広島うまいざんすトップへ ギムレットには早すぎる

 

ギムレットにはまだ早すぎるね。

 レイモンド・チャンドラーの名作『長いお別れ』の一節。チャンドラーといえばハードボイルド小説の名手で、酒を小道具に使わせたら右に出るものはそうそういない。フィリップ・マーロウ。主人公の名前がまたなんともいい響きではないか。なんだかこの科白を聞いているだけでも格好いいぞ。科白だけが一人歩きして有名になったのも頷ける。実際に原作を読んだことがなくても、男の強さと渋さを感じさせてくれるではないか。
 
 マーロウは自らのスタイルを貫く男。もちろん酒に関しても一家言持っている。ギムレット。ドライジンにライムを搾りシェークする。ライムの酸味と仄かな苦み、そしてジンのキレと辛み。あくまでも辛口に男らしさを演出する。飲むシチュエーションにもこだわりがある。自分の世界と向き合う時間。そうでなくてはこの酒を飲む価値などない。だからマーロウは、乾杯を促す相手に向かって冒頭の科白をうそぶく・・・ギムレットとはそういうものなんだ。
 
といった感じだろうか?言葉のイメージだけから受けるマーロウという男とこのハードボイルド小説の印象は?こんな内容でもいい。確かに痺れるほどにカッコイイ科白だから。だが言葉の響きに騙されてテキトーな解釈をするのはむしろ愚かしい。大嘘である。嘘っぱちである。デタラメの限りを尽くしている。よくもまぁこんないい加減なことを書けるなと、自分で恥ずかしくなってしまった。罪滅ぼしに原作のことをチョイチョイと書いてみるので、今まで勘違いしていた人は参考にしよう。もちろん原作を自分で読んでみるのがbestなのだが。
 
 まず第一に、マーロウはスーパーマンじゃない。確かに喧嘩はそこそこ強いが、それでもピストルで撃たれたり殴られたりすればお陀仏なことに変わりない。物語の中でも何度も殴られたり、刑務所に入れられたり、殺されかけたりしている。別にヤバイ状況をスルスル切り抜けられる訳じゃないのだ。ハードボイルド小説と聞けば暴力的なものだと決めてかかる人がいるが、実はそうではない。マーロウが強いのはむしろメンタルの方。どのような事態に陥っても自らの人生観を曲げない意志こそがハードボイルドの主人公の証。気にくわないヤツはぶちのめすといった類の小説は、ハードボイルドではなくてバイオレンスアクションだ。むしろ精神的にはお子ちゃまだろう。一緒にしてはいけない。
 
 次に、マーロウは別段ギムレットに執着があるわけじゃない。飲み仲間のテリー・レノックスが

ほんとのギムレットはジンとローズのライム・ジュースを半分ずつ、ほかには何も入れないんだ。マルティニなんかとてもかなわない。

なんてことを言っても、

ぼくは酒に関心を持ったことがない。

と、サラリと受け流して話題を変えている。だから昔から特にギムレットを好んでいたのではない。それでいながら彼らが一緒に酒を飲むときには、決まってギムレットを頼むのだ。単にレノックスにあわせているだけではあるが、マーロウが口には出さずとも相手の心に同調している証拠である。そして物語としての伏線の役割もしっかり果たす。う〜ん、チャンドラーという作家は・・・。カクテルについて少々聞きかじった人は、このレノックスの科白をマーロウのものと勘違いしている。自分のスタイルを確立した男が飲む酒はこれだと。だがそれでいいのか?
 
確かにレノックスは自分の人生観を曲げたりしない人間だ。マーロウが礼儀をわきまえた人間として認めているくらいなのだから。しかし言ってみればレノックスはダメ人間だ。出会いの場面からして酔いつぶれているし、二度目にはショーウィンドーの前で文字通りゴミのように転がっており、危うく留置所で一夜を過ごすところだった。なぜだか分からないが大金持ちの娘と結婚し、一度はこれまた文字通り捨てられている。友達はいないが昔の恩義で助けてくれる人間はいる。どうしようもない男だ。復縁して大金持ちに戻るが、今度は妻が殺害され、逃亡の手助けを唯一の友人であるマーロウに求める。

君のような人間はいつもすまないといってる。しかも、いうのがおそすぎるんだ。

なんてことを言われる。いいのか?こんなレノックスのこだわりをそのまま真に受けて?いやいいのかもしれない。レノックスも誇りのために全てを捨てた、男の中の男だ。そういうことにしよう。だがマーロウの科白と勘違いしたままでカクテルを飲むのは少々まずかろう。原作を読んだことのある女性に鼻先で笑われても知らないぞ。
 
 ここでギムレットについて考えてみる。レシピではドライジンにライムジュースを加えてシェークすることになっているが、その比率は半分ずつではないことが多い。バーで注文すれば、ジンの多い辛口カクテルとなってお目見えするはずだ。しかもフレッシュのライムジュースを使えば、甘みが少ないので余計辛口になる。甘みの調整は砂糖やシロップ、苦みはビターで。これはこれで旨いカクテルだが、こんなものを飲んでもレノックスの気持ちなど分かるまい。コーディアルのライムジュースには予め甘みがつけてある。日本には正規輸入できないが、レノックスが好んだとされるローズ社のそれは、ギムレットに使うと非常に旨い。いや、ギムレットを作るためにあるようなライムジュースだ。レノックスが「マルティニなんかとてもかなわない」と言いたくなる気持ちもよく分かる。しかし甘い。非常に。ハーフ&ハーフで作ったら本当に甘い。スウィートギムレットと別称で呼ばれてしまうくらいに。
 
要するにこの酒でレノックスの人となりを表しているのだ。ライムの酸味とジンの辛さ、キレ。サッパリとした中に微かな苦みを有する。これがレノックスのイメージする男であろうか。しかし本人が好むのは、非常に旨いが同時にとても甘い酒。甘さの中に辛さなどが影を潜めてしまっている。そういう男なのだ。その証拠に、ライムジュースの銘柄は甘いローズ社のものに限定しているのに、ジンのことはなにも言っていない。普通逆だぞ。バーへ行ってマティーニを飲むとする。「ご希望はありますか?」と聞かれてベルモットを指定する人がどこにいようか。これはチャンドラーが密かに敷いた伏線と見て間違いない。しかしそれにしても、ローズのライムジュースがないだけに、どれだけの人に無意味な伏線となっていることか・・・
 
 だが二人がよく通ったバー、ヴィクターにローズのライムジュースはなかった。だから普通のギムレットを飲んでいたことになる。そしてレノックスは旅立ち、容疑者を逃す手助けをしたかどでマーロウは逮捕されるが、彼に宛てた遺書を残してレノックスが自殺したことで釈放される。

事件についてもぼくについても忘れてくれたまえ。だが、そのまえに、ぼくのために<ヴィクター>でギムレットを飲んでほしい。

という妙な遺書。それほど深いつきあいでもないのに、このような些細な約束をわざわざ果たすものだろうか。ロマンチストである。同時にマーロウの中でレノックスへの友情が芽生えていたということでもある。何度目かにようやくヴィクターのドアをくぐると、バーテンがローズのライムジュースを仕入れて待っていた。初めて開けるジュースを用いて、レノックスのレシピでダブルのギムレットを味わう。

ライムジュースのために、うすい緑がかった黄色の神秘的な色になっていた。口をつけてみると、やわらかい甘さとするどい強さがいっしょになっていた。

マーロウが評する。人間は行動ではわからない。人間を判断するのなら、その人間を知らなくてはいけない。ようやくレノックスのことを理解した、といったところだろうか。この場面は他の作品でマーロウと結婚することになるリンダ・ローリングとの出会いの場面でもあるのだが、彼女との会話で「彼を好きになった」と話している。彼が妻を殺したとは信じていないことも。そして、酔っぱらう。想いに浸るというのはそういうことかもしれない。マーロウの真似をするのなら、こういった繊細な気持ちと意志の強さが混在した科白を真似たいものだ。

ぼくはまだほんとのさよならをいってない。君がこのコピーを新聞に出してくれれば、それがさよならになるんだ。ずいぶんおそくなったがね。

マーロウは闇に葬られたはずの事件の全容を明らかにし、新聞への掲載を依頼する。隠蔽した実力者がいい顔をするはずもない。いや、生命に危険が及ぶことは必至だ。いくら強い人間だって、精神が強靱でなくてはこんなマネはできないだろう。むしろ力の強いものほどより大きな力には尻込みする。だが、真にタフならば相手の如何によらず自分のスタンスを守ることができる。さよならを自分の心の中で言うという、それだけの理由で我が身を危険に晒す。誇りとはそういうものかも知れないが、たぶん私には真似できないだろうな。だからこそ憧れるのだが。
 
 レノックスはメキシコで顔を変えて生きていた。マイオラノスと名乗り、マーロウの前に姿を現す。はじめは他人を装っているが、マーロウがことの真相を推理して聞かせると、レノックスが言う。

ギムレットにはまだ早すぎるね。

これだ、ほとんどの人が勘違いをしているのは。一番有名な科白のくせに、誰が喋ったのかきちんと把握されていない。そんな名科白が許されるのか?もう二度と会うことがないと思われた二人が再び相まみえる。レノックスの心の内はマーロウに対する感謝と友情で溢れかえっていたに違いない。どうして「まだ早すぎる」という言葉なのか。自分が書いた遺書の中で、自分を忘れてギムレットを飲むように書いたからだ。ギムレットは二人の友情の証。マーロウ一人で飲んでしまえば、それは永遠の別れの印。つまり自分をまだ友人と思ってくれるかという願望だ。まだ二人でギムレットを飲んでいられるという・・・。しかしマーロウは共に杯を交わすことを頑として拒む。

君とのつきあいはこれで終わりだが、ここでさよならはいいたくない。ほんとのさよならはもういってしまったんだ。ほんとのさよならは悲しくて、さびしくて、切実なひびきを持っているはずだからね。

本当の友情を間に挟んだ別れというのはこういうものかもしれない。最後の最後でベタベタしても仕方がない。心の繋がりができた時点でもう二度と会わない。その潔さが読者の心を打つのだ。マーロウのような皮肉屋が近くにいたらいやだ。しかし心のそばにいてほしい。自分も精神的にタフになりたいと願う。あぁハードボイルドとはこういうものだなぁ。
 
 今まで勘違いをしていて、読みながら赤面してしまった人はどれほどいるのだろうか。いいではないか。間違いにこだわらずとも。偉そうに書いているが、実は私だってまるっきり誤解していた。そんなときには酒を飲んで寝てしまおう。

むりに酒をあおって、正体なく酔っぱらった。少々さびしかったんです。

マーロウだってこんなことがある。気持ちの整理がつかなくて酒に頼ることがあってもいいではないか。私のような甘い人間は、都合のいい部分だけしか読もうとしない。ハードボイルド小説の名作も形無しだな。
 
文中の科白などに関しては、全てハヤカワ文庫『長いお別れ』清水俊二訳から引用しました。
 
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