4、本宿諏訪神社の由来





本宿諏訪神社
 
 本宿に鎮座する諏訪神社はいつどこから誰のてによって本宿に祭られたか不詳である。しかし、氏子代々の申し伝えによれば、長野県の諏訪大社であるとされる。
 本宿は元和5年頃に三島代官所の管轄に入っているが、この頃三島代官の今宮惣左ヱ門は本宿村へ新田開発を打診した。本宿村は北部の水掛の地に鎮座していた諏訪明神を移しその地を新田とすることとし、今宮代官もこれに賛同した。 遷宮の場所は、南部の人家の多いところを物色し、現在の神社の場所となった。

 その後、本宿村の管轄は三島代官所から沼津代官所に配属が変わった。そのため今宮代官が認めようとした宮地の年貢除外は不履行となった。本宿村では独自に神社に作人をおいてお供えや宮の修理などを行い、諏訪神社を大切に保存してきた。
 それから40年後、本宿村は今宮代官のお墨付きも得ているとして宮地を御供免地として申し出、延宝2年の検地の際に宮原を含めて除外されることとなった。
                   
 諏訪神社の祭典は明治維新となるまで限られた宮内の家々で行ってきたが明治時代となり、村内の家数も増加したことから明治14年1月より本宿村全体で祭典を行うことと改めた。