チンチョンマアランフェス11/25

チンチョンからアランフェスへ行くバスは、朝早いか、夜遅いかの1日に2本しかなく、仕方なくタクシーでアランフェス迄行くことにした。長距離を言葉も分らず一人で乗るのは危険なので、広場のポリスへ行ってタクシーの手配を前日頼んでおいたら、間違いなく朝9時にホテルへ迎えにきた。ポリスのほうが、ホテルよりまだ安全と考えたためだ。
それでも、道は畑の中の細い道や、車の一台も走らない道を走るのだ。訳の分らない、言葉で怖さを紛らわせた。道の両側の木々が紅葉していて、なんとも言えずきれいだったので、
”Que bonito?”をバカの一つ覚えで繰り返していた。
それでもアランフェス宮殿の前で降ろしてもらった時にはほっとして、チップをはずんでしまった。宮殿の見学は、人が集まってからでないと、スタートしなかった。
人数が揃ったところで、見学がはじまったが、スペイン語の説明など、全然わからないし、みんなが笑っても可笑しくもない。

それにしても、ヨーロッパの宮殿は何処へ行っても絢爛豪華、本によると、16世紀、フェリーぺ2世が、春と秋の休養のために建築を命じ、カルロス3世の時に完成したとある。タホ川の畔に建てた贅の限りをつくした宮殿と書いてあった。
建築を命じたのがフェリーぺ2世であれば、むべなるかなというわけだ。
スペインが西ヨーロッパで最も強力で広大だった時代の王なのだから。

日本からの天正少年使節が拝謁を許されたのもこのフェリーぺ2世だということである。
当時の日本は信長が終わり、秀吉の時代になっていたわけだが、日本が戦争にあけくれていた頃、もうこんな立派な建築があったのだと思うとあまりの違いに驚くばかりだ。

当時の流行はシルクロードの発達で東洋趣味だったのか、中国的な紋様のタイルや壺なども多く飾ってある。

アランフェスマクエンカ11/25
クエンカ、中央のあたりにポサダ・サン・ホセがある。
クエンカは不思議な町である。旧市街は風化によって生まれた奇岩の上に出来た町。
アランフェスからスペイン国鉄に乗って、駅を出ると旧市街までは、ひたすら坂道を上っていかなければならない。

宿泊はポサダ・デ・サン・ホセ。その昔、ベラスケスの家族が住んでいたという。雰囲気はパラドールに近い。
私の部屋は上の写真の中ほどのところだが、目印に赤いスカーフをテラスに縛りつけて対岸から写真を撮って見ようと考えた。

対岸に行くには、谷底の道の上に懸けた、つり橋をわたって行かなければならいが、そこから眺める「パノラマ」こそ、ガイドブックにのっているクエンカなのだ。
この感動を誰かと一緒に分かち合えない時が、一番口惜しいと思うけれども、なんとかしてそれを写真に撮って帰ろうと一生懸命になったりする。

さて自分の部屋も帰ったときの自慢のたねにしようと、赤い目印を懸命にさがしてみた。
が、ない・・。え、どうしたの?あのスカーフは娘がフランス土産に買ってくれたのにどうしよう!
風に舞っていってしまったのかしら?ホテルまで戻るには5、6分はかかる。

写真もそこそこに、ホテルに帰り部屋に行ってみると、赤いスカーフはちゃんと出かける前に結んだままになっていた。ほっとしたが慌てて帰ったぶんだけ疲れてしまった。

「宙ずりの家}と呼ばれて、今は美術館になっている。
クエンカには、もう一つ思い出がある。
ガイドブックや絵はがきに、宙ずりの家の夜景があったので、私も挑戦しようと橋のふもとまで行ってみると、そこはもう谷底も、道も真っ暗やみで、懐中電灯を持った観光客らしい夫婦と行きちがってからは、だれ一人歩いてくる人もなかった。

揺れる吊り橋を手探りでこわごわ渡って行くと、後ろから「シニョーラ、シニョーラ」という声がする。え?シニョーラってもしかして私?そう思った途端、足が飛び上がってしまい、とにかく逃げようと橋の中程から対岸まで飛んで行ったが、相手の若い男は追い掛けてくるし、必死で逃げながら前方をみると、明かりが目に入った。

よかった!助かった!!飛び込んだ建物はクエンカのパラドールだったのだ。
レセプションの女性に怪しまれない様に、ちょっと見せて下さいといって、ひとまわりして、パンフレットも貰って、外に出ようとしたら、先程の男がまだいるではないか!しかも友だちとお喋りしている。
さっきのことを大きな声で話して二人で大笑いしているのだ。私が逃げる時に、フランス語で「助けて!」といいながら逃げたので、それが可笑しいらしく真似をしていた。

仕方がない、私は結局タクシーを頼んでもらって、坂をくだり、再び反対側の坂道を登ってホテルに帰ったわけです。あー疲れた。
こんな事になるんだっら、あの夜景の絵はがき一枚買えばよかったんだ、後から思っても仕方ない。