女男石についてこのページの下をご覧ください


2018年の予告


 第21回秋月街道シンポジウム
 

テーマ「忘れられた鉄路を訪ねて 鉄道の整備と秋月街道

@    開会行事
主催者あいさつ・来賓あいさつ(10001010)

A    基調講演 (10:1011:40)

講師 九州歴史資料館学芸員 渡部 邦昭

演題「近代の朝倉地区の鉄道網整備について」

B  現地巡見 (13001430)

         両筑軌道の跡を訪ねて  
講師   九州歴史資料館学芸員 渡部 邦昭
  秋月街道ネットワーク 舟木 伸二



2018年の活動報告

  旧八丁越除草8月26日  
  道標建て 4月15日







女男石を巡る新しい情報 
 

2018年7月の西日本日本豪雨で護岸の一部が流失しました(写真右下)。流失したのは江戸中期頃の石垣ですが、その奥に裏ごめとは違う別の石組が見えています。写真奥に県道(旧秋月街道)が通っていますが、水害の被害はありませんでした。皮肉にも、女男石は現役の水防施設であることが確かめられました。
 なお流失した部分は、修復がおこなわれます

  西日本豪雨で破壊された目鏡橋の石畳
城下町秋月のシンボル目鏡橋の上流部の川底の石畳が完全に壊されています。秋月を縦断する野鳥川(小石原川水系)も増水し、川が大きく曲がるこの部分で川が石畳と左岸の道路も破壊しています。橋自体には被害はありませんが、放置すると水流で橋の下や両岸の護岸が削られ、橋本体にも影響を与える危険があります。早急な対策が求められます。 
  2016年の荒川井手と女男石頭首工
手前の川底の石畳がわかります。水害で井手(水の取入れ口)が壊れるのを恒久的に防ぐ目的で文政7(1824)年に川底に石畳を敷いたのが始まりです。このときはのべ2.3万人が動員され、横30間縦80間の石畳が造られました。『望春随筆』
こうした歴史ある荒川井手の石畳は、女男石護岸の関連施設として復元すべきです。また女男石頭首工(写真の赤い水門)は農業用水だけでなく、福岡市の生活用水も供給しています。