とよティーの喫茶室
 

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■憲法使ってる?

 憲法は、日本でもっとも重要な(=日本の社会の根本について定めた)ルールです。

 憲法は、もともと国民の権利を守り増進させるために作られた“道具”なのです。

 だから憲法をうまく使いこなすことができれば、私たちはもっと豊かな生活ができるはずです。

 あなたは憲法を使っていますか? 使いこなしていますか?

Q1、憲法とは何か? 国民にとって憲法は何の役に立つのか?

◇憲法は、権力を制限するための最高法である

 教科書的な言い方をすれば、「憲法は、その国の根本的なことがらについて定めた、最も重要な法」ということになりますが、少し分かりにくいかもしれませんね。本来、憲法には「政府の権力を制限するための法である」という重要な要素がありますので、この点を忘れてはいけません。

 

◇憲法は、「国民と政府との間の契約書」であり、「国民から政府に対する人権保障命令」である

 あるいは、こう説明してみてはどうでしょうか。憲法は、「国民」と「政府」との間に結ばれた約束を文書にしたもの、つまり「契約書」の性質をもつものです。

 現代の民主主義社会では、国民(主権者)と政府(奉仕者)は「主人と従者」の関係にあると考えられていますので、憲法という契約書は、「主人である国民が、従者としての政府に仕事をさせる命令書だ」、と考えることができます。これに対して、「法律」は政府が(民主的手続きに基づいて)国民に対して発したものだということがいえますので、「憲法」と「法律」は、外見は似ていますが、本質的には違うものです。「法」について詳しいことはこちらを見て下さい。

 では、国民は、政府との間で「憲法」という契約書を交わすことによって、政府に対して何を「命令」したのでしょうか? それは、「政府は国民の人権を保障する仕事をするように!」ということを命令したのです。だから憲法は、政府の仕事ぶりを評価する際の(=政府がきちんと国民の人権を保障する仕事をしているかどうかをチェックする際の)基準になるものであり、もし政府がまともに「国民の人権を保障する」仕事をしていないときには、政府を叱る(=批判する)根拠として役に立つものなのです。

■「権力」とは何か? 憲法とはどういう関係にあるのか?

 人間をその人の意志に反して動かす力を権力といいます。権力は暴力の一種です。 例えば刃物や拳銃は暴力ですが、同時に権力ともなります。暴力は多くの社会で「悪いもの」として禁止されていますが、政府(例:警察官)は、その暴力を使って、国民に正しい行動をさせ ています。このことを、「政府は、権力という名の“正しい暴力”をもっているのだ」というふうに説明します。しかしいくら「正しい暴力」であっても 、もともと暴力であることに違いありません。もしも政府(例:警察官)がその暴力を間違って不正な目的のために使うようなことがあれば、国民は大きな危険にさらされてしまいます。

 憲法は、政府がその暴力(権力)を使って国民を害することのないように規制する役目を果たします。なぜなら、近代的な憲法では、 「政府が権力という名の暴力を使ってよいのは国民の人権を守るために必要な範囲内においてだ」ということが宣言されているからです。このような宣言を「人権宣言」といいます。

 憲法はその国の最高の法であり、近代社会においては、たとえ政府といえども憲法には従わなければなりません。ですから「人権宣言」を盛り込んだ憲法をしっかり決めておくことは、政府の横暴から国民を守ることにつながるのです。 

 言い換えれば、人権宣言が含まれていない憲法は、たとえ名称が「憲法」であったとしても、それは近代社会でいう「憲法」ではないのです。例えば古代日本の聖徳太子が作った「十七条憲法」は、当時の大和朝廷の政治の心得を述べたものであり、人権宣言を含んでいませんので、近代社会における「憲法」ではない、ということになります。

■憲法と政府の関係は、檻と猛獣の関係に等しい

 ですから憲法は、猛獣を檻にいれるのと同じように、権力をもった政府にかぶせた檻だ、と言えるわけですね。

 そもそも憲法を理解するためには、「政府は放っておくと何をやるかわからない、国民にとって危険な存在なのだ」という認識・意識を持つことが必要です。この認識・意識がないままでは、憲法を十分理解することができません。私たち日本人の多くは、この点でまだまだ未熟なところがあります。「お役人様の言うことは黙って従っておいたほうがよい」とか、「上に立つ人は自分たちを指導してくれているのだ」というような、江戸時代のような意識のままで生活していると、なかなか「政府の横暴から国民の人権を守るのが憲法だ」ということが理解できないだろうと思います。

 日本国憲法が、第99条で、「天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負う」と定め、公務員に憲法尊重擁護の義務を負わせているのは、このような考え方を背景にしています。

Q2、憲法はどのような歴史から生まれたか?

(1)原型は13世紀のイギリス

 「憲法」の原型は、13世紀のイギリスにあります。1215年に、当時のイギリス王ジョンが、貴族たちの特権を認めさせられた「マグナカルタ(大憲章)」がそれです。右の【写真】(大英博物館所蔵/著者撮影)はその一部です。

 現在でもイギリスには成文憲法(文字で書かれ法典として制定された憲法)がありませんが、その理由は、イギリスではこのマグナカルタ以来の多数の重要な法によって蓄積されたルールそのものが「憲法」として考えられているからです。

 

(2)直接の起源は17〜18世紀のヨーロッパ

 現代のような成文憲法が作られるようになったきっかけは、「社会契約説」とよばれる思想に影響されて、17〜18世紀にアメリカとフランスで起きた市民革命です。 17〜18世紀ころのヨーロッパは、(既に革命を経験していたイギリスを除いて)、王による専制政治が一般的な政治形態でした。王は自由・勝手に法律を制定して、増税をするのも戦争を始めるのも、また気に入らない者を処罰することも、簡単にできるような時代だったのです(絶対王政といいます)。だから、その当時の「法」は、王の意思を人民に示すものでしかありませんでした。

 このような王の専制政治に反対して、市民階級に属する人々が市民本位の政治を実現しようとして起こした“政権奪取事件”が市民革命です。最初の市民革命は、1642〜49年にイギリスで起きた「清教徒革命(せいきょうとかくめい。「ピューリタン革命」ともいう)」で、次いで1688年に同じくイギリスで起きた「名誉革命」、1775年のアメリカ独立革命、1789年のフランス革命と、市民革命が続きました。

 アメリカとフランスでは、革命を起こした市民は、王の行動を制限し市民の人権(自由・平等)を守るために、 @「政治権力者は国民の人権を侵害してはならない」ことを宣言してその内容を列挙し(人権宣言)、 Aそれらの人権を守るための政治のしくみ(例:議会制と三権分立)を規定したものを、「最高の法」として制定するようになったのです。これが成文憲法の始まりなのです。

■人の支配/法の支配/法治主義

 王のように権力をもった人間が、自分の思い通りの法を作り、人民に守らせるような支配のありかたを「人の支配」と呼びます。これに対して、法を最高のものとし、たとえ王といえども、勝手に法に逆らうことはできないような支配のありかたを「法の支配」と呼びます。市民革命は、 それまでの「人の支配」の社会から「法の支配」の社会へ転換させる分岐点だったといえます。なお、「法の支配」と良く似た言葉に「法治主義」というものがあります。似ていますが意味は異なります。

人の支配

王のように権力をもった人間が、自分の思い通りの法を作り、人民に守らせるような支配のありかた。権力者が自分の思い通りに世の中を動かす ことができる。近代以前の社会の考え方。

法の支配

法を最高のものとし、たとえ王といえども法に逆らうことはできないような支配のありかた。「人の支配」に対立する考え方。「法は正義にかなうものである 」という前提が暗黙のうちに含まれている。近代社会の考え方。「法」について詳しいことはこちらを見て下さい。

法治主義

「議会で制定された法に服従すべし」という考え方。法の中身が正義にかなうものであるかどうかは問題ではなく、議会で制定された 法には(その内容にかかわらず)従わなければならない、という考え方。

■法の支配と法治主義はどう違うか?

 例えばヒトラーのような独裁者が、議会を 牛耳って国民の利益を損なうような自分勝手な政治を可能にする法律を作り、その法律に基づいて独裁政治をする場合、それは外面上「法治主義」の政治ではあるとしても、 決して「法の支配」ではない、ということになりますね。

 逆に、議会が正義を実現する法律を制定し、それが実際に社会内部で効力を発するならば、「法の支配」と「法治主義」は両立していることになります。


2007/06/10 初出

2007/08/15 憲法尊重擁護義務について追記