画像数40枚、しばらくお待ちください・・・山釣りの世界TOP



 今は亡き庄司師匠から「釣るだけでなく、ちゃんと記録をとれ」と教えられた。以来、記録し続けた「釣りの記録」が数冊。その古ぼけた日記をめくると、今でも鮮明に蘇る小沢があった。余りの魚影の濃さに度肝を抜き、タイトルは「岩魚の宝庫」と記されている。生まれて初めて毛鉤に挑戦したのもこの沢である。

 当時の日記には「魚影の濃い沢は、天気、エサ、仕掛けなんてさほど影響がない。毛鉤を練習してみたが、その毛鉤に群がる岩魚の多さにビックリ。尺岩魚が毛鉤目掛けて浮き上がってきたが、思わず早合わせで失敗!初めて釣り上げた岩魚は22センチの小物だったが、思わず゛ヤッター!゛と叫んでしまった」・・・

 その後20年の歳月が流れ、昔日の面影はなくなりつつあるのは残念だ。というのも、源流部まで林道が延び、奥地に広がるブナ林がことごとく伐採されてしまったからだ。20世紀は、こうした思い出の渓が次々と破壊された苦い経験ばかりが浮かぶ。

 自然を相手にする釣り師なら、ブナの消滅と共に水量も岩魚も激減したことをはっきりと感じ取れるはずだ。私が「自然と人間と文化を考える」活動を始めたのも、ただ釣るだけでは、21世紀の釣りの将来はないと思えてならないからだ。釣り人こそ、失われ行く自然に最も敏感な人種である、と信じて疑わない。
 2002年4月13日、かつて「岩魚の宝庫」と記した思い出の渓・白神の小沢に向かった。午前5時、気温は2度。ルアーの準備もしてきたが、この寒さじゃ一匹も釣れないだろう。やむなく、エサ釣りに切り替える。1時間ほど、山から吹き降ろす冷たい風に吹かれながら歩いた。ふと、谷を見下ろすと、ブナの芽吹きがはじまっていた。白神の春は、例年に比べてかなり早い。地元の人に聞けば、今年の山は2週間も早いという。
 小沢のガレ場を落差100mほど下ると懐かしの沢だ。底の岩盤まで透き通るような流れ・・・この清冽な流れに身を浸し歩いていると、半年間たまりにたまったストレスが次第に洗い流されてゆくのを肌で感じ取ることができる。カメラのレンズを水面ギリギリに下げて撮影した一枚。「心の洗濯」をイメージして撮影してみたが、その思いが伝わるだろうか・・・。
 この沢に生息する岩魚は二種。橙色の斑点をもつニッコウイワナと白い斑点のみのアメマス系の岩魚だ。寒さで手がかじかみ、エサを針に刺すのも難渋した。なぜか30分ほどアタリが全くない。気温、水温とも低いからだろうか。やっと釣れたと思ったらリリースサイズばかり・・・。上の写真は、2002年初のキープサイズの岩魚だ。橙色の斑点が鮮やかな岩魚だった。来る年も来る年も岩魚を釣ってはいるが、初物の岩魚を手にすれば、いつも新鮮な感動で心が躍り、その美しい姿態に見惚れてしまう。
 早朝は曇天で沢筋に冷たい風が吹き、震える寒さだったがやっと谷に陽が差し込んできた。すると俄然、岩魚のアタリが良くなった。昔日の面影はないとは言うものの、岩魚たちはまだまだ健在だった。蛇行する流れ、適度な落差、岩魚のポイントは連続している。
 上の写真は、白い斑点のみのアメマス系イワナだ。背中が虫食い状の斑紋をしているのに注目。左下のイワナは、斑点の橙色がやや薄い。右下は、白い斑点のみだが、前ヒレ、腹部の橙色が鮮やかだった。同じ沢に生息している岩魚でも、斑点の色や紋様、体色が微妙に異なっている。この不思議な生態に、釣り師たちは奥へ奥へと誘い込まれてしまう。
 次第に沢は落差を増してくる。この上流部から巨岩が点在したゴーロとなる。リリースサイズが多かったものの、わずか2時間ほどで目標のキープ5匹が釣れてしまった。竿を背中に納めて、今度はカメラと三脚を持って沢を歩いた。
 左:落ち葉から顔を出したフキノトウ 右:川辺に咲くフキノトウ
 既にフキノトウが咲く時期は過ぎていたが、雪崩の雪が解けたばかりの箇所に遅れて顔を出したもの。
 大量の落ち葉に覆われた残雪。この雪をくだいて、ビクの中に入れた。こうすれば、岩魚は、丸一日変色することなく家まで持ち帰ることができる。  私は早春でも胴長を履かない。それだけに、雪解けの冷たさが体の芯まで伝わってくる。こんなことを続けていれば、やがて神経痛に悩まされるかも知れない。でもそれを恐れていれば、清冽な流れの感触は得られない。
 朝9時、朝食。寒さで震えが止まらなかったので、焚き火で暖をとる。火は有り難いものだ。あっと言う間に寒さが飛んでいった。湯を沸かし、温かいカップラーメンを汁にオニギリを食べる。頭上から、春の訪れを喜ぶかのように小鳥の鳴き声が盛んに飛んでくる。美味い、美味い。最後に熱いコーヒーを飲みながら、思い出の渓にいる幸せをかみしめた。
 春の陽射しに、キラキラと輝く流れ。岸辺には、白のキクザキイチゲが彩りを添える。瀬でエサを待つ岩魚は、私に驚いて岩陰に隠れてしまった。
 左:岩盤を覆う苔が見事だった。 右:ダイモンジソウの若葉。これも食べられる。採取する時は、根を抜かないようにナイフで切り取ることを忘れずに。
 ただ沢を歩くだけではつまらない。今晩の野菜にと、山菜採りをはじめる。左手前の若葉がギョウジャニンニク、右手はゴバイケイソウ。紛らわしいので採取するときは注意。この周辺には、ギョウジャニンニクと間違えてゴバイケイソウを採取したらしく、選別されたコバイケイソウが捨てられていた。皆さんも注意を!
 ヤマワサビ。右は、ワサビの白い花のアップ。根から花まで全て食べられる。時には、沢一面に群生しているが、たくさん食べる山菜ではないので数本採るだけにとどめたい。
 日当たりの良い斜面には、早くもシドケとアイコが顔を出していた。写真は撮らなかったが、ホンナもあちこちに芽を出していた。シドケ、アイコ、ホンナは、地元の人たちに最も親しまれている山菜の代表格だ。それにしても、春の訪れの早さに驚かされた。
 渓の斜面を彩るイチゲとカタクリの群落。カタクリは、もう最盛期が過ぎて枯れ気味だった。
 キクザキイチゲは最盛期。  エンレイソウ。通常は1本独立して咲くのだが、束になっているのは珍しく、思わずシャッターを押した。
 ニリンソウの群落に、シラネアオイが顔を出していた。左上の紫色がシラネアオイだ。  ニリンソウとトリカブト。手前の白い花がニリンソウ、後の背の高いのがトリカブト。葉が似ているので、間違って採取し、中毒になる場合が多い。危ないので、この手の山菜には手を出さない方が無難だ。
 トリカブトの大群落。見渡す限り全てトリカブトで埋め尽くされた斜面に驚く。誰も採取しないから、その群落は次第に勢力を拡大しているようだ。
 左:ブナの芽吹き 右:,ネコヤナギ
 ブナの芽吹きは、暖かくなるにつれて黄色い花を咲かせ、淡い緑色の新葉を開き、やがて森全体が萌黄色に染まる。この時期こそ、白神が最も輝く季節だ。
 サシドリの若芽。秋田県由利地方では、これを食用として食べる習慣がある。  苔蒸したゴーロ連瀑帯。
 名水を飲む。ブナの森から沁み出す名水は、何度飲んでも五臓六腑に沁み渡る美味さだ。
 半年間、机に向かい、水道の水ばかり飲んでいたが、これではストレスもたまり、体調も悪くなるのも当たり前。思考もだんだん「○か×か」の単純思考に陥りがちだ。・・・人間は自然に戻らないと、精神の荒廃と将来に対する不安だけが増すだけのように思えてならない。20世紀は、農業が工業化したように、釣りまでもが工業化してしまったように思う。その象徴がブラックバス問題だと思うのは私だけだろうか。21世紀は、農業も釣りも自然の原点に戻るべきだとつくづく思う。
 在来種の美しい輝きを見てください。背中に散りばめられた白い斑点、側線より下の鮮やかな橙色の斑点。余りの美しさに思わずリリースした一尾だ。

 イワナはサケ科、もともと海へ下って成長、母なる川を遡り産卵する魚であった。冷水を好む魚ではあるが、氷河期になると、余りの寒さに南下を始めた。地球が暖かくなるにつれて、海へ帰れなくなった。これをランドロック(陸封)という。長い地球の歴史とともに生き抜いてきたイワナの歴史を物語るのが、体に散りばれられたパーマークだ。イワナ釣り師たちは、この不思議な地球の歴史の紋様に「魔力」を感じ、深い谷の奥へ奥へと吸い込まれて行くのだ。そして自然の深みにはまってしまう。
 在来種の輝きを放つ岩魚や一面に咲き乱れる山野草を眺めながら思った。
 2002年も、私は岩魚に教えを請いたい。恐らく体が動く限り教えられ続けるだろう。岩魚を追い続けたお陰で、ブナの森や山野草、山菜、きのこ・・・果ては、ブナの森に生きた山棲みの文化を知ることができた。もし岩魚に出会っていなかったら、私の人生は180度違っていたに違いない。

山釣りの世界TOP