The Lady Who...

「猫はチーズをねだる」の”訳者あとがき”で紹介されていたシリーズのガイド本「The Cat Who... Companion」を買いました。その中からリリアン・J・ブラウン女史のインタビューと独占記事が載っているので紹介します。もちろん原本は英語で書かれています。私は英語が得意ではないのでどこまで訳せるか不安ですが、がんばってみました。もし間違いを見つけた方は教えてください。

KOKO THE FIRST SETS THE STAGE
A LIFE OF WRITING

(注) ここから先、未訳の『Post Office』、『Brahms』、『Tailed a Thief』等の話が出てきます。事件のネタバレはありませんが、あらかじめご了承ください。

CATSPIRATION
LILIAN AND QWILLERAN
THE CAT WHO...?


 幸いなことに、リリアン・ジャクソン・ブラウンは本を書き終えていないクィラランとは違います。現在まで、私たちは犯罪を解決するシャム猫ココとヤムヤム、そして彼らの相棒ジェイズ・マッキントッシュ・クィラランが活躍する20冊のすばらしい本と短編集『猫は14の謎をもつ(The Cat Who Had 14 Tales)』を読むことが出来ます。
 リリアンの猫達は犯罪にのめり込んだりしないし、彼女も同じです。それでは、若いスポーツ記者がどのようにしてミステリー界の最も愛されるベストセラー作家になったのでしょうか?

KOKO THE FIRST SETS THE STAGE

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 リリアンと猫との付き合いは子どもの時に始まったのではなく、彼女が結婚してからでした。
 「私は結婚してアパートに住むまで、ペットを飼ったことが無かったんです。私はシャムの子猫を貰って、彼をKokoと名づけました。彼と私はお互いを深く愛していました。私は彼を崇拝し、彼も私を崇拝していました。」と彼女は語ります。
 「彼が2才のとき、彼は10階の窓から落とされ殺されてしまいました。私たちはアパートの10階に住んでいたのですが、彼はどういう訳かホールから抜け出し窓に出ていたんです。そう、私は取り乱していましたが、私の隣人が彼がその階に住む変人に突き落とされたという証拠を持っていると話してくれました。それから私は怒りが込み上げてきました。2週間の間、友人と親戚が窓から落ちるという悪夢を見ました。これを乗り切るために、これについて何か書かなければならないだろうと解ったんです。」
 そこでリリアンは敵を取るつもりで短編を書きました。「それは自分の身に起きたことが元になってはいません。しかし、それが私を奮い立たせたんです。その短編は『マダム・フロイの罪(The Sin of Madame Phloi)』という題で『猫は14の謎をもつ(The Cat Who Had 14 Tales)』に収録されています。私は私の大切な物を窓から突き落とした人に対する復習のために書きました。」この小説は、エラリー・クイーンのミステリマガジンに掲載され、1960年の『年間優秀探偵小説(Best Detective Stories of the Year)』になりました。
 「彼らはもっと猫のミステリ作品をと訊ねました。そこで私は半ダースもの作品を書いたのです。その後、出版社から猫が登場する小説を書いてみないかと誘われました。そこで、『猫は手がかりを読む(The Cat Who Could Read Backwords)』を書きました。そうしたら彼らは他のは、他の作品はと訊ねてきたんです。」
 しかし、3巻目と4巻目の間には長い−18年の−空白があります。
 「私が4作目を書くまでの間に、ミステリの好みが変わり、経営が変わり、ポリシーが変わりました。かれらはセックスと暴力を必要とし、猫の物語は必要なかったんです。セックスと暴力は私のスタイルではありません。そこでThe Cat Whoの全てを忘れました。私は新聞社でフルタイムの仕事を得ました。それはとても刺激的ですばらしい社会生活でした。それって、必要だったでしょう?」彼女は訊ねました。
 「私がThe Cat Whoを忘れていた18年の間に夫が亡くなり、アール・ベッティンガーと結婚しました。ある日曜の午後、湖のキャビンで、雨が降っていました、私は彼に言いました「まだ出版されていない4作目の原稿を読んだことがないわね」と。そこで彼はそれを読んで私に言いました。「時が来たと思うよ、アメリカには56万匹の猫がいるんだ、また投稿したらどうだい。」そこで私は実行しました。Berkley出版社がペーパーバックにしてくれて、次作の契約を結んでくれました。これが休暇の経過です。」
 リリアンは10代の時と完成されたシャローック・ホームズのミステリ以外は読んだことがありませんでした。彼女は19世紀の文学を好んでいます。
 「最初の物語を書いたとき、それがエラリー・クイーンのミステリマガジンに掲載されて驚きました。私はそれをミステリだと思っていませんでした。私は物語をエラリー・クイーンの為に書き続けましたが、本当のミステリだとは思っていませんでした。最初の小説を書いたとき、私は思ったんです”さあ、見てみましょう。これをどうするかしら?”って。私はミステリの書き方と言う本を得るべきだったかもしれない。しかし、全てのルールに従うつもりはありません。私はミステリ小説とキャラクタ小説−小さな町の社会で起こる事件−はとても同じとは思えないんです。」

A LIFE OF WRITING

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 リリアン・ジャクソン・ブラウンが書き続けているのは「全て私の人生なの。最初は楽しむために、それから広告の仕事のために、その次は新聞のため、そして今はThe Cat Whoの読者のためよ。」この執筆活動はとても早い時期に始まりました。
 「私は3才の時に母に、20マイルも離れた所に住んでいる祖母と文通することができるように読み書きを教えてくれるかどうか頼みました。そうして祖母と私は文通を続けました。学校で小さな小説を書きました。」
 彼女の母は、リリアンの物語を書く才能を育みました。「私の母は夕食時に家族のためにすばらしいアイデアを持っていました。私たち各々がその日に起こったことを話すんです。そしてそれを面白くまたはエキサイティングに話す事ができればそれだけ良いんです。私の母はそのうえ魔女でした。彼女は食料雑貨店への旅行を愉快に話して聞かせることができたんです。そして、私はこれらのディナーテーブルでの団らんから何かを学んだのだと思います。」彼女は9才まで一人っ子でしたが、その後弟と妹が生まれました。「とても幸せな家族でした。」
 私たちが決して読むことの無かった彼女の小説が1本はあります。
 「私は12才位の時、フランスの歴史小説を書くと約束しました。言うまでもありませんが、私は書き終えることができませんでした。全員殺されたのです。彼らはギロチンに送られるか、戦闘で死にました。私はとても泣きました。なぜならこれらの悲劇は実際に起こったことだからです。’なぜ泣くような物を書くの?なぜ笑うような物を書かないの?’それ以来、私は『マダムフロイの罪』とそれに続く短編を除いて、明るくユーモアのある小説を書いてきました。The Cat Whoを書き始めたときも同様に思いました’私は明るいタッチを与えよう。血なまぐさい物はいらない。’」
 「だってミステリーを解明する猫について書いているときに、ひたすらまじめでなんていられないわよ。」
 リリアンが書いた物は彼女がまだ高校にいた時に出版されました。
 「高校では、私は学校新聞に書いていました。16才で卒業したときには、既に一般紙に載ったこともありました。私はおてんばで野球が大好きだったので、’Baseball Magazine’と’Sporting News’に記事を売りました。署名をする時、私はペンネーム、それも男性名を使う義務があるように感じました。彼らは少女が書いているようにしたくなかったと思ったからです。それで私自身をWard Jacksonとしました。母の結婚前の性であるWardと私の名字であるJacksonです。それはすごいスリルでした。わかるでしょう、あなた方が目にする一般紙よ。」
 卒業の後、彼女は'Detroit Times'に行きいくつかの小さい詩を彼らに見せました。「またはspoemsと私は呼んでいた物−スポーツ記事(sport poems)−よ。そして彼らは’1日に1本書けるか?’と聞いてきました。もちろんあなただってNOなんて言わないでしょう。それで、わたしは野球のシーズンの間中、週に6本とフットボールシーズンの一部の記事を書きました。16か17で毎日新聞に署名付きの記事を書くのはスリルでした。彼らは記事の配給に努めましたが、スポーツ記事は多くの新聞に配給するには時事的すぎると決めたのです。それらは昨日起こったことについて書かれていました。」
 それで若いライターはスポーツ記事から卒業し広告業界に入りました。
 「私の母はお店が広告に使えそうないくつかの詩を見せに行くように提案してくれました。そこで私は最初のデパートへ行きました。そうすると彼らは、’これは使うことができないね。コピーライターなら使えるけど’。私は言いました’それは何ですか?’と、−どれだけの事を私は知っていたかしら−それから彼らはいいました、’では、広告は書けますか’と。わたしはそれについてなにも知らないと答えました。そうすると彼らは「仕事に来なさい。そうすれば3日で必要な全てを習得することができますよ。」といったんです。最初に書いた広告を覚えています。それは’淡褐色のカーテン素材−1ヤード 19セント’」
 彼女の次の仕事は他のデパートで、約15年間そこで働きました。「そこを辞めるとき私は広報の責任者でした。辞めた理由は、アイデアを出すのが主でほとんど書くことがなかったからです。私は書きたいという衝動に駆られました。」
 リリアンは18年の広報活動から変身を遂げました。「その時までに私は結婚していたので、仕事を辞めても余裕がありました。私は2−3ヶ月自宅にこもり短編を書きました。仕事場に行って、毎日楽しい面々とランチに付き合うことに慣れてしまうと、執筆というのはとても孤独な作業であるのをわたしは知りました。
  'Detroit Free Press'が彼女に特別欄についての話し合いをしたいと申し込んできました。「私はスポット記事を書くことはできませんが、これは雑誌形式の特集記事で私のスタイルでした。私は’フルタイムの仕事には興味ありません。’と言うと彼らは’とにかく、落ち着いて話しましょう’と言いました。そこで私は話し合いに出向きました。その仕事はフルタイムでしたが受けました。そしてそこで30年働きました。装飾やアンティーク、芸術についての記事を書きました。そしてついには建築や保護活動にまで及びました。クィラランが書いたコラムや探し求めた物語のほとんどは私がやった事なんです。」
 リリアンは彼女の実生活の’優雅なる住居’(Gracious Abodes)版を書きました。「それを'Good Living Section'と呼んでいました」。それを他の新聞の同業者から「'Bad Living'編集者に任命したいと思います」とからかわれました。

CATSPIRATION

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 The Cat Who...における多くの彼女のアイデアは、新聞社での仕事や彼女の猫から体験したことが背景になっています。
 「小説を書くように頼まれたとき考えたんです。’何について書いたら良いかしら?それは私が知っている何かが良いわ。’新聞はエキサイティングです。それから考えました。’新聞記者の間でもっとも嫌われているのは誰か?’それは美術評論家です。ですから私は美術評論家を悪人に仕立てたのです。」と彼女は説明しました。
 「なぜ男性の主人公が必要なのかと人々は疑問に思っているでしょう。その理由は、 彼は美術批判の担当記者になったのですが、美術について知識が何もなかったんです。そして、それは私自身が<Free Press>で体験したことでした。私は美術評論家ではありませんでしたから、美術評論家のまねをするのに1年を要しましたし、また、美術の問題について少し震えていました。もし、私が女性を主人公にしたら、皆が言うでしょう’あぁ、そうか、自叙伝だね’と、そして彼らは本読み始めると本にのめり込んで特定の登場人物を自分自身と結びつけ、私が彼らをまねたのだと主張するでしょう。ですから、わたしは大きな口ひげを持った主人公を創りました。」
 探偵と新聞記者はいつも大酒のみだという作り話を彼女は思い浮かべ、そこで正反対の−アルコール中毒症で難題に打ち勝つ−主人公を創りました。
 「クィラランが働くセクションが必要になった時、’もっとも滑稽な名前を与えることはできないかしら?’と思ったんです。<優雅なる住居(Gracious Abodes)>、<デイリー・フラクション( Daily Fluxion)>や<モーニング・ランページ(Morning Rampage)>もとても面白いと思いました。」
 それでは、ピカックスやムース郡はどこにあるでしょうか?それらは本当に「どの町からも400マイル北」でしょうか?
 「いいえ」彼女は笑いながら答えました。ある人はそれはミネソタだと思っていますし、ある人はウィスコンシン、あるいはミシガンだと思っています。またある人はメインだと思っています、しかし、そのどれでもないでしょう。」クィラランは「三郡」でもっとも裕福な人物と描写されています。
 「人々は正確に知りたがっています。ピカックスはどこにあるのか、ムース郡はどこにあるのか、と。では、答えましょう、’それは私の頭の中にあります。そしてそれは皆さんが望むどこにでもあります。’数週間前、ドイツに住む女性から手紙をもらいました。彼女はアメリカへの旅行を計画していて、それにピカックスを加えたいのでどこにあるのか知りたい。と書いていました。」リリアンはこのアイデアに微笑みながら言いました。
 「ピカックスは合成された町です。小説に登場する場所も合成された物です。『猫は山をも動かす(The Cat Who Moved Mountin)』のポテト山はAdirondacks, Poconos, Blue Ridgeなど私が知っている全ての山を合成したものです。登場人物も私が知っている人たちの合成です。」
 彼女のファンはしばしば手紙に、ある登場人物に似た人物を知っていると書いてきます。  「私はミシガンの小さな町オーガスタの司書から手紙をもらいました、彼女は’あなたの登場人物の全てがオーガスタに住み、元気に歩いています’と言っていました。」  ココとヤムヤムもまた合成されました。彼女の猫、特に2代目のココが小説のココとヤムヤムのインスピレーションになりました。
 「最初の猫を失った後、夫が’すぐに他のを飼いなさい’と言ってくれました。彼は雄の子猫を買うためにブリーダーの元へ行きました。私がオフィスにいたとき、彼は電話をかけてきて’ここに雄と雌の2匹がいるんだけど、決められないんだ。’と言いました。それで私は’2匹とも貰ってきて。’と言いました。私は1匹のシャム猫では神経症になりがちで悪い行動に出るということ学びました。シャム猫はペアで飼うのが良いのです。こうして2代目ココと初代ヤムヤムが我が家に来ました。」
 リリアンの2代目ココは18年生きました。「私は彼をココ・ザ・グレートと呼んでいました。なぜなら、彼はとても知性的だったからです。小説の中でココが行っている事の多くは、ココ・ザ・グレートがやった事なんです。私のお客に帰る時間を教えるみたいな事です。11時は正確に彼が叫ぶ時間だったんです。」
 彼女は2代目ココの振る舞いを思い起こしました。「私たちは夕食をとり、食後の飲み物を飲んでいましたが、彼は一晩中いなかったのです。11時になった時、彼は堂々たる足取りで入ってきて立ち止まり、そして彼らを見つめました。彼らは’おお、ココが来たよ。一晩中どこにいたんだい?’と言いました。すると彼は’ニャオ’と言い、それからぐるりと向きを変え玄関まで歩いて行って、彼らがついてきているかどうか確かめました。彼は玄関の前に立っていましたが、もし彼らが現れなかったら彼は戻ってきてまた’ニャオ’と言ったでしょう。それから彼らは言いました。’我々に何か話そうとしているのかな?’。そう、それが出来たんです。」
 『The Cat Who Played Post Office』でココがメリンダ・グッドウィンターをクィラランの家から11時に追い出している様が描写されています。ヤムヤムは『猫は汽笛を鳴らす(The Cat Who Bles the Wistle)』の中で彼のドゥワイト・サマーズに対する11時追い出し作戦の仲間になりました。ココは『猫はチーズをねだる(The Cat Who Said Cheese)』の中で深夜の発作をあびせ、部屋にいた全員を退去させました。
 『猫は糊をなめる(The Cat Who Sniffed Glue)』の中で、ココは切手と封筒を好んでなめています。この特殊な癖は実際にココ・ザ・グレートが切手を鼻に付けて歩き回った事が元になっています。
 「今私が飼っているココ三世はココ・ザ・グレートとは全く違います。それなのに、毎日猫は何かアイデアを与えてくれるので、将来使う時のために追いかけてはそれを書き留めています。」
 リリアンのココは実際にはスクラブルや辞書ゲームはしません。しかし彼は彼女の’Webster's Unabridged Dictionary’で爪をとごうとしました。彼にはそんなつもりではなかったのでしょうが、それは小説の言葉遊びの発想に役立ちました。ココ・ザ・グレートもまたテーブルやデスクを叩くことが好きでした。小説の中でココはドミノやスクラブルのタイル、本をたたき落とす事に魅力を感じています。
 リリアンは2匹のヤムヤムを飼いました。彼女の万年筆を盗んで敷物の下に隠したのは2匹目の猫でした。この行動が、ぴかぴかした物なら手当たり次第に盗んでソファーやラグの下に隠すという「前足のヤムヤム」のいわれになりました。
 リリアンと彼女の夫はミシガンにクリンゲンショーエン・キャビンと似たキャビンを持っています。『The Cat Who Played Brahms』に彼等のキャビンの詳しい記述があります。「ジャグジーがない事以外はね。その他の点ではとてもよく似ています。砂丘の上にあり、湖の北側というのはとてもよく似ています。」
 それではなぜクィラランとココとヤムヤムは持ち物を荷造りしては動き回っているのでしょうか?
 「私は猫のために活躍の場を変えなくてはいけないのです。そうすれば彼等は能力を発揮し、やりたい事ができるのです。それがクィラランが良く動く理由です。クィラランが根っからのジプシーだからとも言えますが、本当は私がそう意図しているからです。」
 『猫はスイッチを入れる(The Cat Who Turn On and Off)』では、彼等は先の南北戦争時に秘密組織の隠れ家であった歴史的な屋敷に住んでいました。そしてココは本の後ろに隠れたり隣のアパートに入り込んだりしていました。『猫は手がかりを読む(The Cat Who Saw Red)』では、アパートと窯場との間にのぞき穴がある陶器工房に住んでいました。「全てのことがあらかじめ決められていたんです。」彼女は説明しました。
 リリアンは多くのファンレターから面白い話を仕入れています。
 「私はシンシナティのある男性からすばらしい手紙をもらいました。彼は、’私はポリーが好きです。私は彼女をディナーに誘うことができれば幸せです。しかし、それができないことはわかっています。ポリーはシンシナティに姉妹がいないでしょうか?’そこで私は次の本『The Cat Who Tailed a Thief』で、ポリーがクリスマスプレゼントを買っていて、そのひとつを彼女はシンシナティの姉妹に送る。というのを書きました。私はそれをシンシナティの男性のために書きました。かれは気に入ってくれるでしょう。私は知り合いやファンレターを書いてくれる人たちのそのようなジョークをたくさん取り入れています。
 『The Cat Who Tailed a Thief』では、クィラランは読者から猫の名前を集めています。リリアンは友人やファンから集めています。彼女は最近’Orlando’からポストカードを受け取りました。それは、美しい書店のテーブルの上に猫が『猫はシェイクスピアを知っている(The Cat Who Knew Shakespeare)』とシェイクスピアの著書と共にもたれかかっている写真です。’Orlando’は将来小説に登場するかも知れません。

LILIAN AND QWILLERAN

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 熱心なファンにとって新作が出版されるのを丸一年待つことは苦しいものです。1冊の本は1ヶ月彼等の欲求を満足させてくれます。しかし、リリアンは1冊の本を書き上げるのに1年かかります。
 「ひとつには、私の目は昔ほど速くはないからです。わたしの読み書きを遅くするかのように、ゆっくりピントを合わせるんです。私が職場を引退したとき’50年間もフルタイムで働いてきたんだから、今はどんなスケジュールも欲しくない’、と思ったんです。ある日には朝や午後の他の時間や夜に仕事をします。私は感じたときに時間を見つけて仕事をする事ができます。」
 リリアンとクィラランは似通った執筆の癖を持っています。クィラランは’e’が壊れたタイプライターを買いました。「私はまだ電動タイプライターを持っています。ですが、60で執筆を始めたとき、手動のタイプライターを持っていて、それを『猫はスイッチを入れる(The Cat Who Turned On and Off)』で使ったのですが、ある欠陥がありました。クィラランは多くのトラブルに見舞われました。」
 クィラランは<デイリー・フラクション>が電子機器を入れるのに戸惑いました。リリアンは彼女自信を”とても時代遅れ”と呼んでいます。彼女の家には留守番電話がありません。「私はコヒーメーカーの使い方がわからないの。ワープロはいらないわ。」
 2人とも手書きで執筆することを好んでいます。クィラランはおそらくワープロを手に入れることはないでしょう。「確かに彼は鉛筆クラブに入会しました。彼は法律用箋に手書きするのが好きなのです。私も同じです。わたしはフェルトペンと法律用箋を持って小説を書き続けています。クィラランのように足を机に上げて座るのも好きです。家の至る所にラウンジがあります。私は足を上げて良いことを考えるのです。」彼女はクィラランに似た言葉使いで説明しました。
 「私が初めて<Free Press>へ行ったとき、記者やカメラマンが足を机に乗せて座っていました。古い映画に出てくる新聞記者たちがいつも足を机に載せていましたようにね。私は彼等が怠けているのだ思いましたが、今では彼等は考えていたのだということがわかりました。より良い考えをするには足を上て!私の意見ですけどね。」
 『猫は汽笛を鳴らす(The Cat Who Blew the Whistle)』でクィラランが机に足を乗せ考え事をする場面があります。「彼は足を上げて左手に法律用箋を、右手に黒いフェルペンを持つといちばん考えがはかどるのです」
 「新聞社では多くの変革がありました。クィラランが初めてピカックスへ移ってきたとき、<ピカックス・ピカユーン>という古い新聞社があり、そこの経営者は手組で活字を拾っていました。この部分を書くのはとても楽しいものでした。今は<ムース郡なんとか>が発行されていますが、それは<デイリー・フラクション>とはとても違っています。小さな街の新聞は独特です。地域社会に対する責任感があるのです。ある特定の事柄については十分な報道をしません。これらの事について書いているとき、’あぁ、デトロイトの友人達は全部間違っていると思うだろう’って思います。」
 アーチ・ライカは<フラクション>を引退し<ムース郡なんとか>へ来たときに、この概念のため考え方を変えなければならなかった。「『猫は床下にもぐる(The Cat Who Went Underground)』の中で、鶏舎が全焼し5000羽の鶏が死んだことがありました。ライカは南で仕事をしていたときだったら、’世界最大のチキン・バーベキュー’と見出しをつけただろう言いましたがしかし、農夫のんが寝ん尾労働の結実が炎と化していく様子を思い描く事ができた、とも言いました。
 リリアンは彼女自身の経歴の一面をクィララン自信のインスピレーションとして利用しているかもしれません。しかし彼女は他の面において(ジャンクタウンの修復努力やピカックスのプレジャー通りに注意)例えば,ローズマリー・ホワイティングの中にかいま見ることができます。
 「私は料理をする事とエスニック料理と外へ食事に出かける生活にとても興味を持っていました。私は健康食品に凝ったことがあって、これがクィラランに健康食品に反抗を持たせるというちょっとした内輪のジョークになりました。彼は健康食品をばかにしました。」ローズマリーは少しだけリリアンを−「そして私は彼に彼女をからかわせました。」
 リリアンと彼女の夫は本当に健康によい食事をしています。「私は特にインド料理、カレーが好きです。(著者注:ポリー・ダンカンはとても辛いカレーに興味があります!)アールは国務省の後援による演劇団でシェイクスピアやソフォクレスの公演をインドで半年間行いました。彼はカレーを愛するこ事とそれに伴う全ての事を身につけてきました。いまは、中東や地中海料理そしてtabboulehやbaba ghanoujなど全てにとても興味を持っています。そしてわたしはそれをこっそり小説に入れています。(著者注:『The Cat Who Tailed a Thief』や『The Cat Who Sang for the Birds』のオヌーシュの地中海レストランを訪ねてください)」
 リリアンの大好きなクリスマスの家の伝統のひとつはディケンズの『クリスマスキャロル』の一説であるクラチット家のクリスマスディナーの様子を読んで聞かせることです。「こんなガチョウなんて見たことない!」(『猫はクロゼットにかくれる(The Cat Who Went Into the Closet)』を見てください。ラリー・ランスピークが選んだクリスマスの朗読です。)
 リリアンと彼女の夫アール・ベッティンガーは2匹のシャム猫ココ3世とプチ・シング(Pitti Sing)と共にノースカロライナに1年中住んでいます。<Detroit Free Press>のために何年もの間ノースカロライナのハイポイントで家具にカバーを掛けていなくてはならなかった。「ここへ移ってきたときに’ここはすばらしい州だわ。生活するのに最適な場所になるだろう。’と思いました。しかし、私たちがミシガンで雪と氷と10フィートもの雪の吹きだまりから逃げ出すことを決めるまで、私がここで生活する事になるとは本当に思いませんでした。」
 リリアンとアールが退職した後、読書にふける場所としてノースカロライナはとても魅力的でした。「そこで私たちは車を借りて街を逃げ出し、アメリカを旅して回りました。私たちはここに来たことを決して後悔はしていません。住むにはすばらしいところですもの。」
 リリアンは参加者の誰もが猫を愛しているキャット・ショーでのサイン会を特別に楽しんでします。アールは数年前に退職するまで俳優でした。現在彼は地元のアマチュアグループの指導をしていて、時折役も演じています。

THE CAT WHO...?

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 The Cat Who...の小説はブルガリア、ハンガリーやブラジルを含む約15ヶ国で出版されています。イギリス、オランダ、フランス、イタリアや日本ではとても良く読まれています。トルコやロシアでもまた特別な関心が寄せられています。
 ですから世界中の彼女の忠実なるファンは次のThe Cat Who...ミステリを待っています。どんな卑劣な犯罪が引き起こされるのでしょうか?ココはどんな手がかりをクィラランに伝えようとするでしょうか?どんな新しい技をココは披露してくれるでしょうか?どんな物をヤムヤムの手は盗むのでしょうか?彼等は次にどこに住むのでしょうか?クィラランとポリーは独身貴族のままでいるでしょうか?クィラランは本を書き終えるでしょうか?ココとヤムヤムはブルータス(訳者注:『Tailed a Thief』でブッチィーが改名しています)と仲良くやっているでしょうか?

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