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 岩魚が群れ遊ぶ渓の復活を祈りながら、再び滝上に放流

 岩魚という魚は、産卵期になると、ひたすら源流をめざして遡上を繰り返す。越えることが到底無理と思われるような滝でも、何度も何度もジャンプを繰り返しながら、滝を越えようとする。それは何故なのだろうか。私の勝手な解釈では、遡上を繰り返すことをやめれば、あっと言う間に岩魚は絶滅する運命にあるからだと思う。

 雪代や梅雨期、一時的に増水すれば、泳ぐ力が弱い稚魚たちは避難することもできず、かなりの数が下流に流されてしまう。大雨による出水回数の多い年は、稚魚の生存尾数が少ないことは、数々の調査で明らかにされている。急勾配で川幅の狭い渓流では、中・下流域に比し、増水が急激に起きる。原種と呼ばれる在来岩魚は、そうした源流域に住み、特に出水による影響を受けやすい。反面、源流は、初雪から雪代が始まるまでの水位安定期間が最も長い。常に上流を目指す岩魚の生態は、日本の過酷な山岳渓流にランドロックされて以来、今日まで生き延びてきた進化の一つと言えるのではないか。
 21世紀、原種:「神秘の美魚」と呼ばれる在来岩魚をどれだけ残せるか・・・これは釣り人たちに課せられた大きな課題だ。

 川虫の場合でも、羽化した成虫は、上流をめざして産卵する。やがて幼虫は、雪代や梅雨とともに流されながら成長する。この「遡上と流下」を繰り返すことによって、初めて一定のエリアで生活することができるのだ。源流域ほど水量も餌も少ない。しかし、淡水魚の中でも岩魚という魚は、水温が低く餌が少なくとも効率よく生きていける、言わば「省エネタイプ」の魚であることは間違いない。こうした岩魚の生態を知れば、原種の保護には、釣り人も容易に近づけない滝上放流が有効であることがわかるだろう。さらに、滝によって隔絶された原種は、たとえ下流域に養殖岩魚が放流されたとしても、交雑の危険を避けることができる。
 大正時代、渓谷に隠された美を探究し、渓谷遡行のパイオニアと呼ばれた冠松次郎は、谷の精・岩魚について次のように記している。
 「梅雨が上がって盛夏になると水の色はいよいよ冴えてくる。・・・碧水の中を楽しむ岩魚の群れが実に鮮やかに見える。好んで滝津瀬の下の淵に集まってくる岩魚の群れは、どの淵をのぞいても木の葉のように沢山動いている。・・・釣りの上手な人ならば、1時間に二、三十尾は釣り上げられる。それが皆目の下尺以上のものだ。キャンプを移動しながら、盛夏の旬日を魚釣りに暮らすのも随分愉快なことだと思う。」

 冠松次郎が歩いた時代は、ひとたび山懐に向かえば訪れる人も稀で、我々が想像する以上に岩魚が群れていたことがわかる。そんな夢の渓の復活・・・
 捕獲した秘渓A沢の岩魚たち。小さな白い斑点、頭部は若干虫食い状の斑紋がある。腹部は、鮮やかな橙色、側線下に橙色の斑点をもつ在来の岩魚だ。これらの固体は、下流域に懸かる幾つもの滝上に、山人たちが移植放流を続けた結果生き残った子孫でもある。
 秘渓A沢の滝壺で伊藤氏が釣り上げた尺岩魚。橙色を帯びた体色、腹部、前ビレは濃い柿色に染まり、小さな白斑点が全身に散りばめられている。やや薄いが側線より下に橙色の斑点がはっきりと見える。その美しさに誰彼となく「綺麗だなやぁ、これって黄金岩魚って言うじゃないか」と言った。
 小雨が降り続く中、焚き火を囲んで昼食。腹ごしらえをした後、右岸の尾根を登る。滝は何段にも連なっている。滝から離れないように屹立する尾根を登り、そろそろ横へトラバースしようと思って沢の方向を見ると、まだまだナメの滝が連続していた。50mほどの落差か、と思っていたが、どうも総落差は100mほどもありそうだ。斜面にへばりつくように林立するヒバの根元で小休止。登っては、横にトラバースしながらやっと滝上に出た。左は、無事滝上に運んだ岩魚。右は、放流地点右岸に群生していたヤマワサビの群落。小沢が流れ込む緩斜面に、まるでワサビ田と呼びたいほどの大群落を形成している。
 放流の儀式・・・生かしビグから一匹づつ取り出し、岩魚が群れ遊ぶ渓の復活を祈りながら優しく放流。岩魚を放流しているのが小玉氏、左で嬉しそうに見ているのが伊藤氏。小雨が降り続く中、釣り馬鹿三人が力を合わせたからこそ得られる感激のシーンだ。

 釣り師なら水たまりのような場所にも岩魚が細々と生きている現場に出会ったことがあるだろう。さらにヤブだらけの小沢は、実は岩魚を供給する貴重な種沢であったという事実に気付くだろう。魚止めの滝が連続する険谷の奥の奥で、群れる岩魚を発見したときの驚きと感激・・・北東北の源流を旅して出会った山棲みの人たちによる移植放流の歴史は、原種保護と下流に岩魚を供給する種沢的な役割を果たしている。
 右の写真は、岩魚が手から離れる瞬間だ。滝上を大きく巻いたにもかかわらず、やけに元気がよかった。瀬に猛烈な勢いで走り、流れの中心部で止まった後、白泡の中に消えていった。

 釣り人なら、誰しも、養殖魚より原種を釣りたいはずだ。原種と呼ばれる魚が激減している今日、安易に養殖岩魚を放流したり、キャッチ&リリースで「魚の溢れる川に」などと叫ぶだけでは、原種岩魚を守れるものではない。ブナ帯文化の一つ・・・滅び行く魚たちへの愛と実践を継承できるのは、今や釣り人しかいない。
 何度も滝上に遡ろうとジャンプを繰り返す岩魚たち・・・その見果てぬ夢が現実になった時、岩魚はどう思うだろうか。「岩魚もどでん(ビックリ)したべな。滝上を飛行機で飛んで海外旅行にでも出た気分だべが。・・・まさか帰りたいなんて言わにゃべな」。
 採取したシドケを前に記念撮影。岩魚の放流に感謝したのか、山の神様は恵みをどっさり用意していてくれた。感謝!感謝!・・・帰りの荷は山の幸で溢れていた。朝5時前に車止めを出発、放流を終えて車止めに着いたのは夕方の6時前、またしても13時間に及んだ。しかし、体はすこぶる軽く、心は充実感で溢れていた。3年後、岩魚が群れ遊ぶ姿を確認するために、必ず一緒に来ることを約束しあった。
 左は、根が太い極上のヤマワサビ。右は、タケノコ。タケノコは、味噌汁が美味い。山の幸で一杯飲んだら、あっと言う間に睡魔が襲ってきた。それにしてもタケノコの味噌汁は美味かった。
 苔に覆われた岩、岩・・・その中を落走する幾筋もの流れ。源流の雰囲気が漂うB沢合流地点。右の沢は、落差の激しいゴーロが連続しているが、水量は以外に多い。気になる沢だったが、これまで一度も竿を出したことがなかった。今回、試しに岩魚の生息を確認してみたが、一匹も確認できなかった。また楽しみが増えたようだ。

 「日が暮れると谷間は一層暗くなり、流れの音が強く聞こえるようになる。私たちは天幕の前で焚き火を囲んで夕餉につく。何にしても渓の食事は美味い。もみにもまれた美しい水でといだ米、ふんだんに岸辺に溜まっている流木を焚き木として、石を積んだ竈で飯を炊く。菜には岩魚がある。フキ、ウド、山なずななどの谷の植物もある。知らず知らずのうちに食べ過ぎるのが常だ。」(冠松次郎)・・・いつの時代でも、水と緑したたる渓の旅人にとって、岩魚と山菜は欠かすことのできない存在だ。それだけに、清冽な源流で岩魚と山菜を手にした者は、豊穣の森と渓に限りない畏敬と感謝の念を抱くようになる。日本人の心の原点、自然に対する畏敬と感謝の念は、人から教えられるものではなく、自然から直接学ばなければ決して得られない。

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