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の写真は、森吉・粒様沢源流に懸かるナメ滝シャワーと
2002年白神山地で釣り上げた早春のイワナである。

こんな壮大なナメ滝シャワーに出くわすと、
神の啓示を受けたかのように滝の洗礼を受けずにはおれない。
渓師は、降り注ぐ飛沫の甌穴に入り、聖なる滝に祈った。
いつも夢と感激のプレゼント、ありがとう。ありがとう・・・

渓師たちにとってのサンタクロースは、
母なる慈愛に満ちた森と渓谷そのものだ。

2002年は、釣り人たちが主体となって展開した南会津のブナ林伐採中止
を求める運動が歴史的な勝利をおさめ、次いで日高横断道が土壇場の12月に凍結、
事実上の工事中止決定がなされるなど、原始的な森と渓谷を後世に残せたことは
これまでお世話になりっぱなしだった山と渓谷に、
ちょっぴり恩返しができたようで、心から嬉しく思います。

もうすぐ2003年、来年も、我々がサンタクロースになりすまし
未来を担う子供たちへ、この「夢と感激」を伝えていければと念願しています。




 1985年、秋田・源流釣友会結成のキッカケとなった懐かしの白神山地・粕毛川源流行。その翌年、追良瀬川源流行で、バケツをひっくり返したような大雨・濁流に命カラガラ生還、手痛い白神の洗礼を受ける。

 この時初めて「人間は、山の中では落ちこぼれ」なんだと、しみじみ思った。そして「自然は、中途半端な知恵や技術を許さない」ことを知った。山釣りの世界は、下界の名誉や地位、お金などは何の役にも立たず、むしろ命とりになりかねない。自然と共に生きた山棲みの文化・・・マタギやアイヌ、ブナ帯文化に強い興味を持つようになったのも、必然なことだったように思う。 
1988年、真瀬川から白神山地・追良瀬川源流へ。沢から沢へ・・・藪こぎが続くバリエーションルートに病みつきとなる。
1988年、八幡平・大深沢源流ナイアガラの滝をゆく。一面巨大な瀑布に驚嘆、神聖な滝の洗礼を浴びるシャワークライミングに感激。
1989年、和賀山塊堀内沢、深山幽谷に佇む「お助け小屋」(マタギ小屋)にて。まさか後年「お助け小屋撤去騒動」が起きるとは・・・時の流れの速さを感じさせる想い出の一枚だ。
1999年、深山幽谷の源流酒場。暗闇に輝く星空、瀬音、風音、森の声・・・焚き火を囲み、溢れんばかりの山の幸で一杯飲めば、夢と感激の世界へ。

「山っ、数えきれねえほど恩があるんだ」
「山に助けてもらって、支えてもらってなっ、生きてこれたんだわ」(マタギの言葉)
1999年、和賀山塊堀内沢・マンダノ沢。深い原生林、苔とダイモンジソウ、シダ類に覆われた巨岩、その間を頭上から走るように滑り落ちる清冽な瀑布。原始の森と渓は、渓師を圧倒する。
2000年、新冠川源流「ポロシリ山荘」にて。北海道の釣りキチ・秋山健一君を加えて、21世紀、新たな北海道日高山脈の山旅が始まった。
2002年、北海道日高山脈静内川水系シュンベツ川。大雨、濁流の中、日高初の沢から沢へのバリエーションルートにたった二人で挑戦・・・爆竹でも逃げなかったヒグマとの遭遇、猛烈な笹薮とダニの襲撃、濁流の釣りに悪戦苦闘・・・苦労が大きかっただけに何倍もの感激を味わった。
2002年、八幡平源流の山旅・・・新人・柴田直俊君、エジプトから帰国した高橋篤史君、準会員となった釣り名人・小玉易五郎氏を加えて、2002年は、充実した山釣りを満喫できた。2003年は、どんな夢と感激が待っているのだろうか・・・