おじゃま虫の森本です。
以下の件、再度申し上げたくて、「つくる会」の会員の皆様にメール致します。
この件に限らず、ご批判等御座いましたらどしどしとお寄せ頂ければ幸いです。
「住民自治の拡充」や「民意の反映」を進めるため、「住民にとって使い勝手の良い甲府市自治基本条例を住民の意見でつくる」ことが必要であると叫ばれ、市政運営等に関する個別具体的な意見が市民から今集められています。
ところで、「住民によってつくられた」と評価されるためには一体何が必要なのでしょうか。
まず、住民の数からすれば、甲府20万人都市の中の200〜300人程度の意見では、明らかに市民全体の意見とは言えません。すなわち、圧倒的多数である無告の民を無視することはできないはずです。
では、万単位の市民の方々から意見を頂けたら、自治基本条例が果たしてできるのでしょうか。
確かに、多数の市民からのご意見は、当自治基本条例の基礎固めに役立つことは確かでしょう。
しかし、それが個別具体的な要望等に止まるかぎり、それは自治基本条例という家の主要な構造部分としては、さほど重要なものではないと言わざるを得ないのです。
そのため、仮にそのような意見が万単位で集まったとしても、骨組みをしっかりとデザインしておかなければ、まともな自治基本条例などできるはずがないのです。
まして、その「意見」というものは、その時点での民意の反映でしかありません。
「つくる会」でも恐らく皆さんも経験したと思うのですが、個々人の意見というものは、時が経つにつれコロコロと変わって行きやすい性質のものなのです。
とすれば、万単位の意見を集めただけでは、如何に上手くそれをそのままカテゴリー別に区分けして「自治基本条例」としたとしても、出来上がった時点では既に、もしくは多少持っても十年も経たずに、当該「自治基本条例」は民意を反映し得なくなってい兼ねないのです。
したがって、意見の性質そのものからしても、それをそのまま50年・100年のスパンで考えなければならない自治基本条例の中心に、直接反映させるのは問題があると言わざるを得ないのです。
思うに、「現時点で集められた多くの個別具体的な意見で自治基本条例をつくろう」とするからおかしくなるのではないのでしょうか。そのように考えるから、意見の数の点から、また自治基本条例とは懸け離れた個別的な意見の性質によって、二重に「民意の反映」から遠ざかってしまうというパラドックスに陥ってしまうのです。
もし、本当に「民意の反映」を求め続けるのでしたら、今後も引き続きより多くの「無告の民」からの意見を汲み上げ、将来の総合計画等でそれを市政に反映させてゆける仕組みを、今整備しておくことこそが必要なのでしょう。
ところで、「住民」の範囲に、今生存していて意見を出せる市民だけでなく、この自治基本条例の影響を受けるであろう50年後・100年後の子孫も入ると考えるなら、そのような子孫たちの意見も当然現時点で配慮されるべきなのでしょう。
しかしそれは不可能であることは明らかです。
したがって、ここにおいても、50年後・100年後においても多様な市民の意見が市政に反映されることを保障する仕組みを、今ここで整えておくことが必要となるのです。
そして、その仕組みこそが自治基本条例の中心的な柱となるべきものなのであり、「つくる会」はその仕組みのタタキ案こそを全力でPIにかけるべきなのです。
すなわち、その仕組みについて市民全体で知恵を出し合い、よりよき仕組みを整え、それを市民共有の財産とすべきなのだと森本は考えています。
以上、同じことを繰り返しました。「クドイ」と思われる方も大勢いらっしゃると思いますが、再度ここで提案いたします。ご検討の程よろしくお願いします。