座談会

 

「これから有機農業を始める人へ」収録

(有機農業入門書編集委員会編/全国農業会議所発行)

  

  将 来 へ の 人 作 り 、 地 域 作 り

 ーー有 機 農 業 の 現 場 か ら

  

出席者  小林芳正(ネットワークいのち) 久門太郎兵衛(天地農場)

     片山元治(無茶々園) 浮島仁子・渡邉哲哉(新規就農ネットワーク)

     井出拓・山下務(全国農業会議所)

企画・司会/森本優(自給組合準備室)

 

▼この本を出そうとしたいきさつは

浮島  私共が就農したきっかけはですね、農家の数が激減しているといった情報に触れ、また全国愛農短期大学講座に10日間出席致しまして、初めて日本の農業の実態を知り、一体これからどうなってしまうんだろうと、4人の子供を抱える母親として考え始めたことからなんです。それで、これは大変だということで、農業をやろうとしてやっと山間地に就農地を見つけて入ったわけなんですけども、こんなに農家が激減し過疎化しているというのに、いざ実際に新規就農してみようと思いますと、就農地が見つからないとか、また有機農業を目指している人にとっては、なかなか有機栽培技術に関する情報が手に入りにくいとかですね、障害や難問がたくさんありまして、四苦八苦することになるのが現状なんだと分かったんです。

 そんな訳で、新規就農者にとって本当にこういう本が欲しかったというものを、自分たちで作ってしまおうというのがそもそもの始まりだったんですね。

▼地域の紹介

久門  三重で天地農場の小使いをさせてもらっています。ちょうど15年ぐらい前に、大阪で畜産をやっていた私の先輩が、畜産公害でうるさくなってきたということで、今の伊賀上野の白樫に移ってきたんですね。その関係で、大阪で営農していた私も、友人に勧められて、5反ばかりの農場を白樫でやるようになり、今の天地農場として続いています。今ここに、20世帯ほど新しい人が入ってきて、一緒にやっています。

 このような現場をみて最近思いますのは、無理に引っ張っていくのでなく、個々の地域の中でそれぞれの基盤を作り合い、つながり合っていくのが大事なんではないかということなんです。それには自己革命をみんながやっていく、一農業者である前に、まず人間としての生き方を求めていく必要があるんじゃないか、個々の権力・自己意識を尊重しながら、ネットワークしていけるような方式の教育が必要なんじゃないかと思ってやっています。

片山  有機農業を始めて22回目の収穫を昨年迎えました。無茶々園は、愛媛県の農業後継者の狩浜支部のメンバーで、共同して園を借りて始めたのが最初なんです。

 僕らは有機栽培ちゅうは、20年は実験的に作り続けなんだらいけんだろうということでやりおったんだけど、販売ルートを自前で切り開きながら、現在は60世帯程で約60町歩を有機栽培でやっております。明浜町の人口、そして面積の約一割です。

 有機農業のきっかけとなったのは歯医者の先生で、その先生が言うに、子供の歯が永久歯が出てくる前にすでにガタガタになっていると、特にミカン山の下の水を飲みよる子がいけんと、どうも農薬の害が出てるんじゃないか、という話を聞かされてからなんですけどな、また回りの自然環境もどんどんおかしくなっているのに気づき、初めはミカン作りで集まっとったのが、自然を保全する形での町作り村作りに向かうようになったというわけです。その村作りの一環として村の農業をどうしていくかを今模索中です。

 新規就農にかんしては、僕らの村でも高齢化が進んでいて、後十年もすれば今の三分の一ぐらいの農業者はようやり切らんようになりますよ。その意味でも、新規に就農者を受け入れざるを得ないというのが実情で、そのためとりあえず、研修できる建物を作らないかんということで、20〜30人は泊まれる施設を作ってあります。

小林  福島県会津盆地の北のはずれ、山形県との県境にある熱塩加納村というところで農業をやっています。61才です。山沿いから山合いにあるこの村の人口が四千程で、そういう村を過疎と言うそうですが、私自身はそう思っていないんですね。このすばらしい村をもっとすばらしくするために、地域の人たちと百姓をやりながら、いろいろと話を進めているところなんです。

 私自身、地元で11年間農業に従事した後にですね、昭和37年に営農の担当として農協で働き出し、平成4年の2月まで約30年間農協におりました。その間、50年代初めまでは、いかにしていいものをたくさんとるかということを中心テーマとしてやってきたんですが、その当時出ていた有吉佐和子さんの『複合汚染』に目を通したり、また東北の有機農業で先駆的な役割を果たしていた高畠町の友達と意見交換する中でですね、昭和55年から農協で先頭にたって安全な米を作る運動を展開するようになったんです。今年で17年目に入りますが、村の水稲作付面積の約45%がその運動に関係していて、農薬を極限まで減らした形で栽培されています。

 今18集落で約200人の実践者がいるわけですが、この安全な米が、地元の会津生協や、横浜の米屋さんを拠点にして神奈川・東京・千葉・埼玉の市民生協、あるいは消費者団体に届けられているんですね。

 しかしながらこの16年の経過の中で、農家が努力した報いがなかなか見えなかった部分もありまして、もう一歩踏み出そうということで一昨年、いのちのことを考えようという仲間20人ぐらいでグループを作り、一緒に直接生活者の方々と提携し宅配する仕組みを作ってやっているところなんですね。

 新規就農に関しては、農業というのは地域社会と不可分一体の関係にあると考えてやってきているわけで、いかに高い理想を掲げていても、周囲と一緒にやっていけないような異端的立場では駄目なんですね。ですから、これらの運動を進める上でも、この点に注意してやってきたんですよね。

▼農産物の輸入自由化と農業者の主体性について

片山  基本的に僕らは、農業の自由化には賛成なんですよ。日本の農業は、支えろいうたて、もう支え切れんけんな、高齢化で・・・。だから僕はいったん潰すべきだと思うんです。ところで、呑み屋や食いもの屋をなくして食いものがのうなったら、東京にも人が集まらなくなると思うんですよ。そうやったら、自由化でも何でもして、いっぺん食いものがのうなってしもうたら、ちっとは世の中のためになるんじゃないかと、そして僕らはその時のために、自分らの食べものはちゃんと作っておこうと(笑)・・・。

久門  私は輸入するものに固執したらええと思う。第三世界の国々も、外貨獲得のため日本に輸出したいと思うんですよ。自由経済だから、ある程度は輸入したらええんや。自由貿易だったら自由貿易をやって、いっぺん日本人は叩きのめされてみんと、立ち直れないとちがうか。この辺で、自分のことは自分で責任が持てる農民になっていかんと・・・。自由化の是非ではないんと思うんや。

小林  安い方がいいと言う生活者が多ければ、日本の農業は崩壊してあたりまえで、その時は、家族や親類・縁者の命だけでも守っていくしかないと考えるんですけどね、しかし、食というもの、そして環境・自然というものを通して、日本農業のファンを作っていく努力は続けなければと思うんですよね。各地に「提携」という形で、生産者と消費者が直接つながっている例がたくさんあるわけで、そういった方々が、農業の役割とか食の問題を通して、生活者の人々と同じ土俵で話し合いをしていかれるなら、まだ大丈夫だろうと・・。しかし短絡的に、安心・安全というものを、農薬や化学肥料を使ったか否かというように、機械的に生活者が判断するようになれば、有機農業も駄目になるなと・・。

 最近米の食味計が出てきていますけど、生産者の思いや汗なんかは食味計には少しも出てこないんじゃないかと思うんですね。だからそういう機械的なものじゃなくて、百姓の思いを生活者に伝えていけることが大事じゃないかと思うんですよね。

 ところで、確かに生業としての農は永続していくのでしょうが、輸入量との関係で、いざとなった時に、国内自給できる程までは回復できない状況に落ち込むのが怖いんです。

片山  今、日本の農業を守れということを、消費者がいわなけりゃならんのです。ところで、高齢化が進んでおって、農業者人口も減っておるんで、今からの自由化が、日本農業を潰すちゅうことにはつながらんですよ。

 (自給している人達が少数派に止まる限り、いざという時に多数派が「国民総意」という名の下、少数派の思いを踏みにじって、食糧確保のため軍隊の海外派兵を強行することもあるのではないか、といった危惧が出る。)

 そんなことはないですよ。日本は世界最高の技術を持っていて、自然にも恵まれているんじゃから。もし米が足りないとなったら、自衛隊でもなんでも構わんけ、ブルドーザーでザットやって、10町歩の田んぼぐらい簡単に作りますよ。

小林  私は、人間が人間らしく生きられる場所として、村が好きなんですよね。そのような地域社会を守るということになると、私の村では農業を欠かすことができないわけで、その農業を守るため、熱塩加納村の生活者ファンをたくさん作りたい、あるいはこの村を共有しませんかという提案をしているんですが、やはり、安ければそれでいいというのは誤った方向であろうと、私は思うんですよね。

 ところで、今までのような日本人の生き方は、決して次の世代に誇りを持てるようなものじゃないと思うんです。生きるということはどういうことなのかを学び得る場として、この命の産業ともいえる農業を準備していく必要があるだろうと思うんですね。

 確かに日本の農業をいったん潰さないと、農業者も生活者も分からないという論理もあるかも知れませんが、やっぱりそこまでいったら、地域社会が崩壊すると思います。そこが怖いですね。特に中山間地で百姓止めたら、そこは住むところでもなくなるわけで、一つの集落が消え去るのは本当に簡単なわけなんですね。だからそれでいいのかと問いたい。この辺で地域の主体性、農業者の自らの主体性の回帰といいますか、このことがしっかりしていないと、地域も守れませんし、農業も守れないなあと思うわけです。それと同時に現状をそのまま放って置けない時期じゃないか、次代を担う人達が育ってくる環境をやっぱり我々が作っておかなければならないんじゃないかと。で、我々の身勝手から、次の世代にとって住みにくく、また人間らしく生きられない場所にしてはいけないんで、その辺も含めて、農村というのは大事なものじゃないかと思うんですよね。

▼新規就農者の現状

片山  僕も小林さんの意見に賛成で、基本的には「日本の農業を守れ」なんではなく、「農の集落を守れ」ということなんですよ。

 ところで、新規就農者が僕らの近くの村にもけっこう入っているところがあるんですよ。ところが彼らは地域社会に溶け込まないんです。裏返せば、価値観があまりにも違い過ぎて、地域がよう受け入れ切らんのです。しかし、江戸時代では、どうもヨソ者を入れてきた所だけが生き残っているらしいんですがね。

久門  私は伊賀に入らせてもらって、伊賀の人に溶け込んで伊賀の人間になるってんですかね、その中で生きていかんと、浮き上がってしもうては何もならんと思うんです。摩擦のないような形で地域農業を守っていかんと。そしてそれぞれの土地でそれぞれの持ち味を生かしていくしかないと思っているわけなんです。

 (新規に就農される渡邉さんに、それまでのいきさつと地域とのかかわり合いに対する希望を聞く。)

渡邉  新規就農される場合、都会から就農される人が多いと思うんですけど、都会では地域性というか、次世代に残せる地域の主体性というようなものはとうてい考えられないです。また、会社と、生活臭さのない家庭生活とでも言うんでしょうか、そのような都市生活は歪んでいると思うんです。僕自身はそのような生活を一生続けていくことはできないでしょう。そんなわけで、生きものを相手にしながら、自分の知恵と工夫を努力次第で活かしていける農業というものにひかれ、新規就農に踏み切ったわけです。

 この前の正月に、地域の集会に出席して挨拶してきたんですが、一番最初に言われたことは、地域の中で一緒にやっていけるかどうかということでした。農業技術やお金の問題じゃなく、地域に溶け込んでやっていけるかということと、あと、精神的な意味で落ち込まずに頑張れるかといったことでした。

 岩手の沢内村という秋田県との県境にある山間地に、なぜ就農するのかとよくいわれますが、生活が不便であったり耕作期間が短かったりしても、自分の求めていたイメージの土地に就農するということに関しては、やはり妥協すべきではないと思います。それに、どこも毎年一人ずつぐらいは入ってきていますので、村の方でも、これからの対応を考え始めているようです。

 (新農政における規模拡大化、合理性・経済性の追求、そして後継者対策等について渡邉さんに意見を求める。)

 地元では、そのような政策に対して批判したり反対している人が多いですよね。これから就農する人たちは、そのような政策については耳には入ってきていますが、まだ実感としてはなかなか分からないので、入っていってから自分でしっかりとスタンスを確立して、解決していくしかないと思うんですけど、ただそれが特に、就農の妨げになるというようなことはないと思います。あと、後継者という意味で重要なのは、誰と一緒に来るのかということ。独身者は就農に踏み切りやすい半面、非常に肩身が狭いですね。

 (農業会議所から、新規就農希望者の意識動向が発表される。)

山下  新規就農希望者のタイプを大まかに三つのグループに分けてみたんですが、最近一番増えてきたグループは、20代前半ぐらいの若い層で、資金・技術がないということで、自分から農業を始めるというより、まずは農業法人に勤めて従業員として農業に手を染めたいという方々が一つのグループ。次が30代〜40代の人々のグループで、この人々は自分なりの信念をお持ちになっていて、自分のプログラムも進んでいますので、土地を確保して自営農業を目指しています。最後は、そろそろ定年という言葉がちらついてきた年代のグループで、こういう人々は、儲ける農業というより、第二の人生を農村で自給農をしながら暮らしたいということです。

▼地域(村)の受け入れ態勢について

片山  うちらでは福岡正信さんの紹介で外国人がぎょうさん来るもんで、今では村のもんは慣れっこになってしまって、どんな人が来ても動じんようになっている。ただ、新規に入ってこられる方は、生活基盤とお金がない人がほとんどなので、僕らで農事組合法人を作って、放棄された農地を取得し保全・管理しておいて、来たい人には一〜二年研修してもらえるような支援体制はとれるようにはなってきている。

小林  農業は、おもしろくなければやっていけないですよね。文化も含めて、何か新しい形のおもしろさを、村の人たちと作り出せるような人たちが入ってくるのは大歓迎です。ある意味で農業を遊びとして考えられる人が入ってきてほしいなと、生活基盤を持っていながらですね。自給程度でいいから、とにかく農業に関われる人たちがこの村に入ってきて、村を活性化する素材になってもらいたいなと思うんですよね。

 けれど、その方が入ってきたことによって集落がギクシャクしたりする恐れのある場合には、ご遠慮願いたい。そういう人は、もう個人の生き方を決めておられる方で、周囲がどんなに適切なアドバイスをしても、なかなか受け入れてもらえないわけですね。例えば、集落に住む以上そこでの義務を果たさなくちゃならないのに、「なぜそんなことしなければいけないのか」と言ったりする人とか、また、周囲の人々に溶け込めず、仲間作りができない人がいるわけですね。何か、都市のなかで生きられないからこちらで生活するか、というような意識では困るんですよね。

久門  これまでいろんな新規就農者の面倒をみさせてもらったんですけどね、私の判断では、運動家肌の熱烈な意見を持った学力優秀な方のほうが、挫折していくってのか、やめられるのが多いですね。一年間研修の予定が、半年ぐらいで止められてしまった方が三人ほどいたんです。農業経営学を専攻されていた生徒さんなんかは、一緒に嫁の帳面を見てきて半年後に、「これじゃ百姓はやっていけませんな」と、私は「そりゃ、やってけませんよ」「百姓ちゅうのはなかなか月給取りとあいまへんと最初から云っとったろう」と言ったら、止めていってしまいましたよね。

 成功している例では、うちで研修中、陶器作りを勉強し出し、今では自給農をしながらそれで生計を立てている方もいます。

 (若者たちが農業に関心を示し出しているのは何故か、という質問に対して、価値観の変化や環境問題としての受け取り方などが挙げられる。就農しようとする動きに関しては、いずれにせよ経済面だけの視点からでは説明できない、といった意見が出る。)

小林  そこで一番心配なのは、一人や二人のうちはいいだろう、しかし子供が何人かできて大学に行くようなころになった時、本当に生活が成り立っていくだろうか、ということなんですよね。新しい人が村に入ってきて百姓となり、地域のリーダーとなって新しい風を起こしていってもらいたいのですけど、経済面でちゃんと一生生活できるか心配なんです。ですから、完全とは言わないまでもですね、ある程度彼らの生活を支援できる態勢なり環境を、地域の方で作っていく必要があるんですね。でなければ、挫折という事例がたくさん出てきて、今度は新規に就農しようとする人がまったくいなくなってしまう恐れが出てくるんですよね。

 ところで、有機農業をやりたいということで入ってきても、米と野菜ぐらいでは、なかなか生活基盤の形成は難しいんではないでしょうか。専業農家として大規模経営を目指しても、設備や機械などへの投資で莫大な借金を背負うことになりますし・・。

森本  私は、これから進んで農村に入り就農しようとしている人は一歩進んだ人だと思っています。都会での虚しさ知り落ちてきた、だからこそ農村でリーダーになって新しい風を起こすことができるのだと思うのです。そのような新しい感性を持った人たちが農村に入っていかないと、村は先細りですよ。それも専業としてじゃなくていい。そういう人たちが入ってくることにより、また新しい人を呼んでくる。そして地域が活性化し光り出したら、より多くの人たちが集まってくるようになるでしょう。

浮島  村の役場などではよく、活性化事業とか活性化基金とか、「活性化」という言葉を頻繁に使っていますが、この「活性化」って何なんですか。

小林  私たちが使っているのは、国なんかで使っている意味ではなくて、地域の人がそこに住んでいて良かったと言えるような状態を指して使っているわけで、人間がイキイキすることが活性化なんですよね。何も観光開発なんどをやって、銭金が村に落ちるから活性化するというものでもないと思うんです。ところで村の老人にとっては、新しく入ってきた人が話し相手になってくれるだけで、イキイキとしてくるんですね。

久門  わしらのところでは、春祭り・秋祭りに、おじいちゃん・おばあちゃんにちゃんと来てもらって、草履作りを皆に教えてもらっているんですよ。今年はおじいちゃん・おばあちゃんが講師になって、料理講習会をやるんだけど・・。

 (農村での異世代同居について意見を求める。)

小林  三世代四世代同居が村なんですよね。異世代同居のいいところを確認しながらやっていくと、そこはそれで崩れないでいるわけです。ところが今新しい時代だからもう若い人たちは別に暮らして当たり前だと思うようになったら、そこはそういう村になるわけなんですね。知り合いの教授が言ってましたが、核家族で育った子供か、いわゆる異世代同居で育った子供かは、大学生を見ればいっぺんで分かるということなんですよね。

片山  うちのところは平地が少ないもんじゃけんな、三世代同居しているところが多いんじゃけど、やっぱり自分の感じでは、味噌汁の冷めない距離で別所帯にすべきじゃ思う。余所から入ってきた嫁さんの場合、環境や価値観の違いやらで、同居するとかえってギクシャクしちょる、ほとんどの場合が。

▼魅力ある村とは

片山  うちの倅の同級生で、百姓の長男が何人もいるんですがよ、その親が何て言うかというと、もう百姓はやらんでいいちゅうんですよ。そんな人が地域を活性化しようなんて言えんでしょう。親がそこで気持ちよく生きてねえから、子供はそれを見て出ていってしまうんで・・。本当に根を張り地域のことを考えてるんなら、父ちゃんはこの通り貧乏しておつて、こんだけのことしかようせなんだが、今度お前はその分だけ夢を持ってやてくれと、そう言うべきなんですよ。

 (農業所得の低さ、そして輸入自由化や減反等の生産者の意欲を殺ぐ政策の結果、見切りをつけてしまう人も多いだろうという意見が出る。)

 そんな人はおらんようになったらいいんですよ。うちは九代目になりおるけど、その土地に営々として暮らしてきた事実があるんですよ。そりゃ苦しいこともあるけど、たいがいの人は、汗水流しても死ぬ前にはここで生きていてよかったなあと、言えるかどうかの問題なんです。そういった価値観を代々持って、ずっとその家が続いておるんやったら、なんぼ貧乏しよっても、息子に、お前後継げって言えるはずなんです。

森本  子供は親の背中を見て育つと言いますが、村の人たちが自らの力で作り上げてきた歴史というものがあれば、やはり子供たちもそれなりのものを見るなり、気付いているはずなんですよね。そして、代々続いてきた村というものに誇りを持っていると思うんです。「魅力ある村」には、村人が自分たちで寄り合って、まつりごとを執り行い、土着の文化・宗教・芸能などを築き上げ育てていく、といったふうにですね、自分たち自身が直接関与して自らが創り出しているという意識が強くあると思うんです。ただお上の指図に従うだけだったり、「偉い人」にお任せしてばかりいるとですね、当然大人だけでなく子供だって、無気力になって都会に出っぱなしになってしまうんですよ。

小林  最近、新規就農というものをもう少し幅広い視野で見たいなあと思うんです。私の家にまったく農業を知らず関心もなかった娘が嫁いできたんですね、その娘が子供を産んだ時、我が家が子育てにまったく心配ないということに気付いてくれたんです。食べものは安心して食べさせられるし、ほったらかしていても虫や花なんかと遊んでいてくれるし、ということで、我々の価値観を共有してくれるようになったんですね。

 ところで、私は農協にいるころから、仲間を減らさないような村を作ろうということで、兼業農家を守ろうと言い続けてきたんです。そして、家族のため安全な農産物を自給していこうという運動から生まれてきたのが、今日本一と言われている加納村小学校の学校給食なんですね。村人自身の手で、そういった学校給食が村の中で作られているということ自体が、地域の誇りなんです。だから、そういうものを一つ一つ創り上げていくことが、まさに魅力ある村作りだと思うんですよね。特に、村の人たちが自身の暮らしの中で、生き方、暮らし方、そして環境のことなどを考えながら、安全な食べものを自給し生活しているだけで、うらやましい地域ができるんではないかと思うんですよね。ところが現状はというとですね、例えば今、村作りとか村の活性化とかいったって、みんな村が委託契約で作ってもらっているんですよ。村の総合計画なり十ケ年計画を、ン十万ン百万円も払ってコンサルタントに頼んでいるアホーなことをやっている世界ですからね。私、あの辺に異常があると思うんですよね。

浮島  村って、住めば住むほど本当に人間らしく暮らせるところだということが、だんだん分かってくるんですけども、ただ、ものの考え方ということに関してはですね、どうしても閉鎖的だってことは否めませんよね。だから人と違うことをすれば叩かれる。出る杭は打たれる・・。

 ところで、おじいちゃん・おばあちゃんのすばらしいことは、生活の知恵なり工夫なんですよね。それが今なくなってきていると思うんです。村の人たちが自ら考えることをしなくなっちゃった。

森本  それは村に「人」がいないからだと思う。だからお任せになる。新しい人でもいい、また帰ってきた息子・娘でもいい、何か新しい感性を持っている人が村に入って来たら、そういう人たちにも参加してもらい、見込みのある人をバック・アップする態勢を作っていかないと・・。やっぱり人間が活かされないと駄目なんですよ。また、村に入っていく人も、何かおもしろいことを仕組んでいくことが必要だと思う。村の人たちと一緒にやっていけるものを。例えば、朝市とか学校給食とか・・。

▼地域自給圏(地域協働社会)について

片山  僕はこの前ヘルパーの講義を受けて、介護の時、年寄りのオシメを替えながら思ったんですが、トクロウ(特老)という所は体のいい姥捨山なんですよ。親がバアさんジイさんをトクロウに入れたら、子供もそれと同じことをしますよ。そんな人間関係に未来はねえです。

 僕の場合、親父が痴呆症で下の世話をしなけりゃならんくなって、何回か、こう、しょうがなくやってたら、それが充実感になったんです。田舎に住むっちゅうことはそういうもんじゃないかなあって・・。都市の機械文明の中じゃあ、人と人とが触れ合える生き方ってのは無理なわけで、人間らしく生きられるところだってことをちゃんと前面に出しておけば、21世紀には田舎に人がどんどん集まってくるんですよ。

 ところで去年の12月に、生協へのミカンが欠品になったんですね。収穫量が少なかったということもありますが、原因はそれ以上に収穫が遅れたからなんです、何件かの農家が・・。つまり、兄弟・親戚・縁者・隣人といった、手伝ってくれそうな人が回りにおらんようになっていたんですよ。家族だけでは、ピーク時にはどうしょうもないわけ。

 だから、新しい人を入れる場合にですね、単に農業者だけを入れるだけじゃいかんのです。昔から村に鍛冶屋がおり大工がおったようにですね、農業以外にも田舎で興せる産業を組み込んでいかんと。今後僕らは、そのような有機的つながりも考えてやっていくつもりなんですよ。そうすれば、百姓したくてサット入って来ても、研修期間中他の産業で食いつなぐこともできるし、農繁期には他の産業の労働力を農作業に回してもらうこともできるし・・。地域差もあると思うが、農を中心としてその回りに色んな産業を据えて、調和的に準備していくことが、これからの村作りにおいて考えられていくべきですよ。

小林  産業というと工場誘致になってしまいますので、私が思っているのは、昔からあったやつで、なくなったものはどんなものかを考えてみるわけですね、すると、昔はまさに地域内自給があったんです。村の中にコンニャク屋があり、豆腐屋があり、といったふうにですね。ですから、例えば豆腐作りがいないからやってみようという人が現れたら、そういう人とも仲間になって一緒にやっていくと。そういったふうに、農業を土台とした地域内自給がある程度確立できるような、地域社会作りが大事なことだと思うんですよね、今までのような農業基本法が作り出した選択的拡大のああいった形ではなくて・・。自給をしっかりやる村を作っただけで、いろんな波及効果があると思うんですよね。いわゆる「教育」まで含めてですね。ですから、そういうところまで含めての地域作りというものを、しっかりと考えていかなければと思うんです。

森本  地域内自給という場合、ただ食べものの自給というだけでなく、土着の教育・文化・宗教・経済・自治など、本来私たち自身の手元にあるべきものを、再び取り戻して創り育てていくことも、その「自給」の内容に入るということですよね。

片山  僕らは「経済圏」と言ってるけどな、その中での異業種間のつながりをもっとしっかりと作っておかんと、ただ「農業やりたい」「じゃ、こいや」ではやっぱり無責任すぎるわな。例えば、塾を開けるもんが来たら、近くの町へ行って塾を開いてですね、エコロジーな部分を取り入れた教育をしたらいいんですよ。土建屋さんでもいいんです。できるだけ環境破壊せんようなやり方を工夫してもらって・・。

久門  有機農業では堆肥の問題が大きいんですよ。やっぱり行政とも組んで地域で一つプラントを立ててやな、いい堆肥を作って循環させる形をとっていかんと・・。新規就農者も、今わしらがやっているような牛糞をぶちまけるようなやり方では酷じゃろう。私も、今日来てくれてない山形の菅野君とこでやってる堆肥自給システムを、前々から是非いっぺん見に行きたいと思ってるんだけど・・。まあ、どれでもいいから、ひとつ新しい方式を取り入れていくことは大事なことだと思っているんです。

▼企業農業について

片山  僕は企業農業であっても、環境保全型農業は優位性を示さねばならないと思うんですよ。だから僕らは次のステップとして、サンキストにコスト的にも負けないレモンとかを、実験農場を作って試してみたいと思ってて、そんでもって十町百町規模で生態系が崩れないようなやり方を実践してみたい思ってるんです。常に企業に対抗できるようなものを作っていかなんだら、潰されちまうから。コンピューターだって、毛嫌いしていて使わなんだら何も進まんですよ。

久門  私の方も、本当に地域がかたまれば、農業法人としてやっていこうかという話し合いが持たれています。

小林  私のところは米が主体の地域ですから、ミカンをやってらっしゃる片山さんとは違うものがあるんですよね。米の場合安い輸入ものが市場開放で入ってきたら、いっぺで値崩れしてしまう作目なんですね。ですから米の生産現場は儲からないから、恐らく企業は流通には参入しても、生産現場にはほとんど参入してこないだろうと思うんですね。でまた、企業経営も一つの方向なんでしょうが、それを目指したところが大変な岐路に立たされているところもあるわけなんですよね、膨大な資本投下をして・・。ですから、やっぱり有機農業を主体としてですね、本当に生活者の方々と合意形成ができるなかでやっていかないと、日本の米は守り切れないなあと思っているんですよね。もし生活者の支援があり、米だけでなく村の他の農産物や加工品も求めてくれるようになれば、たとえその動きが部分的であったとしても、村の人たちにとっては農業を頑張れる素材にはなるなあと、またそれはとても大事なことだなあと思うんですよね。

▼座談会を終えて一言メッセージを

片山  田舎で生活したいという人、一度僕らのところに遊びに来て下さい。

久門  考え方によっては、今ほど多様な模索ができる時代はないのではないか。一つの転機やないかと思うんですよ。課題がいっぱいあるから面白いんとちがうか。難しいことはよう分からんけど、百姓にとって必要なんは、旬に種を蒔き、大自然の中で祖先が守ってきた大地を、子や孫に残していくことや。

小林  熱塩加納村は、本当に人間らしく生きている人たちが多い村で、私はあれを無くしたくないな。新規就農希望者については、村の様子を一度見て腹が決まった場合であれば、受け入れは充分できるし、一緒にやってみたいこともたくさんありそうですね。

浮島  地域の暮らしが成り立って、はじめて農業が存続するという、もっとも基本的なことに、あらためて深く考えさせられました。今回の出席者は、長年地域の問題に真正面から取り組み、農業を続けてこられた方々で、含蓄ある一言一言に心打たれました。

渡邉  就農しようと思っていても、都会で悶々としているだけだったら、話は何も進みません。とにかく候補地があるなら、現地に行って地域の人達に接触していくことです。資金や収入のこと、家族のことなど、ハードルは多いですが、悔いのない自分自身の人生を自ら切り開いていってほしいと思います。

森本  全国各地でそれぞれ主体的に、地域自給圏(地域協働社会)を構築しようとされている面白い方々と、緩やかにネットワークを組んでいきたい。

 

(1996.1.25 全国農業会議所会議室で)  

 

 

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