地域内分権に対するある一つの視点

 

  

一厘の仕組(日本編)

森本 優(2005/12/10)


Xさんに対する反論

平成17年12月4日 森本優

 

 Xさん、メールありがとうございました。

 前回X・森本間でやり取りした内容(本文に添付)について、「つくる会」全体の問題として問題提起されたことはとても良い事だと思います。

 森本も、「つくる会」の人たちがどのくらい深く考えているのか、いつも不安でした。このまま簡単に基本条例ができてしまっては、一般市民のものとはならないだろうと思っています。

 今回のXさんの問題提起を、「つくる会」だけでなく、一般市民をも巻き込んだ深い議論にしていければと思います。

 先ず、森本から問題提起に対して項目別に私見を述べることにします。

 

一、Xさんが引用するY氏の説に関して

 Y氏は『現在の地方分権の展開は、国から地方公共団体への事務再配分に留まっている。この流れを地域にまで貫いて、地方自治体から地域住民自治組織にまちづくりに関する行財政権限を移譲することを実現することによって、地方分権は完成する』と述べ、『近隣住民自治組織への分権により、その組織が地域内の行政活動の一部を担う自治システムの確立を展望したい(要約森本)』と主張しています。

 それを受けてXさんは、『究極的な自治は、市町村レベルの大きさではなく、もっと狭い範囲の地域の住民自治であり、地縁団体・組織への地域内分権によって真の住民自治が達成されるはずだ(要約森本)』と主張されます。

 

 以上のような主張に対して、森本は次のように考えます。

 町内会・自治会等の地縁団体・組織は、元々は独立した自治組織であり行政の手足ではありません。

 つまり、自治組織というものは、行政に言われなくても、自らの地域のあり方に関して総会で形式的であっても自ら決定してきたのであり、行政に対しても対等の立場で協働してきたのです。

 従って、地域のあり方について決定する権限は元々地域にあるはずで、お上から下されるようなものではなく、またそのための財源も、元を正せば住民の税金です。

 思うに、Y氏が主張している上記システムのからくりは、「権限」と「予算措置」という「アメ」(元々地域に属するのだが)で、自治組織の管理・統制を強めたいということなのではないでしょうか。

 ここに見え隠れしているのは、「地域分権」を装った行政組織の巨大化への再編成であり、「住民自治」とは何ら関係がないと思うのです。

 では、何故このような再編成を急ぐのでしょうか。

 議員にとっては、出身地域に「アメ」を運ぶことが出来るという意味で、選挙対策に直結することでしょう。

 しかし体制側からすれば、それは、制度の網からややもするとこぼれ落ちてゆく個人(「変人」「奇人」「自由人」「放浪者」「外国人」「活動家」「過激派」「犯罪者」等々として、通常周囲からレッテルを貼られていることが多い)を監視し抑え込むためだとも言えるのです。

 すなわち、地方公共団体や諸団体に対しては緊急事態に関する法律等で縛りをかけることが出来ますが、個々の住民に対しては統制は困難です。だからこそ、住民に一番近い近隣住民自治組織(地縁団体・組織)に網を被せ、「変人」等々の個人たちを管理しようということなのではないでしょうか。

 そして、時代の節目において、オセロゲームのように瞬時に挙国一致体制となり、諸組織・諸団体は大政翼賛会に好むと好まざるとに関わらず、組み込まれてしまうのではないでしょうか。歴史が証明しているように・・・。

 以上が、この説に対する一つの視点です。

 

二、「市民共同の独立常設協議機関」の民主的正当性について

 民主的正当性を代替可能性(誰でも市長なり議員になれる道が開かれている)と考えれば、選挙はその一方法でしかありません。

 従って、当該協議機関の協議メンバーも選挙という方法を採らずとも、別の方法(抽選等)で一般市民に開かれ、誰でもメンバーになれる道がとられていれば、民主的正当性は充分認められるはずです。

 この森本案では、地縁別団体・テーマ別団体等から代表を立て、一般市民からの公募枠も一定数確保することで、充分その民主的正当性は確保できるものと考えています。

 因みに、民主的正当性を云々する場合、選挙で選ばれたことをあまり過大評価すべきではないと思います。

 議員さんは、一度地域に後援会等の政治基盤を築いてしまえば、それを財産として、何期も議員さんを続けることが容易くなるものですから、本当にもういい加減に止めてほしいと思える議員さんが、どこの議会にもゴロゴロしているのが実情なのではないでしょうか。

 また、行政府の職員も選挙というテストがないことから、年を取り幹部になって首長の決定権に大きな影響力を与えられるようになる頃には、何期も務めた議員さんとは既に長い付き合いで馴れ合ってしまっていることにもなっているのではないでしょうか。

 更に、20年以上も自治会の役員や各委員会の委員をタライ回し的に務めている組員たちが何人もいて、自治会を私物化しているような地縁団体・組織では、地域の議員と役人とそのような地域の権力者(市民)との三者が馴れ合っていて、市政・県政を私物化している例さえ生じています。

 このような馴れ合い関係の中で、はたして従来の行政府と議会だけで、甲府市だけでなく日本全国が直面しているこの激動期を乗り切っていけるのか本当に心配なのです。

 ところで、Xさんは地縁団体よる住民総会の民主的正当性を強調されるようですが、それは民主的組織運営がなされていて初めて言えることです。

 森本が所属する当自治会と同じように、出席者はほとんど気脈を通じ合った常連と他は組長の新旧交代組員のみで、重要な決議事項についても既に根回しされていて総会前に決定されているような住民総会であってみれば、その民主的正当性も怪しいものです。

 Xさん、先ず地域内分権を唱えるのでしたら、民主的組織運営がちゃんとできる仕組みなり装置なりをも一緒に考え提案されるべきなのではないでしょうか。

 

三、住民自治の主体について

 確かに地域内分権を進めるなら『地域内分権の担い手(受け皿)は「任意の個人」ではなく、コミュニティ組織・地域住民自治組織である。』という話になるのは当然です。

 しかし、住民自治に関して言えば、その本来的な主体は、組織・団体ではなく、あくまでも個人の住民(市民・国民)であるはずです。

 とすれば、地域内分権がなされようがなされまいが、住民は地縁団体・組織の中で、自らの幸せ・生きがいを育てて行くことが出来、そのための声を市政に反映させて行くことも出来るはずです。

 また、若い会社員や学生のように、地縁団体・組織の活動にはあまり関心はないが地球規模や全国・全県・全市規模でのテーマを自ら持って活動している方々も同様に、そのテーマに取り組んでいる団体・組織に所属しながら自らの幸せ・生きがいを育てているのですから、そのための声も市政に充分反映させるべきではないでしょうか。

 更に、他の個人的な幸せ・生きがいに関しても同様です。

 以上のように、自らの幸せ・生きがいは、地縁団体・組織の活動の中のみで見出されるわけではないのです。

 従って、テーマ別団体・組織を縦糸とし、地縁別団体・組織を横糸として、様々な個性ある個人をアクセントとして織り込むことで、住民自治の内容に豊かさが増すことになると思うのですが、そのような豊かさこそ、真の住民自治なのだと森本は考えます。

 

四、市民参画のための装置について

 以上のようであるならば、それらの様々な幸せ・生きがいを求めている個々の市民に対して、それらを自らが日常的に実現してゆくことが出来る具体的な仕組み(装置)を、この住民自治の拡充を図ろうとしている基本条例の中に、是非組み入れておかねばならないと考えます。

 森本が提案している市民共同の独立常設協議機関は、正にそのことを意図してのものなのです。

 その機関に関しましては、既に配布いたしました資料のとおり、行政・議会とは独立した対等な関係を保ち、行政・議会をそれぞれ支援し補強することで行政・議会と協働関係に立つものです。

 また、そうするのが効率的でもあり、団体自治の趣旨にも適うものと考えています。

 

 以上私見を述べました。

 「つくる会」の論議が深まりますように、皆様からのご意見等もお聞かせ願えれば幸いです。

 


件名 : 地域内分権に関して

日時 : 2005年12月4日 13:21

「つくる会」の森本です。

ご苦労様です。

昨日Xさんより皆さんに一つの方向性が示されましたので、以前X・森本間でメールのやり取りがあった問題について「つくる会」のに皆様にも一緒に考えていただきたく、Xさんの承諾を得て、そのときのメールを本文に貼り付けます。

昨日のXさんの論文に対しては別途添付した資料(上記掲載の「Xさんに対する反論」)で森本なりの反論を試みています。

論議が深まれば幸いです。

 

☆☆☆☆☆

森本です。

メールありがとうございました。

 

> 第三者機関自体の透明性や公平性、はどのように担保するのでしょうか?

> このことが最初から気になっております。

> また、現在のところ森本さんのおっしゃる地域エゴとは誰がどのような権限でいつ判断されるものなのでしょうか?

 

この件につきましては、機関の動きを情報公開して全市民・全県民にガラス張りにし、説明責任を課して行くことが必要です。市民共同の協議機関で「団体エゴ」「地域エゴ」を出し合うことを前提に、市全体としてはどうなのかを協議する必要があると思います。

 

> 森本さんの案の第三者機関は市民を団体自治の中に入り込ます案として捕らえています。

 

この第三の機関は、当然自治機構の中に位置づけるのですから、団体自治を表現する側面も強いですが、この装置を踏み台にして市民(自治会会員等も当然入ります)が市政に直接関わっていけるという意味では、住民自治を強力に推進するものといえます。(関わるか否かは個々の住民次第ですが・・。)

 

>肝心な残り半分の住民自治は、市町村単位の更にもっと細分化された範囲内(コミュニティ)への地域分権であると私は思っています。それは一部市民のものではありません。

 

自治会・町内会等の地縁団体に政治の権限が移る場合、その権限の行使に付き、今の現状では、やはり透明性・公平性が担保できないのではないでしょうか。

ところで、「住民自治」の本来の主体は、あくまでも個々の住民(市民・国民)であり、団体・組織単位ではないと考えています。コミュニティは個々の住民の幸せ・生きがいを促進させるための手段なのではないでしょうか。

 

> 本来的な住民自治は、「統治」ではなく、「共治」でもなく、「共生」であると思います。私が前、「統治」という言葉を戦時中のよう?とメールしたのはその意味です。市民が望むことは誰かに治められることでは無いと思います。

 

「統治機構」という表現は、憲法に従っただけです。

私は「自治機構」が適切だと思います。

ただ、「共生」といいましても、何らかの社会的ルールは必要でしょう。

その意味での自治です。

 

> 自治条例はその入り口に立っただけだと私は思っています。

> あくまでも私の私見です。気分を害されたなら私の本意ではありません。

> このような議論は是非必要です。甲府もいい方向に向かっていると思います。がんばりましょう。

 

私もそう思います。誰かが問題提起をし、それが様々な議論を呼んでいけば良いと考えています。

貴重なご意見ありがとうございました。

がんばりましょう。

 

----- Original Message -----

Sent: Saturday, November 26, 2005 11:03 PM

Subject: Re: 甲府市自治基本条例の件

 

以上


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