤罪であることが判明した場合は、無罪判決となります。
3、再審本人が「私は犯人じゃない!」といくら訴えても、裁判所が「お前が犯人だ!」と決め付けてしまうこともあります。そういう場合には「再審」という方法で冤罪を晴らす道が開かれています。刑事訴訟法は、有罪判決の根拠となった証拠に問題があったことが判明した場合など一定の条件を満たすときには、特別に裁判を最初からやり直すことを許しています。このやり直し裁判のことを「再審」と言います。 しかし再審で冤罪の被害者を救うのはとても困難です。再審は、まず裁判所へ再審請求をすることから始まります(検察官による請求も可能です)。この請求が認められ、裁判所によって「再審開始決定」が出されたのちに、再審そのものが開かれるのですが、まず「再審開始決定」が出されるのは非常に稀です(=珍しいということ)。また、幸いにして「再審開始決定」が出されても、その決定に対して検察側が抗告・異議申立て・特別抗告をすることができますから、「再審開始決定」が必ず確定するとは限りません(例:名張毒ぶどう酒事件)。さらにもっと幸いにして再審そのものが開始され、やがて再審で無罪判決が出されたとしても、その無罪判決に対しても検察側が控訴・上告できますので、実際に再審で無罪判決を勝ち取り、しかもその無罪判決を最終的に確定させるところまで行くのは非常に難しいことなのです。だから、最初から「冤罪を作らない」ことが必要になってくるわけです。 Q3、冤罪事件はなぜ起きる?冤罪がおこる原因については、さまざまなことが指摘されています。例えば次のようなことが挙げられます。 1、総じて、日本国憲法の精神が十分に生かされていない日本国憲法は、人権尊重の精神に基づいて、第31条から第40条で、犯罪と刑罰に関連するさまざまな規定をおいています。しかし実際の刑事司法の現場では、 憲法の精神から外れた捜査のしかたや制度が残っています。これが、今でも冤罪がなくならない大きな原因です。 2、別件逮捕の問題冤罪を生みやすい原因の一つに「別件逮捕」があります。別件逮捕とは、ある事件の容疑者として逮捕したいのだけれど十分な証拠がないときに、まったく別の事件を理由として逮捕することです。例えば宮城県で起きた「松山事件」では、斎藤幸夫さんは、一家4人殺害放火事件の容疑者としてではなく、まったく別の傷害事件の容疑者として逮捕され ました。警察は、斎藤さんが一家4人殺人事件の犯人だろう、と考えていたのですが、その証拠が不十分なために、別件の傷害事件を理由に逮捕して、実際は殺害放火事件のことを取り調べたわけです。このような「別件逮捕」は、刑事訴訟法で明確に禁止されてはいません。そのため、別件逮捕が許されるかどうかについては、法律関係者の間でも意見が分かれています。しかし、別件逮捕が冤罪を生む大きな原因の一つであることは多くの学者が指摘しています。 3、密室の暴力的な取り調べによる「自白」の強要刑事司法の現場では、現在でも物的証拠よりも「自白」のほうが重要視される傾向があります。そのため、ほとんどの冤罪事件に共通することですが、密室での暴力的な取り調べによって「自白」が強要されているのです。「自白の強要」といっても、取調べられているのは、もともと事件とは無関係な人ですから、「自白」の中身はデタラメです。つまりウソの「自白」なのです。警察官の暴力的な取調べに耐えられず、「早く自宅に戻りたい」などという“あせり”や、「裁判で本当のことを言えばよい」という“あきらめと期待”から、警察官が誘導する通りにデタラメの「自白」をしゃべってしまう、ということが実際にあるのです。 日本国憲法は、「暴力的な取り調べによって得られた自白は証拠にできない」ことを規定しています(第38条2項)し、さらに刑事訴訟法では「そのような疑いがある自白についても証拠にできない」との規定があります(第319条2項)。ですから、このルールの通りに裁判がなされれば、冤罪は防ぐことができるはずです。しかし実際には取り調べは警察署の中の密室で行なわれるため暴力的な取調べをした証拠が残りませんし(=任意にされた自白ではない、という証拠が残らないということ)、裁判でも、裁判官が警察官に「暴力的な取り調べをしなかったか?」と聞いたとき、警察官が「暴力的な取調べはしていない」と答えれば、ほとんどの裁判官はそれ以上追及しないものですから、結局暴力的な取調べがあったことにならないので、警察官は安易に暴力を用いてしまう傾向があるのです。
4、有罪証拠のねつ造、無罪証拠の隠蔽「松山事件」では、斎藤さんの自宅から布団が押収されたときには布団にまったく血はついていなかったのに、検察官が裁判に証拠としてその布団を提出したときには血がついていました。明らかに捜査に携わった警察官が意図的に布団に被害者と同じ血液型の血をつけたのです。そのほかにも「松山事件」では、無実を証明する明らかな証拠があったにもかかわらず、検察官がそれらの証拠を裁判に提出せず、有罪の証明に使える証拠だけを提出して、わざと裁判官に有罪判決を出させるというような、「陰謀」を行っていました。このように、警察官が有罪証拠をねつ造したり、検察官が無罪証拠を隠すということがあります。こうなってくると、犯罪捜査そのものが犯罪行為ということになります。
5、証拠の鑑定の誤り 凶器に付着した血液型や被害者の致命傷のできかたなど、犯罪捜査には科学的・医学的な見地からの「鑑定」がなされることがしばしばあり、その鑑定結果が証拠としても重要になります。ところが、その鑑定をした技術者がずさんな鑑定をして誤った結論を出してしまうと、裁判そのものの結論も誤ってしまいます。鑑定が誤っていたにも関わらず、裁判官がその鑑定結果をうっかり信用してしまったことが原因で冤罪を救えないケースも少なくありません。 6、捜査過程に対する裁判官の無関心、検察官・警察官との「同僚意識」裁判官の態度にも大きな問題があります。一般的に裁判官は、捜査がどのように行われたか、有罪証拠がどのようにして収集されたか、といった事柄に関心が薄いと言われています。そのため検察官によって提出された証拠をあまり吟味しないという傾向が生まれています。それとも関連しますが、裁判官は、弁護士よりも検察官や警察官のほうに一種の同僚意識(親近感)をもっていることが多い、とも言われています。そのため、弁護士の主張に冷淡な一方で、検察官や警察官の捜査には厳しい目を向けることが少なく、冤罪を見抜くことが難しいのです。 Q4、冤罪を防止するために必要なことは?冤罪をなくすためには、例えば次のようなことが必要です。
1、日本国憲法の精神にのっとった捜査や裁判を実現する必要日本国憲法(特に第31条から第40条の規定)は、刑事事件における人権を詳細に定めています。事件捜査と裁判を担当する警察官や検察官が、憲法に定められている人権をしっかり守れば、冤罪事件はほとんど防止することができます。当然、別件逮捕のように冤罪の原因となりやすい手続もなくしていかなければなりません。
2、取り調べの様子のビデオ録画が必要現在、取り調べの記録は「自白調書」しかありません。そのため自白調書がどのような過程で作成されたか検証することができず、仮に自白調書が偽造されていたとしてもそれを証明する手立てがないのです。取り調べにおける自白の強要が冤罪事件を生む大きな原因になっているのですから、取り調べの様子は全部ビデオに録画する(もちろん日付・時刻を同時に録画する)ような制度を作ることが必要です。
3、警察や検察の「陰謀」を防ぐしくみが必要「松山事件」のように、検察官は収集した証拠の全てを裁判に提出するとは限りません。無罪証拠を隠すという、言わば「陰謀」による冤罪を防ぐためには、「検察官が収集した証拠は全て裁判に提出しなければならない」というような、新しいルールが必要です。
4、検察審査会の機能強化も必要検察審査会は、検察官の行動を審査する機関です。一般国民から抽選で選ばれた複数の検察審査員の集まり(会議)です。しかし現在のところ検察審査会は、検察官が不起訴にした事件についてだけ、その不起訴処分が正しいかどうかを審査できるだけで、起訴された事件について起訴をとりやめさせる権限はありません。ちなみに現在は「起訴すべき」という議決をした場合でも、検察官はその決議に拘束されない。但し法律改正により近日中に「起訴すべき」と2回議決したときは必ず起訴されることになる。冤罪防止のために、検察審査会の機能を強化して、検察官の起訴を取り消すことができるようなしくみを作る必要もあります。
5、一般市民が裁判に加わる制度の導入も必要裁判官の世界では、「出世に響く」ことなどを心配して、同僚の裁判官や先輩の裁判官が出した判決の間違いを指摘するのは難しく、内心では「無罪だ」と思っていても、実際には正直に思った通りの判決が書けないという場合が多いのだそうです。しかし裁判官のメンツのために冤罪を救えず犠牲者が生み出されるということがあってはなりません。たとえば一般市民を審理に加わらせ、冤罪が疑われる事件に対しては裁判官のメンツをつぶしてでも被害者を救済する判決が出せるようにする必要があります。ただしその場合、一般市民が裁判官と反対の意見を貫けるかどうか、という問題もあります。近日中に実現する「裁判員制度」の導入によって、どのような審理がされるようになるのか、大いに注目したいものです。 Q5、裁判所は冤罪を救おうとしているか?1、1975年ごろから約10年間は「白鳥決定」に基づいて、再審開始決定が積極的に行われた。1975年に「白鳥事件(しらとり事件)」という冤罪事件の再審請求を棄却したとき、最高裁判所は「疑わしきは被告人の利益に」という精神は再審制度にも適用される、という判断をしました。この判断は「白鳥決定」と呼ばれています。この決定が出される以前は、もとの判決の有罪証拠を完全に否定できるくらい有力な証拠がなければ再審がみとめられなかったのですが、この「白鳥決定」によって裁判所の態度は大きく変わり、以後10年にわたって、多くの事件で再審が実現しました。
2、1985年ごろ以降、「白鳥決定」を守らない裁判所が増え、最近は再審がほとんどない。ところが、1985年ごろから、裁判所は「白鳥決定」を守らない態度をとるようになっていきました。「白鳥決定」の判断に従えば再審開始が十分可能と思われるような事件でも、冷たく再審の門を閉じる決定が続くようになったのです。そして現在に至るまで裁判所の態度は変わっていません。そのため最近では再審がほとんど実現していないのです。 Q6、国際組織の対応は?国際連合をはじめとする国際組織は、日本の刑事司法の現状に対して批判を強めています。しかし日本政府はそれらの批判に誠実な対応をしていないのが実情です。
1、国際人権規約委員会の勧告1998年に、国連の「国際人権規約委員会」は、日本政府に対する勧告(CCPR/C/79/Add.102)を発表しました。国際人権規約というのは、人権保障について定めた国際的なルールで、この国際人権規約を結んでいる諸国の政府は、定期的に「国際人権規約委員会」に対して、自国では国際人権規約をどのように守り実施しているかについて報告する義務を課せられています。1998年に、委員会は、日本政府の報告に対する批判・注文を、勧告という形にまとめて発表したのです。その中で、日本政府は委員会から、(ほかの人権分野におけると同様に)刑事司法に関しても、自白偏重の捜査が行われていることや、代用監獄の存在など、さまざまな問題点を指摘され、改善を勧告されたのです。
2、国際アムネスティの問題提起「アムネスティ・インターナショナル」は、1961年に、政治的な意見の相違を理由に政府から弾圧されたり投獄されている人々(「良心の囚人」と呼ばれる)を救うことを目的として発足した団体ですが、その後発展を続け、現在では人権問題全般に対して国際的に影響力のあるNGOとして、1977年にノーベル平和賞を、また1978年に国際人権賞を受賞しています。アムネスティは、日本の刑事司法についても、死刑制度の廃止などさまざまの問題提起をしています。
3、国連・拷問禁止委員会の勧告 2007年5月に、国連の「拷問禁止委員会」は、拷問禁止条約の実施状況に関する初の日本政府報告書の審査を行い、日本政府に対する勧告(CAT/C/JPN/CO/1)を発表しました。日本は1999年に拷問禁止条約に加入しましたが、この条約に加入した国の政府は、条約に定められた義務の実施状況について定期的に国連に報告しなければなりません。その最初の日本政府の報告書が今回審査されたわけです。拷問禁止委員会は、事前に日本弁護連合会など4つの市民団体から提出されたレポートなどを参考にしながら日本政府に対して鋭い質問をぶつけました。「法律に従って適切にやっている」としか答えられない日本政府に対して拷問禁止委員たちはあきれ、代用監獄制度の存在を厳しく批判する勧告書を発表しました。(詳しくは >>監獄人権センターのホームページへ。参考:週刊金曜日2007年7月20日号(通巻663号)pp.54-55)。 Q7、冤罪事件の学習から何を学ぶか?1、いつ冤罪の被害者になってもおかしくない まず、冤罪はいつでもどこでも起こりうる、ということを一番しっかり心に刻んでほしいと思います。つまりそれは、明日にもあなたが冤罪の被害者になる可能性があるということです。何かのきっかけで偶然、警察があなたを「怪しい」とにらんだら、あるいは被害者が「あなたが犯人だ」と言ったら、例えばそんな小さなことがきっかけで、本当は事件とは無関係なあなたが「犯人」扱いされてしまう危険があるのです。
2、「逮捕」されても「犯人」であるとは限らない皆さんはニュースの話をしていて「犯人が逮捕された」というような言い方をしていませんか? あるいはテレビでキャスターがそのような言い方をしているのを聞いたことはありませんか? でも「犯人が逮捕された」という言い方は間違いです。「容疑者が逮捕された」だけです。犯人かどうかは裁判官が決めます。逮捕とは「犯人である疑いがある」から警察が身体を拘束した、というだけのことです。調べてみたら別人だった、というようなことがありますし、実際に冤罪事件はそのようにして作られてきたのです。私たちは、「逮捕」という事実を、刑事手続の一過程として、もっと冷静に受け止めるようにしなければなりません。 3、だから、事件報道を頭から信じてもいけない新聞の報道そのものが冤罪の直接の原因となるわけではありませんが、センセーショナルな報道を事前に裁判官が読んでいて、「容疑者=犯人」というような予断をもってしまったら、冤罪が現実のものになる可能性があります。これは「犯罪報道による人権侵害」というテーマで、現代社会の重要な問題になっています。
4、冤罪への関心を高め、刑事司法に対する批判的精神を持つこと 結局、冤罪をなくすためには、一般国民がこの問題についてもっと知見(知識と考え方)を深めることが不可欠です。刑事司法が正しく行われているかどうか、捜査機関や裁判所の動きを冷静かつ批判的に監視する態度を養わなければ、冤罪を本当になくすことはできません。そのためにこそ、ぜひ学習を深めてほしいと思います。 Q8、冤罪や被拘禁者の人権問題をもっと知るには?●書籍では入門書として ○小田中聰樹『冤罪はこうして作られる』講談社現代新書、1993 ○五十嵐二葉『代用監獄』岩波ブックレット183、1991 個別事件について ○佐藤秀郎『最後の大冤罪・松山事件』徳間書店、1984○山本徹美『袴田事件』悠思社、1993その他 ○家永三郎『正木ひろし』三省堂、1981 正木ひろしは戦前から戦後にかけて冤罪救済に偉大な貢献のあった弁護士 ○赤石英『法医学は考える』講談社現代新書、1967
●映画では ○周防正行「それでもボクはやっていない」2007 (2007年1月20日から全国東宝系で上映され、大きな反響がありました)。
●市民団体では○国民救援会(正式名称:日本国民救援会) ○監獄人権センター ○(社)アムネスティ・インターナショナル日本 2006/12/31 初版 2007/1/6 再審請求手続に関する記述の一部修正、推薦の映画作品を追加 2007/7/22 鹿児島県議選挙買収冤罪事件、および国連拷問禁止委員会の勧告に関する記述を追加
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