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不思議な岩魚の生態

 「岩魚」、何ともゴツイ名前である。
 厳しい谷に生き抜くイワナは、不思議な生態をもつ。
 ヘビを食う話は有名だが、
 さらにアリや同類のイワナをも食ってしまう。
 一旦、大洪水となれば、
 何日も餌に有り付けない。
 だから、どんなに腹一杯でも、
 渓流を流れる餌なら何でも食らう。
 川に棲む魚の中で「悪食家」のチャンピオンだ。
 ところが、人影に気付けば岩陰に隠れ、どんなに美味しい餌が流れてこようと食いつかない。イワナは魚なのに、爬虫類のように体をくねらせながら河原を歩くこともできる。
 イワナは、極端な二重人格と腰虫類のような行動をする不思議な魚だ。その不思議な生態が、「渓流の王者」あるいは「幻の怪魚」などと様々な形容詞で飾られるようになった。

 イワナはサケ科、もともと海へ下って成長、母なる川を遡り産卵する魚であった。冷水を好む魚ではあるが、氷河期になると、余りの寒さに南下を始めた。地球が暖かくなるにつれて、海へ帰れなくなった。これをランドロック(陸封)という。長い地球の歴史とともに生き抜いてきたイワナの歴史を物語るのが、体に散りばれられたパーマークである。イワナ釣り師たちは、この不思議な地球の歴史の紋様に「魔力」を感じ、深い谷の奥へ奥へと吸い込まれて行くのだ。


 感激が岩魚釣りの生命

 イワナ釣りの魅力って、一体何だろうか。
 もちろんイワナを釣ることの喜びもあるが、
 ただ釣ることだけを目的とするならば、
 他の釣りと何ら変わらない。

 初心者マークを付けていた時代は、毎週同じ沢にばかり通っていた。
 同じ沢に通っていると、イワナは確実に釣れるが、反面、不安や恐怖がなくなるばかりか、感激するようなことがなくなってしまう。

 感激ということがイワナ釣りの生命だとするならば、既知の渓流に通い続けるほどつまらないものはない。より多くの感激を求めようとすれば、より多くの不安や困難を伴う未知の渓流を目指さざるを得ない。


 独善に陥りやすい罠

 イワナ釣りは、先行者がいれば、どんな名人でも決して釣る上げることはできない。いきおい、誰よりも早く釣り場にたどり着き、暗いうちからせかせかと急き立てられるように谷に入って行かざるを得ない。

 かくして、イワナを釣りたいあまり、先行者を追い越して平然としている独善的な釣師も出現するようになる。


 日帰りの釣りならば、どんなにあがいてもイワナを釣ることが主日的になってしまう。一日谷を歩き回って、わずか2、3匹の釣果しかなかったならば明らかに不満が残る。イワナ釣りには、知らず知らずのうちにこうした独善に陥り易い罠が常に待ち受けている。


 未知の世界の麗しさ

 日帰り釣りの競争に疲れたイワナ釣り師は、誰もが容易に踏み込めない深山幽谷のイワナを求めて、野営覚悟で出掛けることになる。同じ釣り師とかち合わないためには、重い荷を背負い、道なき道を、少なくとも5〜6時間は歩き続けなければならない。

 ヤブをかき分け、激流を徒渉し、
 岸壁をへズリ、滝を高巻く。
 苦しい。
 その苦行とも言える愚かな行為を繰り返していると、
 今まで見えなかった世界が見えてくる。
 豊かな森の中を流れる末知の世界の美しさに釘付けになる。
 次第に釣りのことを忘れてしまう。

 溢れるほどの山菜やきのこ、
 可憐な高山植物、
 鬱蒼とした原生林、
 激甚の落差をもってほとばしる大滝、
 小滝を越えようと何度もジャンプを繰り返すイワナたち、
 巨岩が幾重にも織り重なった巨岩ゴーロ連瀑帯、
 天を突き刺すほどの吃立する壁、
 怪奇と伝説を育むのにふさわしい険谷……、
 イワナ釣り師を圧倒するに余りある渓谷美、
 日常の世界では体験することのできない未知の源流行は、
 刺激と感動に溢れている。


 畏怖すべき存在、それが自然

 渓谷美だけがイワナ釣り師を圧倒するわけではない。
 ひとたび、山の神様の機嫌が悪くなると、
 それはそれは恐ろしい。
 雷鳴とともにバケツを引っ繰り返したような大雨、
 あっと言う間に濁流と化す。
 谷全体が、奔流、疾走し猛り狂ったように襲ってくる。
 風の方も凄い。
 山が割れんばかりの地響きの音、
 山全体がゴォ-、ゴォ-と鳴り、
 深い森は狂ったようには唸り声を上げる。
 ブナの巨木は、グワァ-、グワァ-と泣き叫び
 次々となぎ倒されていく。
 判断を誤れば、死が待っている。
 「水の怖さ」「風の恐ろしさ」……、
 たとえ無神論者であっても、
 理性を超越した恐ろしさに遭遇すれば、
 「山の神」に祈るしか術がない。
 己がいかに小さな存在であるか、
 自然は畏怖すべき存在だということを嫌というほど思い知らされる。


 岩魚釣り師の特権

 晩のオカズにイワナを釣りに行く。
 滝の飛沫が降りしきる滝壷
 野生の鼓動が原始的な竿と糸を介して全身に伝わってくる。
 尺をゆうに越えるイワナを握り締めると、
 体が震えるような戦懐を覚える。
 瓢々と鳴る梢の音、
 葉のさざめき、
 センカンとして流れる渓谷の音、
 人間に犯されていない原始林の奏楽を聞きながら焚き火を囲む。
 イワナや山菜、渓流で冷やしたビールを飲む。
 イワナ釣り師だけが味あうことのできる特権だ。
 イワナを釣ることだけしか考えていなかったイワナ釣り師は、
 たとえ2、3匹しか釣れなくとも不思議と満たされた気持ちになる。
 テントに潜り込めば、
 子供のようにたわいもなく深い眠りに落ちる。

 山の最も深い谷底、
 その広大な自然画廊を観賞しながら沢を登り、
 源頭の猛烈なヤブを泳ぐように進めば、天上の世界。
 モクモクと煙のように重なり合っている広葉樹の森。
 明快豪快、胸がすく。


 渓師への進化

 沢登り、山野草、山菜、イワナ、水棲昆虫、虫、野生動物、野鳥、森、高山植物、温泉、カメラ、記録……。
 遊びのフィールドが拡大するにつれて、
 イワナ釣り師の心は、次第に自然と岩魚を大切にしたい
 という衝動が湧き起こる。
 イワナだけを釣る「名人」あるいは「達人」になりたいとの願望は、色あせてくる。
 イワナ釣りは、多様な遊びの中の一つに過ぎない
 と考えるようになったとき、
 「イワナ釣り師」は、「渓師(たにし)」に進化する。

 生意気なことを言わせてもらえば、
 本当の岩魚釣りの魅力を味わうことのできる釣り師は、
 渓師たちに限られる。


 巨大な山や谷を釣る

 谷は山の一部である。
 その谷の奥深く、
 最も原生的な自然が残された深山幽谷に棲む魚がイワナであるから、
 イワナは山の一部であるとも言える。
 極論すれば、イワナ釣りは単なる「魚釣り」ではなく、
 イワナを通して巨大な山や谷を釣る行為でもある。
 だが、山や谷は人間にとって余りにも巨大で 一生釣り上げることのできない存在だ。
 だからこそ、イワナ釣りは、夢のような存在であり、
 渓師にとって憧億の対象になったのである。

 未知の源流には、常に不安、恐怖、苦難がつきまとう。
 便利さに慣れ切った現代人にとっては、
 不便さを求める馬鹿げた遊びだと言う人もいるだろう。
 だが、この苦行とも言えるような向こう側には、
 下界では決して味わうことができない喜びや感激が待っている。

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