日高市高麗石器時代住居跡 (日高市大字台79-1) |
日高市は、埼玉県南西部に位置し、関東平野と秩父山地の境界にあり、山あり川(高麗川)ありの自然豊かな街です。
大勢の人が、ハイキング・バーベキュウなどで自然とのふれあいを楽しんでいます。
アクセスは、西武秩父線の高麗(こま)・JR八高線/JR川越線の高麗川(こまがわ)です。
車では、国道299号線、県道川越日高線です。高麗川の川原はガーデンパーティー会場に!!
高麗(こま)郷土の歴史
現在の埼玉県(北武蔵)に渡来人が移住してきた確かな記録は、 壬生吉志 (みぶのきし)の入植が6世紀末頃にありますが、本格的な移住は7世紀の後半、朝鮮半島で百済・高句麗が滅びたことによって始まりました。
年表666年 | 天智5年 | 百済人2千余人を東国に移し、3年間官食を支給する。高句麗国王は飛鳥の宮廷に使者を送る。その中に二位若光なる人物がいた。 |
668年 | 天智7年 | 唐・新羅の連合軍により、高句麗も滅亡し、亡命者が多く日本に渡ってくる。 若光 も帰国することなく日本に移住。 |
684年 | 天武13年 | 百済人23人を武蔵に移す。 |
687年 | 持統元年 | 高句麗人56人を常陸に移す。 |
687年 〜4年 |
持統元年 | 新羅人を下野・武蔵に数十人の単位で随時移す |
716年 | 霊亀2年 | 従五位下高麗若光、高句麗王族のひとりとして王姓をあたえられる。朝廷は甲斐・駿河・相模・上総・下総・常陸・下野など七カ国の高句麗人(高句麗からの渡来人)、1799人を武蔵国に移し、高麗郡(こまぐん)を置きました。 |
高麗神社(こまじんじゃ)は、これら高句麗人の統率者 若光(じゃくこう)を祀る歴史ある神社です。聖天院(しょうでんいん)は、若光とともに渡来した僧勝楽(しょうらく)の冥福を祈って創建された寺で、若光の墓があります。