一厘の仕組

森本 優(02/6/18)

 


「或る方が種を蒔いた。あるものは道に落ちて鳥に食べられ、あるものは岩地に落ちて発芽せず、またあるものはイバラの上に落ち虫がそれを食べてしまった。ごく一部のものが良い地に落ちて芽を出した。そして天に向かって良い実をつけた。それは、60倍、120倍にもなった。」(トマス伝)

 

 「一厘の仕組」とは、魔草・醜草を薙ぎ払い枯らせる火と水の経綸。

 魔草・醜草とは、物欲によって発現してきたブラックホール。

 火と水の経綸とは、立て替え(破壊)と立て直し(創造)との「むすび」の経綸。

 火は、経済破綻・テロ・戦争、そして天変地異など。

 水は、命の再生であり、今回の立て直しは地域協働社会の構築とそれらの地球連邦。

 その為の一厘の種は既に隠されている。

 一厘の種とは、「むすび」の神劇に使われる因縁の身魂。

 

 

 欲望を充足させるための手段としての貨幣・黄金は、物欲のために自己目的化し、その目的のために物欲は無限に自己増殖する。(足るを知らず。)

 もはや彼等には、宇宙の理法という声ならざる声を聞き、形なき形を見ることはできない。貨幣・黄金等が物事の価値基準となり、利潤追求のために生命を軽視し、自然は収奪の対象となってしまう。

 しかし、本来の政治及び経済は、宇宙の理法という声ならざる声、形なき形を感受することのできる者、すなわち百姓(農業従事者ではない。為念。)によらなければ、その意味を全うできない。すなわち、造化の神を相手とし、宇宙の理法に謙虚に仕えている百姓こそが、宇宙を貫く普遍的な政治・経済を執り行うことができる。

 生活の豊かさを、一次元的・物資的・権力的な側面でのみとらえるべきではなく、命の革命・開花という意味で、高次元的・精神的・非権力的な側面にも留意しなければならない。

 物質的には貧しくても、天地の大恩に感謝し、精神的に豊かに暮らす方が、人の道、宇宙の理法に適っている。そして、「第三世界」の人々との連帯は、この意味でなされるべきである。

 

 ところで、テロの温床は貧富の差にありとの意見あり。

 しかし「分かち合い」は、現支配体制の維持を目的としている。物欲を前提としたままであり、自由競争・弱肉強食の世界を若干修正するにしか過ぎない。

 「第三世界」との共感とは、「第三世界」の立身・出世した者と共に物欲を満たし合うことではなく、無闇な欲を捨てて「第三世界」の人々と「悠久の風と水の呂律」をお互いに共有し合うこと。

 

 だが、今の政治・経済は、物欲に囚われた魔草・醜草の産物。

 彼等の意識の中では、金・地位・名誉・権力等が全てであり、物欲こそが今の世界の政治・経済を動かす大原動力である。彼等にとっては、もはや「悠久の風と水の呂律」は消え去り、宇宙の理法は無意味なものとなる。そして自然と対話し宇宙の理法を学びとろうとしている百姓の姿を指して、「変人」として嘲笑の対象とする。

 そのようにして、地上には魔草・醜草のみが繁茂し、やがて大きなブラックホールの中にすべてが閉じ込められ、腐り果ててしまう。(以上「三千世界立替立直経綸書」参照)

 

 しかし、この巨大なブラックホールが解消し、新しい時代が開かれるとするなら、そのような「変人」こそがその主体となる。

 一厘の種、すなわち因縁の身魂は、その時を待って準備されている。魔草・醜草に覆われてはいるが、経綸が始まれば、鳥や虫の食害から免れ適度な湿気を受けて発芽しているこの種は、やがて立て替えの際、魔草・醜草が刈り払われ水と火の責め苦を受け正に枯れ果てようとする時に、その魔草・醜草の中から姿を現して、赤心の青々とした自身の葉をのばし、やがて天に向かって豊かな実りをもたらすであろう。その意味で、魔草・醜草もこの経綸の重要な役割を持つ。

 

 ところで、このように、一厘の種が日本、そして世界を覆うようになり、宇宙の理法が良く守られる時期を、正法時という。この時期においては、物欲が根を張らないように、自覚的にその種を除き、その芽を摘む努力がなされる。

 しかし、物欲という魔草・醜草の種を絶つことはできず、やがてその種を増やし繁茂し出すことになる。この時期においては、外形上、宇宙の理法が守られているように見えるが、物欲の種は至る所に撒き散らされ、その種から生じてきた根は地中全体にはびこる。この時期を像法時という。

 やがて、地上には魔草・醜草が繁茂し手が負えなくなり、宇宙の理法は全くと言って良い程顧みられなくなる。この時期を末法時という。

 そこで、この閉塞された状況を打開するため、再び、大なり小なりの立て替え立て直しが必要になってくる。

 このようにして、一定期間ごとに正法時・像法時・末法時の時期を繰り返すことになる。ノアの方舟の伝説はそのことの実相を如実に語っている。

 

 今回の経綸は、立て替えは経済破綻・テロ・戦争・天変地異である。立て直しは、地域協働社会の構築とそれらの地球連邦である。

 一厘の種が全世界各地に隠されている。そして今回の立て直しには、その者達との自覚的なネットワークが必要となってくる。

 魔草・醜草は物欲によっていとも簡単に結束し合うが、因縁の身魂は、大洗濯・大掃除の必要な時期に至らねば繋がり合わない。そしてその場合、因縁の身魂は、国籍・性別・職業・団体・組織・党派等の区別に関わり無く至る所に存在し、自らの役を授けられたまま隠されている。

 初めは、何ら因果的関連性を持たされないまま、同じような動きが、世界各地で発生してくる。しかしやがて自覚的なネットワークが築かれるだろう。一厘の種である因縁の身魂は、初めの内は全く孤独の中で無自覚的に自身に課せられた役を演じなければならないが、それも妙な縁により繋がり合いを持たされ、時期が至れば、自身の役を自覚するようにもなるからである。

 

 ところで、クローバー草生米作りは「一厘の仕組」の雛形といえる。

 火水の経綸の際、一圃場、一地域で起きたドラマのパターン(農法ではない。為念。)が相似形を描いて全世界に生じてくるであろう。そして、一厘の種がやがて天に向かって豊かな実りをもたらすであろう。

 

 

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