ムラ社会で起きたこと

 

森本 優

2007/07/12, 08/12/12


 

一、第五次甲府市総合計画に期待すること

 

 甲府市自治基本条例市民案策定中の平成18年6月頃に「第五次甲府市総合計画」が出されました。

 それでは、都市像として『自然と人の営みが調和し、私たちのまちに集うすべての人々が、「住んでよかった」「来てよかった」と思えるまち』、『人がつどい、心がかよう、笑顔あふれる活力あるまち』を目指すことになっています。

 そして、その総合計画においては、「基本構想」の目標並びにそれを実現するための姿勢 (「市民と行政の役割の明確化」「協働型社会の構築」「行財政改革の強化」「公平・透明な行政運営」)と、手段としての「実施計画」とが示され、福祉・教育・環境等五つの部門別に掲げられた基本目標ごとに、主な施策の内容項目が列挙されています。

 それらを検討しますに、まず「産業の振興」部門では、「バランスのとれた産業の発展」を目指し、その施策として「優良農地の確保」「地産地消」「森林の保全や治山」等が挙げられています。 

 「生活・自然環境」部門では、「持続可能な循環型社会」「環境と共生する緑豊かな美しいまちづくり」等を目指し、その施策として「自然環境の保全」「緑地の創出と保全」「住環境の整備」「河川や水路の改修整備」「災害に強いまちづくり」等が挙げられています。

 また、「福祉・健康」部門や「教育・文化」部門では、個性を尊重し、お互いに生きる喜びを持って支えあう協働型社会を目指し、それらの施策として「子育て支援」「健康・生きがいづくり」「障害者の自立と社会参加」「幼児教育の充実」「生涯学習の推進」「文化・芸術活動の振興」等が挙げられています。

最後に「都市基盤の整備」部門では、「だれでもが訪れ、住みたくなるまちづくり」を目指し、その施策として「計画的なまちづくりの推進」等が挙げられています。

 

 そこで、私はこの総合計画に沿って以下のとおり提案したいと思います。

 すなわち、甲府市民は、バランスのとれた地域循環型協働社会創出の基盤として、甲府市南部の農業振興地域は保全・維持してゆかなくてはならないと考えます。

 そして、「だれでもが訪れ、住みたくなるまちづくり」の一環として、小瀬スポーツセンターを中心とした一帯を、世界に誇れるエコシティ実現のための市民の活動拠点にし、一人ひとりの市民が協働し合って、農産物やエネルギーなどの地産地消と、高度な芸術・文化と産業技術の育成、そして福祉と教育そしてスポーツの充実とを推し進める、地域循環型協働社会作りのモデル地域とすることを個人的に提案したいと思います。(「てるてる村」参照)

 

 

二、ムラ社会で起きたこと

 

 今、国政レベルでは首を傾げてしまう事態が数多く現れてきています。

 この国政での失態は、地域の政治レベルの反映でもあると考えますので、敢えてここで一言述べたいと思います。

 6、7年ほど前から、わが身に降りかかってきた事件(「一厘の仕組(地域編)」参照)を通して分かってきたことなのですが、ムラ社会の権力構造の中にあっては、住民や職員等は、主義主張や保守革新そして職務等の如何に関わりなく、いとも簡単に権力の僕になってしまうということです。

 「長いものには巻かれろ」と言われているとおり、力の強いものに媚びへつらっていれば、「おとなになった」「世間の中で生きてゆける」ということなのでしょう・・・。

 一方、反抗した個人と言えば、地縁や組織・団体のしがらみの中で、「常識」を知らない「変人」として「村八分」の扱いを受け、更には、首根っこを押さえつけるため、上司や友人、そして家族に対してさえ、陰湿な工作が仕掛けられます。

 このようにして、有力者・権力者たちは外堀と内堀とを埋め立て、徹底的に孤立化させて、「変人」は、徐々に精神的に潰され、社会的に葬り去られることになります。

 この場合、特に権力者側の女性たちが跋扈し、捏造された事実を辺り一帯に流布して、「変人」を中傷すると同時に、権力者側の「常識」を地域住民に刷り込む役を一手に引き受けます。

 この時点で、ほとんどの「変人」は、心理戦に敗れて物笑いの種となり、いとも簡単に潰されることになるでしょう。

 ところで、行政機関(担当部署や警察署等)に掛け合ってみたとしても、途中から権力者の介入があり、なんらのバックもない一市民の言うことには、ほとんどまともに取り合ってくれなくなります。

 また、法的手段に訴えたとしても、権力者側には弁護士事務所が二つも三つも付き、たとえ「変人」側に弁護士が付いたとしても、狭い世間のしがらみの中では、真実の解明がなされないまま不本意な形で終結を余儀なくされる場合が多く、ややもすると担当裁判官自身が権力構造の一端を担っていたり、権力者側に人脈的につながりやすいので、働きかけがあれば、権力者側に有利な判決を下しがちなのです。

 最後に、政治家はというと、地域の権力構造を背景にした集票システムに縋っている以上、その権力構造に対しては何もできないというのが実情ですし、場合によっては、その集票システムを利用するために、たとえ「革新政党」(共産党)の議員であったとしても、権力者側の擁護者となり、「変人」に対する扱いは権力者側と同じものとなります。

 また、傷のある地域の有力者・権力者としては、選挙協力(集票力の誇示)をとおして、敵対しそうなその「革新政党」(共産党)の議員の首根っこを前もって押さえ込んでおく必要があるのです。

 ところで、良心的な地域住民としては、地域の政治を良い方向に変えたいと思い、「革新政党」所属の「良心的」な候補者に投票したつもりが、その候補者が実のところ、地球の裏側のことに関しては立派なことを言うが、自らの足下が不透明で自らの保身に汲々となっているような人物だったのでは、住民の思いはただただ裏切られるばかりでありましょう。

 

 以上のように、既存の権力構造に因る体制翼賛的な自治システムは社会の隅々に巧妙に編み込まれ、地域の風通しの悪い「常識」が、そのまま若い後継者に受け継がれてゆくことになります。

 そして、その「常識」を温存させる権力構造の根が、国政レベルにおいても蔓延ってゆくことになるのです。

 

 

三、「変人」のすすめ(私闘の論理)

 

 以上のような状況の中で、「変人」はいったい何をどうしたら良いのでしょうか。

 

 「変人」であるなら、志操を捨て、権力者の犬になり上がって、そのおこぼれに与ろうとするのは真っ平御免なはずです。

 ところで、世の中を変えてきたのは「変人」だったという歴史的事実があります。

 しかしその事実の背後には、歴史上には現れない数多くの影の「変人」たちの存在があったはずなのです。

 今、歴史は、人類の滅亡もありうる大転換期を迎えています。

 その動きに合わせ、既存の権力構造の上に更に強固な管理・支配体制が世界規模で敷かれようとしていますが、それと同時に、そのような管理・支配体制には収まらない「変人」たちも、全世界に数多く生まれてきているのも事実なのです。

 そのような状況下では、自らが住む地域から変革の手を入れてゆくのが合理的だと考えます。やがて世界の変革の本流に合流して、この大転換期の方向性を決定付けられるようになるには、自らの足場から、というわけです。

 ただその場合、それぞれ自らが立っている足場なり舞台なりを絶えず検証してゆく必要があります。その舞台の上で無自覚のままいいように操られていた、ということも往々にしてあるからです。

 そこで、甲府市自治基本条例のつくる会で何度も主張してきたことでもありますが、まず、地域政治の情報公開を進めることが肝要です。そしてそのためには、権力におもねらない市民の参画と、より多くの見識のある議員の存在が必要です。

 その過程で、既存の集票システムを切り崩してゆくことも必要になりますが、理念先行では一般の人はついてきません。経済活動・文化活動等の日常的な活動の中で理念を育て、人的回路を切り開き根を張ってゆく必要があるのだと考えます。

 これは根気の要る地道な活動となりますが、決して諦めないこと。

 粘り強くそれぞれの足場を掘り下げ、風通しの悪い権力構造の土台に、小さくても良いから風穴を開けてゆきたいものです。

 

 以上です。ご笑覧ありがとうございました。

 


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