必殺誕生 秘話

まずはじめに 俺がこの世界に入ったキッカケを話します。あれは何歳の時やったかな?、25歳は過ぎとったと思うけど、当時の俺は宅配便のドライバーというオモシロクもない仕事を生活の為だけにやってましてな、まぁ仕事だけやったらガマンしてでも続けてられたと思うけど、でもこうゆうところは人間関係が難しくてね、特に俺は人とは違う異質なキャラやったから、他の奴等と一線を引かれたような状態になってしもうて、ほんで居ずらくなり自然に仕事を辞めてしもたんや、それでブラブラしとっても仕方ないから次の仕事を探そうと求人誌を見とったら家の近くの造園屋が募集しとったから 冷やかし半分で面接に行ったら すぐにでも来てくれと言われて、あれよあれよのうちに採用になったんや。はじめは先輩といっしょに植物リースの手伝いをやり、この会社はこんな事をやってるんやなとその時知ったんや。そんで時が過ぎ6月頃になると会社はハシゴだの石だの見た事もない道具をトラックに積んで「おぃ 島田現場に行くからな」といきなり言いよる、現場てナンノ現場やと思ったけど、まぁ着いて行ったらええかと軽い気持ちで行った。現場に着いたら庭の手入れの仕事や、専務は俺にタマツゲを揃えるようにと命令し切れの悪いハサミを渡されタマツゲを揃えた。おぃおぃ 素人にいきなりこんな事させて大丈夫かいなと、口に出して言いたかったけど鬼瓦みたいな顔した専務が恐かったので言うのをやめた。今までの事を見ても分かるようにここの社長をはじめとする専務や他の職人は、入社したばかりの俺に仕事の説明はなく、何の仕事でもいきなりさせよる、まぁ俺にしたら説明が有る無しなんかは どっちでもええ事やけど、むしろ説明無しのぶっつけ本番の仕事の方が逆におもしろかったな。

そんなこんなで数ヶ月が過ぎ、仕事を覚えるというより 会社はどんな仕事をしているのかが大体理解しだしてきた。主な仕事は造園、手入れ、バッサイ、植栽、消毒、盆栽造り、門松つくり、植物リース、イベント・プロデュース、生花売店経営、などケッコウなんやかんや手を広げてやっていたな。俺は俺で入社半年ぐらいでこの仕事の面白さが分かってきて、植物の種類や剪定方法などは本で必至こいて勉強した、社長はまず現場に来ないので自然に専務が俺のお手本になるけど、俺は専務の技術を盗もうとはせえへんかった。よく職人のワザは目で盗めというやろ、俺はそれに反発したなっただけや、今の俺の身についてる技術はその辺の本屋で売っている剪定の専門書を見て、それを実行した積み重ねや、だから100%自己流の素人流や、でも今考えたらこのほうが良かったと思う、何でも自分でやるという事は それだけ仕事の飲み込みが早いと思うし、それに頼れるのは自分だけやからなと、みょ〜な責任感もわく、この他人の事は関知せず体制の専務をはじめとする社員に、俺は感謝しゃなアカンな。






社長と専務は・・・


ここでは この会社の重要人物の社長と専務の話をしましょか、社長は言わずと知れたこの会社の最高責任者、先代は俺が入社する少し前に亡くなったみたいで、噂によると先代はたたき上げで物凄く厳しい人物やったらしい、戦後すぐに今の専務といっしょに会社をおこし、ここまでの会社にした。ほんなら何で2代目はあんなに頼りないんやろか、持って生まれたものか、それとも育て方に問題があったんか、でもこうゆう2代目が頼りなくて会社を潰す話はよう聞くけどな、この会社も その口やったんかな。

社長そのものの人間性は悪くないと思うけど、ただ もっと現場に出て 俺らと仕事しゃんとアカンと思うで、そうせんと親近感が湧けへんがな、一現場に一日でもええから顔を見せやんと社員の示しがつけへんで、でも性格なんかな、机の前に居るのが好きみたいやねん、まぁ社長やらド〜ンと構えとったらええかも知れんけど、でも俺は何かが間違ってるような気がするけどな。


専務なる人物は年のわりには力があり、その辺の若い奴より元気やろ、俺が入社した時 すでに60歳は過ぎとったと思う、見るからに頑固モンという感じで、パッと見は三国連太郎みたいや、今までの社員は専務に対してビビッてたみたいで とにかく顔が恐い、初対面の奴やったら絶対に殴られると思うやろな、それぐらい いやつ感がある。性格は自分からはほとんど喋ってこない、たまに見せる笑顔は周りを凍らせる。

専務と数年間付き合ってると しだいにうちとけてきた、俺は専務に対して必要以上の敬語は使わず、専務も俺に対して同等の喋りをしてくれた、長い会社歴史のなか専務と同等に付き合えたのは 俺を含め数人だけみたいや、なんか誇りに思えてきたな。

それから この専務と社長はとにかく仲が悪い、2人が話してるのを見た事がない、2人は互いの悪口を俺らに言いにきよる、悪口を聞く俺らはええかげん疲れる、それでもまだ悪口を言い合いしている、子供の喧嘩以下や、よっぽど2人は憎みあってるんやなとその時感じた。






キャ○ンの陰謀


なんやかんや言いながらも この会社に入って数年がたった、そんな時専務の定年をあと少しと言う時に 社長は俺に言った、専務が辞めたあと 造園と生花の部門を拡張し、またその他の関連事業も広げると嬉しい事を言ってくれた、社長は自分のしたい事があっても専務が居たからガマンしてたという、幸いにもこの頃はバブルのピークで黙っていても仕事がバンバン入ってきた、それに会社所有の山がゴルフ開発の為 高値で売れたみたいで、お金が天から降ってくる状態やった。俺らも現場で仕事をしていても、近所の人が寄ってきて「私の家もやって」と まぁダイコンを買うみたいに平気で言ってくる時代やった、あのときは あまり感じなかったけど、あれも ひとつのバブルやなと今思う。
無事 専務の退職祝いの会が終わり、社長は喜びマンマン、さぁ 新しい旅立ちやと思ったやさきに大事件発生、OA機器メーカーのキャ○ンの連中が何やら うちの社長にヒソヒソ話、俺ははじめ あそこの会社と何か手を組んで仕事をやるんやな と、その定度しか思っていなかった、ところが どっこいフタを開けたら社長はOA機器関係の仕事をすると突然発表、どうやらキャ○ンがうちの社長が小金を持ってるのをどこかで嗅ぎ付けたらしく、それでOA機器関係の仕事を持ちかけたみたいや、持ちかける方は仕事やから しょうがないけど、受ける方はハッキリ言うてアホや、今まで造園関係の仕事しかしたことないのに畑違いの仕事が出来る訳ないやろ、何であんな話を真に受けたんかな。キャ○ンの言い分によると、仕事はこっちで何とかするから社長はお金だけ出してくれたらええと、うまいことだまされたみたいや、また今の造園屋の仕事より儲かると言われ、これまた絵に描いたような お決まりのパターン、俺は会社や社長ウンヌン関係なく、まだ こんな事でだまされるアホがおる事がフシギでならん。
キャ○ンの積極的な行動で 俺らの会社はあれよあれよのうちに模様替えに追い込まれた、会社の事務所には当時 一台500万するカラーコピーが数台入り、その他ややこしいモノがドンドン入ってくるため、俺らの造園関係の道具は放り出された、何をしゃがるんじゃと思ったけど、社長にはOAの事しか頭になくキャ○ンに洗脳されてた。さすが向こうもプロや、弱い人間と見たら、 かさにかかって攻めてきよる、この頃からキャ○ンの他にも京都のアンコ○モと言う会社がうちの社長に目をつけてきた、ここはキャ○ンの関連会社みたいで、2社から攻められたら もう絶体絶命や。
それから数ヶ月ぐらいたったやろか、社長は本業の仕事はそっちのけで毎日OAの仕事をしている、あの造園や生花の拡張の話はどないなったんや、と 俺は怒りに燃えていた。そんなある日怒りさえも吹き飛ばす事を社長は言った、「今度社名を変更して、造園の方は「部」として扱う」とぬかしやがった、お前はそれでええかも知れんけど、今まで働いてきた俺らはどうなるんや、造園の人間も何人かはOAの方に行き、俺らの仕事はますます縮小に追い込まれた。
それからしばらくすると 今度はシャッターなどに絵を描くロボットをトラック込で2000万で購入しよった、それに難波の繁華街に店を出し、そのあとすぐに駅前ビルにも店を出しよった、この頃はキャ○ンの入れ知恵か勢いが凄かった、逆に俺らの仕事は坂道を転げるように落ちていく。







必殺 アリ地獄へ


会社は あいも変わらずOA関係の仕事中心や、仕事というても 持ち込み写真をカレンダーにするとか、同じくTシャツにプリントするとか内職的な仕事ばっかりや、この仕事をはじめる時にキャ○ン側から 仕事を取る凄腕の営業マンを送り込む契約になってたけど、その契約は果たされていない、利益の低い仕事を社長の家族が毎日頑張っている、まるで町工場みたいな光景や、なんで そこまでして こんな仕事をするんやろか、一連の社長の行動を見とったら理解出来へんことばっかりや。
バブルも徐々にハジケだし、カレンダーやTシャツの仕事も減りだした、と言うより同じような仕事が他にも増えてきて競争相手が多なったんかな、たしかに社長がプリント印刷をはじめた頃は まだ珍しかったけどな、でも もう後の祭りや、うちの会社の状況を見てキャ○ンの接触が少なくなってきた、もう うちからお金が取られへんと思ったんやろ、話を持ちかけてくるのも早いけど退散するのも早い、それが大手企業やな。キャ○ンからソッポを向かれた社長に残ったのは莫大な借金、そのおかげで造園部に勤めている俺らの給料は遅れだした、造園部は黒字でやってるのに、OAの赤字で俺らが尻拭いしている、考えると腹が立つやらアホらしい、しかし同じ会社内での収入やから助けたらなアカン。この時社長よ はよ目を覚ませと思った。
造園部の人間も給料が遅れ出してから 徐々に辞めていき、最後に俺と 今いっしょに仕事をしている相方の2人になった、2人で造園部を維持していくのは難しいけど、それでも何とか頑張ろうと励ましあった。2人になった時からは 夏の手入れ時期でも他の職人の応援を断り 出来るだけ2人でやるようにした、職人を頼むと日当がいるもんな、これは世間知らずの社長の為にやってるのと違う、自分らの為やと言い聞かせて せっせと働いた。
この時の給料支払方は まず給料日に5万ぐらいもらい、一週間後に3万、数日後に2万とか こんな状況やった、だから今月分の給料が来月にクイコミ、来月分が再来月にクイコムというぐわいになって、今回貰ったお金は何月分か 途中で分かれんようになった、おおざっぱに計算したら実際の給料は5万〜10万やろな、俺が辞める1年前ぐらいからは3万ぐらいと違うか、ここまで悲惨な目にあって なんで辞めへんかというと、この仕事と会社に愛着があるからや、社長には無いぞ。
こんな給料の少ない時に 俺は伝説を達成した、それは某映画会社会長宅に1人で庭仕事をしたんや、普通は5人で4〜5日かかる仕事を、俺は1人で17日間でやってのけた、それもお盆の暑い日にや、この時の大阪は毎日38度以上の猛暑が続いた、たしかこの時の気温が今でも大阪の記録になってるやろ、これは植木屋仲間でも少しは評判になっているんや、少ない給料で何でここまで頑張れたかというと、それは今言うた給料が少ないからや、給料が少ないから仕事中でも腹がたって「クソッ〜、コンチクショウメ〜」でチカラが出るんや、人間は逆境に出くわすと2つに分かれる、そのままオメオメと楽な方に逃げるか、それとも文句や小言をいいつつ体を動かす事によって、それをごまかして自分のパワー そして肥しにする、俺は後者の方や、知人はそんな俺を見てアホ違うかという、その言葉も俺はパワーと肥しにして大きくなる。話を戻すけど会長宅に仕事にいって中日ぐらいの時、会社で朝 社長一家と出くわした、俺は今から仕事に行く準備をしていて、社長は家族で旅行に行く準備をしとった、お盆休みやから分からんでもないが何かイライラしてくる、ウソでもええから俺に仕事を手伝おうかと よう言わんのか、こんな社長一家を見たら 今までにない超フルパワーが足の指先から脳天にと ケムリを出さんかの勢いで出てきた。こんな事ばっかりしとったら しまいにオーバーヒートしてしまうな。あっ! それから最後にこの手入れ期間中は毎日仕事前に千円ぐらいのユンケルを飲んだ、17日間飲んだから全部で1万7千円の出費や、安月給でどないしてくれるんじゃ、これもパワーと肥しにしょうかな。






そして倒産・・・


キャ○ン撤退後も社長をはじめとして 家族がプリントの仕事を続けていた、仕事が少ないと言いながらもさすがに12月ともなればカレンダーの注文が多かったのか、一家は徹夜で作業に追われていた、カワイソウなのが社長のお母さん、今までやったら机の前でお茶を飲みながら電話番だけをしとったら良かったものを、アホボンの為にプリント印刷の仕事を手伝うはめになってしもうて、見ていてこっちがナミダが出てくる、今までは年のわりにはきちんと化粧もしていて いつも こ奇麗やったのに、プリント印刷をするようになってからは髪を振り乱して急に老けていったみたいや、もちろん化粧なんかもしてへん、ただ働くのみの生活や、これは見ていてマジでカワイソウになった。
この頃はさすがに会社も傾きだしてきた、手始めに社長の新築の家が借金のかたに取られて、仕方ないんで社長一家は会社の3階に家財道具を持ち込み生活をはじめた、ここでまたカワイソウなのが社長のお母さん、冬の寒い夜に会社の冷たい床の上にフトンをひいて寝やんとアカン、社長一家らはガマンできるかも知れんけど年寄りはキツイと思う、そんなことがたたったのか、お母さんは体調をくずし 入退院のくり返しを続けた、そしてとうとうお母さんは亡くなった、お母さんが亡くなった事さえ俺には知らせへんかった、俺は今まで会社とどんな付き合いをしとったんやと この時は物凄く腹がたった。
お母さんが亡くなってから 社長はクラウンを購入しよった、近所からはお母さんの保険金から買うたのと違うかと噂がたつ、そらそうやろナンボ何でもおかしいで、でも これは後から分かった事やけど クラウンをローンで購入して、すぐに売却して現金にしたみたいや、それほどこの時は金に困ってたんやな。
お母さんがなくなってからは 植物リースの集金は社長のお姉さんが書くようになったが、ここで困ったことにお姉さんが会社に出られない時は領収書は出ない、そうすると植物リースもいけないし、また月一回の大規模な集金日にも行けない、俺は社長にこっちで領収書を書きましょうかと言ったが、社長は領収書を手アカで汚したら税務署が・・・と、遠回しで俺の事を信用してへんのか断りよった、そしたら社長が書いてくれるのを待つしかない。そしてある日その月一回の大規模な集金日の日がきたが領収書は出来ていない、俺は もう社長に何で領収書が出来てないんかと聞くきにもなれんのでその日の集金日は休んだ、そしたら あくる日に社長は 何で昨日集金に行けへんかったんやと激怒した、すると俺は領収書が無いからやと言い返すと社長はお前は何年この仕事をしてるんやと、もうメチャクチャな返答をしてきよる、この時殴り合いのケンカになりかけたけど、こんな奴殴ってもしょうがないから違う方法で勝負したろと瞬間に思った、その違う方法と言うのが会社を辞めてここの得意先を取ったると言う勝負や、そうと決まったら次の日に一身上の都合で退社届けを出し努力賞の10万円を退職金代わりにもらいその場を後にした。
会社を辞めてから すぐに得意先を取る行動に移した、お得意さんに今までの事を全部話したら植物リースと庭関係の得意先の8割が俺とこに来てくれた。嬉しいことや。でもホンマはこんな強引な事はしたなかったけど、成り行き上こうなってしもたけど、まぁこれも仕事をしていくうえでの一つの通過点やなと気持ちをきりかえた。それからしばらくすると社長の会社は倒産した、キャ○ンとその関連会社に食い物にされて、そして最後は俺がトドメをさした形になったんかなと寝つきの悪い毎日が続いた。





そして独立・・・


得意先を確保したものの これからが大変や、でもこれも乗りかかった船 こうなったら一生植木屋人生やなと心に決めた、それまでは確かにこの仕事は好きやったけど一生植木屋とは考えた事がなかった、人生って どこでどうなるか分からんモンやの、この世界に入ったきっかけも家から近いと言う単純な理由、それで働いていくうちにネクタイを締めた仕事より面白そうと感じて、あっという間に数年が過ぎた。ほんでもって2代目の乱心で会社がメチャクチャになって最後は2代目とケンカ別れで俺が会社を去る。うぅ〜ん波瀾万丈の年月を過ごしたな、でもこのおかげで天職を見つけたんやからな、ホンマ人生って分からんな。

2代目の会社が倒産と共に 相方と共同経営の形で独立後の仕事を進めた、肩書きは相方が代表者で俺はペーペー、これから仕事を大きくするのには若い奴が代表でいる方がメリットがある、また俺もこのポジションの方がチカラが出る、俺は元々社長とか親方だのランク付けみたいのにはゼンゼン興味ない、俺は俺!島田のいっちゃんや。60を過ぎて まだこの仕事をしとって周囲から親方呼ばわりされたら絶対拒否するやろな。

仕事の話に戻るけど、これからは植木 造園関係の仕事にこだわらず、チャンスがあれば他の仕事も挑戦する、他の仕事いうても本業とつながりのある仕事やで、最近はどの業界も不況風が吹いてるけど、でもどっこい!俺らの業界はまだまだ眠ったままの宝の山がドッサリあるぞ、その宝の山を掘り起こそうやおまへんか、ネットで仕事を取るのもええけど、期本はあくまで己の体が動いてこそ仕事、ネットはその道具の一つやの、独立をしてからはこの事を痛感した。