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棚田鈴の滝マタギサミット「邂逅の森」熊谷達也マタギ特区生業の里・山熊田
 平成16年7月3日〜4日、第15回ブナ林と狩人の会〜マタギサミットinさんぽく〜が新潟県山北町交流の館八幡で開催された。マタギ集落山熊田の一年を記録した生業のビデオ上映、マタギの凄絶な人生を描いた最新作「邂逅の森」で山本周五郎賞を受賞した作家・熊谷達也さんはじめ、大日本猟友会専務理事・小熊さん、全国的に注目された「マタギ特区構想」を提案した阿仁町の小松さん、狩猟文化研究所代表・田口先生の4つの講演に続き、「猟友会の新たな展開」と題してパネルディスカッションが行われた。
新潟県山北町周辺概要図
 山北町大毎の美しき棚田の風景、日本の滝100選「鈴の滝」、マタギサミットinさんぽく、マタギ集落・生業の里「山熊田」の順に撮影編集した。山釣り馬鹿の「写真と言葉化」・・・果たしてその意がどこまで伝わるだろうか。
美しき棚田・・・新潟県山北町大毎
 新潟は、棚田の面積が日本一。それだけに、マタギサミット前に棚田の風景を撮りたいと思い、秋田市を6時30分に出発。山北町まで約4時間。山北町大毎から朝日村高根へ向かう広域農道沿いを走ると、美しい棚田がたくさんあった。田んぼの畦、のり面、ため池、道路、水路、川、山際・・・全ての草が綺麗に刈り取られ、美しい棚田の絶景を楽しむことができた。
 美しい曲線美を描く棚田。東北の棚田は、畦が土で作られているものが多いのに対し、西南日本の棚田は傾斜が大きく石積みになっているものが多い。山北町の棚田も東北と同様、土で作られた棚田だった。それだけに長大なのり面の草刈りは大変だ。
 草刈りをしている老農に話を聞いた。「直接支払の交付金は、10a当たりいくらもらってますか」「あぁ、中山間の。ここは全部で2町8反ぐらいだけれども、10a当たり2万1千円だな。半分は個々の農家に配り、残り半分は集落全体で、道路や水路、川、里山周辺の管理費に当てているな」
 「んだども、補助は今年で終わりだ。国にも金がないようだで、先が見えん」「これだけ効果が出ているんだから、継続してもらわんと困りますね。全国的にもその声は大きいですよ。きっと継続されるでしょう」。

 最後に老農は自慢そうに言った。
 「ここの米は、魚沼産のコシヒカリより美味いだ」
 「そうですか。確かに水も綺麗だし美味そうだね」
 峠付近に来ると、残念なことに耕作放棄された棚田が散在していた。「百姓どもが夢の跡」・・・
 棚田の美しさは、その地域の自然と風土から生まれ、数百年、数千年の歴史を誇るがゆえに、悠久の美、自然と人間が造り上げた文化的景観と言える。さらに言えば、棚田周辺の里山を含めて、生物多様性の宝庫でもある。

 しかしながら、文化的景観や生物多様性は、今のところ全くお金にならない。都会の人たちが棚田を眺めながら、「棚田は美しい。ぜひ残してほしい」と・・・でも、その時食べていたのは、棚田のおにぎりではなく、ハンバーガー。外国の安い牛丼や輸入農産物を食べながら「棚田は美しい、ぜひ残してほしい」・・・これが一般的な日本人の姿だろうと思う。

 昔は、地産地消なんて当たり前のことだった。そんな時代は、食も景観も文化も全てリンクしていたはずだ。農産物輸入大国となった現在は、そのリンクがことごとく切れてしまった。こんなお寒い現状では、直接支払いで支えるしか棚田を守る術がない。もし直接支払いがなくなれば、棚田の崩壊は加速度的に進むだろう。なぜなら、支えるリンクがことごとく切れているからだ。
日本の滝100選「鈴ヶ滝
 山北町大毎の広域農道を走ると、朝日村高根集落に出た。看板を見ると、ここから8キロ奥に「鈴ヶ滝」があると記されていた。急遽、予定外の滝見へ。舗装された山道を走ると、やがて分岐点。ここを右の林道を進むと、まもなく「日本の滝100選 鈴ヶ滝」の入り口に着く。
 ブナ林の坂道を下ると、すぐ右手に「鈴ヶ滝小滝」が現れる。落差は38m。しばし滝を眺めながら涼む。
 本流に降り、苔生す渓流沿いを進むと、左岸から右岸に渡る吊り橋がある。揺れながら吊り橋を渡り、対岸の斜面を登り切ると、目の前に「鈴ヶ滝」が姿を現す。その滝を携帯電話のデジカメで撮影していた可愛い新潟こまちが・・・「なかなかいい滝ですね」と声を掛けると、「そうねぇ・・・下の小滝に満足してちゃ、やっぱりダメですね」・・・
 展望台から滝の下に降りる。落差55mから一気に落下する鈴ヶ滝大滝・・・滝壺に近づこうとするも、飛び散る飛沫に逃げまどう老夫婦・・・それでも左に大きな岩が2個居座っているお陰で、爆風はかなり弱められている。もしこの岩がなければ、滝に近づくのは至難の業だろう。
 額から汗が滴り落ちるほど蒸し暑い日だった。こんな日は、滝の洗礼を受けるのが一番だ。マイナスイオンと清冽な飛沫を全身に浴びて、しばし滝の撮影を楽しむ。
 朝日村高根集落を流れる川では、子どもたちが清流と無邪気に遊ぶ姿が見えた。母親たちは橋の上で談笑しながら、子供たちを見守る。昔の子供時代を思い出す微笑ましい光景だった。
第15回ブナ林と狩人の会 マタギサミットinさんぽく
 マタギサミットの会場は、山北町勝木の交流の館八幡。驚いたことに、廃校を利用した施設とのこと。受付をすませると、「菅原さん」との大きな声が聞こえた。何と秋田県猟友会副会長の松田美博さんだった。早速、隣に座っていた大日本猟友会専務理事の小熊さんを紹介してもらった。秋田からは、マタギ発祥の地・阿仁町猟友会会長の吉川さん、渡部さん、阿仁町役場の小松さんが参加。風邪で寝込んでしまった仙北マタギの戸堀さんが、突然欠席したのは残念だった。
マタギ・生業の里「山熊田」のビデオ上映
 ビデオの上映は、マタギ集落・山熊田の一年を追った貴重な映像。最後は大きな拍手が巻き起こるほど、生業の暮らしは感動的だった。山焼きと焼畑農法、シナノ木の皮からシナ布織りまで気の遠くなるほどの時間と労力を掛けた生業、トチの実拾いとアク抜き、アク笹巻き・・・これらには全て灰が使われている。昔から伝承されてきた山熊田の究極のリサイクル・・・それを「灰の文化」と呼んでいる。
 電気もガスもなかった時代、囲炉裏で暖をとり、濡れた衣服やワラ靴を乾かしたり、煮炊きをしたり、焼くことで食事を作った。火は同時に照明の役割も果たす。囲炉裏は火の果たす全ての機能を備えた家族の暮らしの中心であった。「人の生活で大切なことは、火を炊くことと水を使うこと」と言われるが、もう一つ・・・「灰」は捨てるものではなく、暮らしに欠かせない大切な資源だった。(写真は、山熊田集落の「さんぽく生業の里」内部で撮影)
 ビデオは山熊田の山焼きのシーン。山熊田では、今なお焼畑農法で赤カブを栽培している。焼畑は雑草が生えず、虫がつきにくい。さらに灰には、栄養が豊富に含まれている。だから農薬も肥料もいらない優れた農法だ。これも灰の文化の一つ。

 かつて焼畑は遅れた農業とみなされ、森林破壊の元凶として世界から非難された。しかし、伝統的な焼畑の技術は、自然の力を最大限に引き出し、人間の生存を図りながら、長いスパンで生態環境を維持していく持続的な循環型農法として見直されている。
 写真は、シナノ木の皮剥ぎ・・・6月中旬から7月の梅雨期に、樹齢10年ほどの木を伐採し、外皮を剥ぐ。芯を抜き取り中皮を剥ぎ取る。こうして皮を剥いでも、その外側にある幼木が成長し、次々と生えてくるから、永遠に利用できる。ちなみに秋田ではシナノ木を「マンダ」と言う。和賀山塊堀内沢は仙北マタギの猟場だが、二股上流に「マンダノ沢」という地名がある。
 皮を束にして陰干し。シナ布を作るにも、灰は重要な役割を果たす。8月頃、灰汁で二、三日煮て柔らかくするために使うという。つまり灰のアルカリ溶液中で煮沸するから、繊維が柔らかくなり容易に取り出せるようになる。
 シナ裂き・・・シナ皮をさっと濡らして、指を巧みに操り、細かく裂き糸状にする。一束づつ束ねて又乾燥させる。
 最後のはた織りは、2月から3月末頃の寒冷期に織り上げる。シナ織りが終わると、雪深い山熊田にも、待ちに待った春が訪れる。作業工程は、大きく分けて12にも及ぶ。
 シナ布製品・・・丹念に織り上げられたシナ布には、遠い祖先の知恵と、雪深い山村で黙々と織り継がれてきただけに、見る者を圧倒する。

 アク笹巻き・・・笹巻きにもアク(灰)を使うとは驚かされた。灰汁に浸したもち米を笹で巻き、コトコト煮ると黄金色のチマキができる。灰は雑菌を抑える効果があり、普通のチマキより保存がきくという。なるほど・・・と頷く話だった。
 山熊田のカンジキは、秋田県阿仁マタギのカンジキと全く同じだという。山熊田は、もともとマタギ集落だが、今では、灰の文化が息づく「さんぽく生業の里」として有名になった。それにしても、灰の文化を大切に伝承する生業が、山熊田に生きているだけでも、奇跡に近いと思う。
マタギサミット交流会
 写真は、狩猟文化研究所代表の田口洋美先生が明日の講師である作家・熊谷達也さんを紹介しているところ。他にマタギ特区を提案した阿仁町の小松武志さん、大日本猟友会の小熊専務理事が紹介された。明日の講演が楽しみだ。
 いつも飲み過ぎないようにと思うのだが、いざ始まるとマタギペースに呑み込まれ、泥酔モードに突入してしまう。翌朝、頭がガンガン・・・やっぱり「日本国」なる冷酒を飲むべきでなかった。これは酒が悪いのではなく、日本国を征服するなどという馬鹿げた妄想、夢心地に浸り、ひたすら飲み過ぎただけ・・・。
 右から大日本猟友会専務理事の小熊さん、真ん中が最新作「邂逅の森」で山本周五郎賞を受賞した東北を代表する作家・熊谷達也さん、左が秋田県猟友会副会長の松田美博さん。二人の講師は、なぜか「熊」が付いている。もしかして先祖は、農耕民族ではなく狩猟民族か・・・。
「マタギと文学、その可能性」 仙台在住の作家・熊谷達也
 ついに出ましたマタギ作家・・・熊谷さんの第一声は「本物のマタギを前に光栄だが、逆にやりずらい」と本音を吐露。7年前に作家デビューしたが、正面から自然に向き合って書く小説家はいない。動物作家の戸川幸夫さんは、今年の5月に亡くなった。私は、自然の中で生業としている人たちを書いている。

 大正から昭和初期のプロレタリア文学は、農民、漁民を取り上げ、その代表作が「蟹工船」だ。しかし、これはマルクス・レーニン主義、つまり搾取された労働者の革命運動という思想が根底にあった。自然の中には、小賢しい思想よりも、もっと大きなものがある。

 都会の人たちは、「マタギ」イコール「仙人」みたいなイメージを持っている人が多いが、東北の山村では、ごく普通の日常の世界に過ぎない。現代のマタギを理解している人は、おそらく0.1%もいないだろう。 
 1997年、「ウエンカムイの爪」で小説すばる新人賞を受賞し、作家デビュー
「漂白の牙」(集英社文庫)で第19回新田次郎文学賞受賞・・・雪深い東北の山奥で、主婦が野獣に食い殺されるという凄惨な事件が起きた。現場付近では、絶滅したはずのオオカミを目撃したとの噂が流れる。獣と人間の壮絶な闘いを描く冒険小説。

「相克の森」(集英社)・・・「今の時代、どうしてクマを食べる必要性があるのでしょうか」。秋田県阿仁で行われたマタギ親睦会。都会育ちの女性編集者の発言が、会場に波紋を巻き起こす。動物写真家の言葉「山は半分殺してちょうどいい」をきっかけに、マタギ取材を進める。東北の山で、今、何が起こっているのか。

「邂逅の森」(文藝春秋)で第17回山本周五郎賞受賞・・・目次を見ただけでも読みたくなる。第一章 寒マタギ/第二章 穴グマ猟/第三章 春山猟/第四章 友子同盟/第五章 渡り鉱夫/第六章 大雪崩/第七章 余所者/第八章 頭 領/第九章 帰 郷/第十章 山の神。「獣を殺す旅だった。大正三年の冬、松橋富治は、年明け間もない山形県の月山山麓、肘折温泉から深く入り込んだ山中で獲物を追っていた。・・・」
 今の世の中は、声の大きい人の一人勝ちという危険性がある。情報が氾濫する中で、マタギの人たちは、そっとしておいてほしい、というのが本音だろうが、今は通じない。マタギに代わって、外へ発信する人が必要だ。マタギの眼差しは凄く「まっとう」だなと思う。

 かつて東北にも被差別部落は、あったはずたが、関西と違って自然に消滅した。これは狩人と近い人たちと生活していた東北の精神風土の凄いところだと思う。
「大日本猟友会の現状と問題点」 大日本猟友会専務理事 小熊 實
 猟友会の会員は、ピーク時の1/3(14万5千人)に激減している。さらに40歳未満は数%に過ぎず、危機的な状況にある。特に若いハンターを育てることが大きな課題。「大日本猟友会」という旧い名前は、数年後に変えた方が良いと思う。ハンティングに対する社会的な理解や共感を得るために、狩猟とは、こうあるべきという検討をしている。
「マタギ特区構想について」 阿仁町役場 小松武志
 昨年11月28日、国が地域限定で規制緩和する構造改革特区の第四次募集に「マタギ特区構想」を提案。この時の新聞記事の概要を記す。

 構想は、国が現在規制しているカモシカの狩猟やどぶろくの製造販売の許可のほか、古民家への宿泊を可能とし、観光客が野生動物を食べられるよう規制緩和するというもの。・・・マタギは、シカリと呼ばれる統率者を中心に組織。古くから受け継がれてきた信仰や慣習を守りながら、狩猟などを行い、自給自足の生活をしてきた人々で・・・阿仁町観光課によると、現在、町には猟友会のメンバーが70人ほどいるが、マタギ本来の信仰やしきたりを知る人は年々減少している。

 町の提案では現在、国の法律で定められている狩猟期間を一ヶ月延長。独自の鳥獣保護管理計画を作成し、特別天然記念物に指定されているニホンカモシカの狩猟ができるよう規制緩和を求める。また、伝統のマタギ文化を多くの人に知ってもらうため、特区に限って古民家に宿泊、捕らえた野生動物を消費できるよう求めている。

 町観光課は「マタギの生活基盤を再構築するには、多くの人にマタギ文化を知ってもらうことが必要。観光を振興することで、伝統的なマタギ集落を残していきたい」と話している。(河北新報あきた県内版 2004.11.28)
 秋田県内のニホンカモシカ個体数は、1990年約1万3千頭だったが、2002年の調査では、約2万2千頭で、1.7倍に増加している。個体数の増加とともに、秋田県で深刻な問題はヤマビルの被害が拡大していること。つまり、媒介動物であるニホンカモシカが増えすぎたために、生息分布域が奥山だけでなく、民家周辺まで拡大。今や「ヤマビル」ではなく「里ビル」と言われるような深刻な事態に至っている。ヤマビル被害対策連絡会議では、「カモシカの個体数調整はできないものか」との意見も出ている。

 秋田県でヤマビル被害の報告があったのは、昭和52年五城目町営林署管内。以来、年々生息域を拡大し、今では、秋田市、五城目町、井川町、昭和町、上小阿仁村の5市町村に拡大、特に秋田市の南下が顕著である。こうした現象は、特定の種だけ保護すれば、生態系のバランスが崩れる典型的な例だと思う。
 阿仁ではクマよりも人の方がもの凄いスピードで減っている。クマと人とのコミュニティを維持するのが難しい。マタギがいる東北が頑張らないと、日本はやばいなぁと思う。マタギ特区の意義は、マタギの暮らしと文化を守ることと、その背景にある経済活動、管理、モニタリング等の資源の適正利用制度・体制を確立すること。そして「人と自然との共生関係」を維持・伝承していくこと。

 しかしマタギ特区構想は、国が「不可」と判断。環境省は「狩猟期間は生態系に配慮して決められている」「絶滅の恐れがあるとしてレッドデータブックに記載された種を狩猟鳥獣にはできない」などを理由に、狩猟期間を一ヶ月延長することやニホンカモシカを狩猟対象にする規制緩和を認めなかった。
「地域個体群保全管理狩猟の構築に向けて」 狩猟文化研究所代表田口洋美
 100年後の日本列島はどうなるのだろうか。現在の人口1億2千7百万人が7千万人〜8千万人に激減、昭和初期の人口に戻るだろう。山村は次々と廃村化し、マタギの技術も喪失、森に吸収されるだろう。一方、都市近郊農村の過疎化が進み、都市へ吸収されるだろう。狩猟人口も激減、狩猟技術もどんどん失われるだろう・・・

 そうなれば、森も野生動物も都市近郊に押し寄せてくるだろう。このまま手をうたなければ、動物にやられ放題になるのではないかと警告。この推測が現実になった時点で考えても遅い。今のうちにシステムを作っておかなければならない。「マタギ特区」もその一つ。
 狩猟者・猟友会の役割・・・1.人間の生活空間の保持・有害鳥獣の捕獲 2.適正な狩猟活動を実施することで持続的な資源利用を実現、地域個体群の安定化を図る 3.地域の自然を理解するために必要な知識を一般に開示するために、経験知を言葉化していくことが必要

 市町村合併だけでなく、集落の消滅・合併が続くだろう。そうなれば朝日連峰の広大な森を100人あるいは200人で管理しなければならない。そうなると、猟友会同士で行政区を越えた地域個体群の情報を共有化していかないと管理できなくなる。また大日本猟友会では、実践的な狩猟学を立ち上げ、1年かけてみっちり研修した後、現場に配置するなどナチュラリストとしての狩人の育成も必要だ・・・そして地域個体群管理狩猟のモデルを構築したいと提案した。
パネルディスカッション・・・猟友会の新たな展開
 都会の人の「共生」は、動物と仲良く暮らす、といった実にあいまいなもの。まして、野生動物を捕るなんて考えられない。マタギのやってきた共生とのギャップが大きい。だから私は「共生」とか「癒し」といった言葉が嫌いなんです。

 三面のタイトルは「山に生かされた日々」・・・これは山人たちが、ひたむきに生きてきただけですが、一般市民が理解できる言葉化を進めていくことが必要だ。「共生」の裏には「共死」がある。あるマタギの古老は「俺は山で生かされ、獣を食って生かしてもらった。そろそろ獣のエサになってもいい」と言った。

 パック詰めされた肉を食べている人は、殺しを金で買っているだけ。生き物を殺して食う経験がない。身近に見たこともない。これでは「命」の意味が分からなくなっているのではないか。

 マタギといえども、日常では普通のおじいさん。むしろ私とマタギの立場は主客転倒しているようなもの。しかし、山に入ると絶対かなわない。理屈もしゃべらない。自慢もしない。ただ背中を見ているだけで格好いい。生き様、死に様の格好良さって必要だと思う。
 会場から意見・・・カミさんが狩猟をやっているんで、ノコノコついてきました。私は炭焼きを見て、その生き様が凄く格好良かったので、今、炭焼きをやっている。ボランティアで炭焼き体験を指導してくれ、なんて言われることもあるけど、プロに無料で指導を頼むなんておかしい。文化を箱に入れたら化石。文化は生きているところに意味がある。経済の回らないレジャー感覚じゃ、営みなき文化だ。マタギ文化を本気で残そうとすれば、野生の肉を経済として回るような仕組みが必要だと思う。

 阿仁では、クマ肉をキロ当たり1万円で売っている。カモシカは希少価値があるから、数が少なくとも単価を高くできる。エコツーリズムも有料。プロですから当然。才能、人格のある人なら、満足度も高く、単価も高い。
 北海道西興部村では、現在、有料のガイドハンターをやろうと準備を進めている。相手は、都会のハンターあるいは初心者を考えている。北海道は、アイヌ文化の影響を受けたハンターで、東北とも、都会とも違う。一部だが、エゾシカの肉を売ったり、ガイドハンターで収入を得ている人もいる。しかし、全収入の数割に過ぎないが。

 いかにして飯を食うか、そして若い仲間をつくるか・・・これが今後の課題と総括し閉会。
マタギ・生業の里・山熊田
 マタギサミット終了後、感動的な生業のビデオと「山熊田」という魅力的な地名に惹かれ、大川最奥の村を訪ねた。集落の戸数22戸、約70人。

 マタギの里・山熊田では、初夏を迎えるとシナノ木の樹皮を剥ぎに森へ入る。持ち帰った樹皮で糸をつむぎ、雪深い冬にシナ布を織る。シナ布は、水に強くサラリとした肌触りが良く、昔は衣服、袋物などに利用された。
 さんぽく生業の里・・・村の中に一軒の空き家があった。築後50〜60年、面積約160平方メートル。その空き家を、生業の里として交流を図る施設に改修。太い梁をそのまま生かし、シナ織りが体験できる作業所や展示場に生まれ変わった。
 山熊田長期滞在施設・・・山熊田の暮らしや文化に触れたい人にとっては最適の施設。一泊、町外一般1200円/人、高校生・大学生600円/人、小・中学生350円/人と格安。問い合わせ:山北町観光協会0254-77-3111
 旧大川谷小学校山熊田冬季分校・・・石碑に刻まれた校歌には、次のように刻まれていた。「ぐるりと山に 囲まれて/山菜食って 伸びて来た/僕らに強い 芯がある/励み学んで 頑張ろう」・・・「山菜食って 伸びてきた」という実にストレートな歌に釘付けとなった。恐らく日本中探してもないのでは。それだけに山熊田の個性がキラリと光る校歌だ。
 山熊田の手前にある中継小学校に掲げられた看板・・・こういうのを見ると、100年後の山村はどうなるのだろうか。田口先生が推理した「森も野生動物も都市近郊に押し寄せてくるだろう。このまま手をうたなければ、動物にやられ放題になるのではないか」との警告は、単なる杞憂ではなく、現実味を帯びて迫ってくる。
 川沿いに拓けた山熊田の美田。来年のマタギサミットは、山熊田集落の山一つ隔てた山形県朝日村で行うことが決まった。朝日村と言えば、山の民の生業としてクマタカで鷹狩りをする男がいる。日本最後の鷹匠・松原英俊さんだ。彼の師匠は、映画「老人と鷹」のモデルともなった鷹匠・沓沢朝治さん。秋田県最後の鷹匠・武田宇市郎さんも沓沢家に泊まり、鷹談義をした仲だ。その松原さんを知っている方とも出会えた。来年は、ぜひ松原さんにお会いできれば・・・と思う。

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