二宮金次郎の故郷
(2003年10月14日更新)
金次郎は1787年7月23日足柄平野の暴れ川である酒匂川に近い栢山に生まれました。
写真の生家は今でも大切に保存されています。
金次郎が生まれたときは裕福な家庭でしたが1791年の酒匂川の氾濫で田畑は流され、間もなく父利衛門も他界してしまいます。
金次郎は母を助けてよく野良仕事をし、箱根山から冷たい風が吹く頃には薪採りもしました。
金次郎は読書が大好きでしたのでこの様なスタイルになりました。
この像はその時の様子です。(余談ですが薪採りには私の家の前を通ったと推定されます。)
松の苗を堤防に植えたのもこの時期です。
また、夜の読書に必要な明かり用の油の原料である菜種も自分で栽培して読書を繰り返したようです。
成人の金次郎は主に栃木県二宮町で活躍しましたが、足柄平野の開発にも力を発揮し、
報徳堀などに依って米作の冷害を回避する成果を上げています。
下の像は報徳堀の恩恵を受けた個人宅に置かれている金太郎像です。
金次郎はこの家の家長に借金をし、後日返却をしようとしましたが、
この家の跡継ぎはおれが貸した覚えがないと受け取らなかったそうです。
良い話ですね。
下の写真は最近発見された金次郎の『腰掛け石』です。
柴刈りに来て休むときに使われたと言われています。
金次郎の教えで大切なことは
勤労 | 勤労の徳。 |
分度 | 動かせるものと動かせないもの、動かせる範囲で行動する。 |
推譲 | 譲は人道。子孫に、他人に、来年に譲る。 |
『喜んでくれる人のために学びながら一生懸命働く』
同時に哲学を磨き上げる姿が大好きです。
1856年10月20日金次郎没す。