REPORTbyユゲラ − 2004年5月15日、16日 −

2004年5月15日

仕事の都合で、金子さんに遅れること約4時間、ついに上洛!
(ちなみに、京都へ行く前は、池部良さん、小泉博さん、久保明さん、石濱朗さん、杉葉子さん、という豪華メンバーとお会いしておりました)
あいにくの雨模様でしたが、京都へ着くと、早速、金子さんと合流。
すでに、先乗りしていた金子さんは『赤影』の計測(撮影部チーフ)をされていた佐賀彰さんと食事をされ、準備万端。
(佐賀さんはご自身が俳優でもおかしくないくらいダンディな方でした)
そして、原口監督との待ち合わせ場所、京都駅前・新阪急ホテルへ。
(実は、金子さんと原口監督は仲良しなのです。
“いつもの店”で一緒にお酒を酌み交わすことも)
打ち合わせ(?)後、上映会の現場である“みなみ会館”へ向います。
すでに大勢のお客様が会場前にて、長蛇の列を作っていました。
(雨の中、本当にありがとうございました)
控え室には『牙吉』ご出演の女優陣、脚本の神尾さん、さらには、主演の原田龍二さんも。
金子さんは控え室で、原田さんや女優さんと共に記念撮影後、『牙吉』の上映になりました。
(金子さんは三度目の鑑賞です。「『牙吉』大好きだもん」とはご本人の弁)
そして『赤影』の上映です。
牧冬吉さんの奥様・牧吉佐登お姉さんも駆け付けて下さり、ますますヒートアップする金子さん。
さらに、上映後は原口監督とトークショー。
ご自身の監督作品である『牙吉』を語る時は控え目だった原口監督も、『赤影』となると熱く語っていました。
特に“千年蝦蟇”のことに話が及ぶと、金子さんもびっくりしていた「ヘェ〜」な話が飛び出しておりました。
(TVの映像と映画用に撮り足した部分は蝦蟇に違いがあるそうです。
ぜひ、DVD等で見比べて下さい)
こうして、夜もふけ、トークショー後、原口監督と東京での再会を約束した金子さんは宿泊先である大阪へ。
みなみ会館の支配人さんに送っていただきました。
(その節はお世話になりました。ありがとうございます) 

2004年5月16日

トーイショー当日。朝からあいにくの雨。時折、激しく降ることも。
金子さんとは、別の宿泊場所だったので、地下鉄で会場へ向う。
その時、フッと気がついたのだが、駅にあるエスカレーターの並びが東京とは逆なのである。
(東京は右をあけて左に並びます。大阪ではその逆)
『これが噂の……』と変なところで関心。
(ところが、これは後々まで我々東京人には馴染まなかったのです)
会場へ着くと、すでに設営はほぼ終了しており、金子さんと合流。
会場には所狭しと懐かしいおもちゃの数々が並べられていました。
開場前に、金子さんとまわったのだが、金子さんが気にしていたのはゴジラのおもちゃ。
50センチ大のプラスチックでできた、紐を引っ張ると声がでるもの。
(ちなみに、我が家にもあります)
午後になって、
「あれ、売れたかな?」
と気にしていたので、見に行ったら売れていました。
予定通り、開場。さすがに、リピート放映の多い関西圏だけあって、『赤影』の知名度は抜群で、早い時間から大勢のお客様がお出で下さいました。
中には、当時のポスターを持参され、金子さんにサインを書いてもらっていた方も。
そんな時、金子さんは、
「こんな貴重なもの、僕のサインで汚していいのかなぁ」
といつも恐縮しているのです。
ここの常連さんも多数いらっしゃって下さり、ありがとうございました。
お昼過ぎには、このHPの共同管理人である“他称・母”さんとも合流。
金子さんのブースにはアサオさんのコレクションがたくさん展示してあり、
日本版のポスター類に加えて、外国版『ワタリ』のポスターもあったのです。
ところが、そのポスター、どこを見ても金子さんの名前はなく、
あるのは“FUYUKICHI MAKI”のお名前だけ。
主役を演じた金子さんとしては、少々それがご不満だったらしく、
「どうして牧さんだけなのかなぁ……?」
と訝しがっておりました(笑)。
トーイショーが終わると、我々は再び京都へ向い、
牧吉佐登お姉さんと会食をして、本日の予定は全て終了となりました。