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私は自分が恥ずかしくなった。
今まで「漂流」「聖書の和訳」というキーワードには、即座に「ジョン・万次郎」と答えていたことが。
然し、裏を返せば「海嶺」が私に与えた衝撃がいかに大きかったか、ということにもなる。
こんな事が、江戸時代末期に本当にあったのだろうか。あったとしたら、この音吉漂流記だけだったのだろうか、と、私の好奇心はついつい深入りしていった。
図書館で3册程、漂流記関連の本をかりて来た。
それらを読んで更に驚いたのは、記録に残っている漂流だけでも数百、知られていないものまで入れると、その数百倍はあったのではないか、という事だった。
江戸時代、何故こんなに多くの漂流が起きたのだろうか。
その疑問の答えとして「海嶺」の中の水主頭と岩松のやり取りから探って見よう。
少し長いけれども引用する。
水主頭「大船に乗ったつもりで安心せえ。船が弱いんじゃない、嵐が強いんだ。」
岩松は海難は天災だけではなく人災でもあると知っている。長い航海の中で大小の嵐に幾度も遭っていた。
そしてその度に千石船の弱点を身に沁みて知った。例えば胴の間は甲板ではなく、取り外しのできる踏立板が並べられているだけだ。大波をかぶれば、たちまち水は船を浸すのだ。また、畳八畳もある大きな舵は、 船尾にぶら下がっているだけで、固定されてはいない。・・・
なぜそれらの構造が改良されないか、それは、鎖国を固執する幕府の方針に合致する造りだからだ。
つまり千石船は遠洋に耐え得ない近海船であった。
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