古澤明『「シュレーディンガーの猫」のパラドックスが解けた!』(講談社ブルーバックス)は、タイトルどおり、有名な「猫のパラドックス」について述べた本で、量子光学ではそれ(生と死のようなマクロで明確に区別できる状態の共存)が実際に可能であり、パラドックスではないとしている。

シュレーディンガーの猫?
まず、外から中が見えない箱を用意して、その中に猫を1匹入れる。同時に、箱の中にはラジウムのような放射性元素を使った装置も入っている。その装置は、放射性元素が崩壊し放射線が検出されると、毒薬の入った瓶が割れ、有毒ガスが発生するしかけになっている。有毒ガスが発生すれば箱の中の猫は即死してしまう。放射性元素の崩壊と猫の死はつながっており、放射性元素が崩壊すれば猫は死亡してしまうということができる。逆にいえば、放射性元素が崩壊しなければ猫は生きているともいえる。つまり、放射性元素の状態がわかれば、猫の生死がわかるのである。
 放射性元素はいつ崩壊するかわからないし、箱の外からは崩壊しているのか、していないのか確認が取れない。・・・放射性元素はミクロの粒子なので、ミクロの世界の力学である量子力学にしたがって変化する。ということは、放射性元素が崩壊している状態と、崩壊していない状態が重ね合わされていることになる。ミクロの世界では観測していなければ確率的に考えられる状態はすべて重ね合わせられるからだ。
 ・・・崩壊している状態と崩壊していない状態が重ね合わされているとしたら、猫も生きている状態と死んでいる状態が重ね合わされた状態でないとおかしいということになる。・・・
pp18〜19

 この「生きている状態と死んでいる状態が重ね合わされた状態」に対応する、マクロでは2つ(以上)の異なる状態の重ね合わせが量子光学では可能であると古澤氏は述べ、それを『シュレーディンガーの猫状態』と呼んでいるのである。そして話は量子コンピュータへと発展する。
 しかし、筆者のような頭の悪いシロートにはそう簡単に納得できる話ではない。もっと初歩的なところから考えないとわからない。以下ではその初歩的なイチャモンを披瀝したい。

観測手段
 ここではあくまでもオリジナルの「猫のパラドックス」(「猫パラ」と略称する)にこだわる。
 「猫パラ」では観測手段は箱を開けてみるしかない。しかし現在では必ずしもそうではないだろう。たとえば心電図はどうか?それを猫に取り付けて箱の外からモニターすることは可能なはずである。猫が「生きている状態と死んでいる状態が重ね合わされた状態」なら、生きている状態と死んでいる状態が重ね合わされた心電図が得られそうに思われる。
 もっとミクロな観測手段はないだろうか?心臓のペースメーカーはどうだろう。携帯電話が普及し始めた頃、これがペースメーカーに悪影響を及ぼすと騒がれたものだ。実はペースメーカーは、心臓が発する微弱な電気信号を常時モニターしているそうな。その電気信号が感知できる間は心臓が正常に動いているとみなしてペースメーカーは何もしない。しかしひとたび電気信号が止まると、心臓が停止しているとみなして、心臓に刺激を加えて動かすのだそうだ。ところですぐ近くにケータイがあると、それが発する電波を心臓からの電気信号と誤認識することがあるという。その時に心臓が止まっていれば、ペースメーカーは何もしないから危険なことになるのだという。ともかくこれからわかることは、心臓は微弱な電気信号を発しているということ。それは当然、電磁波(光子)も発するはずである。あるいは脳波はどうだろう。これも電磁波である。
 つまり、生きている猫は必ず電磁波(光子)を発している。猫が死ねばこれは止まる。だからその光子をモニターすれば良いはずである。
 もっとも、光子を発する状態、発しない状態は猫という高度な生命体の生き死にと正確に対応するかどうかはわからない。生きていても光子を発しない場合もあるかもしれないし、死んでも心臓や脳が残っているかぎり多少の生体反応を示すことはあるだろう。しかしそれは今はたいして重要ではない(猫にとっては重要なはずだが)。要は、猫は「光子を発する状態」と「発しない状態」を取り得る装置だということである。

状態の重ね合わせ
 「猫パラ」では状態の重ね合わせが重要となる。光子を発する状態を|1>、発しない状態を|0>とすると、重ね合わせ状態は
  √p|0>+√(1−p)|1>    (1)
と書ける。ここでpは状態|0>の出現確率である。すべての状態の出現確率の合計は1なので、状態|1>の出現確率は(1−p)である。
 さて、オリジナルの「猫パラ」ではこの重ね合わせ状態は「放射性元素を使った装置」によって実現する。放射性元素の崩壊は量子力学によるから、いつ崩壊するかはわからなくて、その確率だけがわかる。だから上記のpはまさにその崩壊確率であり、猫の状態は(1)の重ね合わせ状態になるというのである。
 しかし、ここで疑問が生ずる。重ね合わせは放射性元素装置によって作られるという。それなら、箱にこの装置がない場合は重ね合わせがない|1>の状態、あるいはp=0の状態と言っても良いが、のはずである。それが装置を入れたらp≠0の状態に変わる。装置を入れただけで何故状態が変わるのか、因果関係が全くわからないのである。
 さらに、『モンテカルロ・シミュレーション』という手法がある。擬似乱数を発生する、わかりやすく言えば、サイコロを投げて出た目によって状態を決めるのである。放射性元素装置のかわりにサイコロを振って奇数の目が出たときだけ毒ガスが発生する装置を作ることは可能であろう。サイコロと、それを投げる床の材質、投げるときの初期条件、投げ方などがわかっていればこれは純粋に古典力学的現象のはずである(多少は量子効果もあるかもしれないが、たぶん無視できる)。しかし詳細なデータが得られないかぎり、どの目が出るかは確率しかわからないはずである。だから結果は放射性元素装置を用いた場合と変わらない。ならば、この場合も(1)の重ね合わせ状態にならなければおかしい。しかし、この場合は量子力学的過程はどこにも存在していないのである。観測だけからでは、この状態が量子力学的過程によるものか古典力学的過程によるものかの区別はつかないはずである。

「猫パラ」における重ね合わせの意味
 もう一度考え直してみよう。「猫パラ」では箱の中の猫の状態を
  √p|D>+√(1−p)|A>    (2)
とした。ここで|D>は猫が死んでいる状態。|A>は生きている状態。これらは|0>(光子を発しない状態)、|1>(光子を発する状態)と現象的には似ているが、意味ははっきり違う。|0>,|1>は光子というミクロの現象を考えているのに対して、|D>,|A>は猫というマクロの現象の状態である。
 実は(2)は、「猫の Dead or Alive は箱を開けなければ(観測しなければ)わからない」というあたりまえのことをちょっと数学的に表現したのにすぎない。その「状態」は、「量子力学的状態」とは全く無関係なのである。(2)は、放射性元素装置によってもサイコロによっても同じように出現する。と言うより、このように「表現できる」のにす ぎない。
 これは、箱にガラス窓を付けて中を観察すれば一目瞭然のはずである。放射性元素であろうがサイコロであろうが、毒ガスが撒かれたら猫が死ぬという古典的因果関係が観測されるだけである。窓がなければそれと違うことが起こるというのは、馬鹿げたオカルト的理論である。
 こんなことを言うと、「観測によって状態が乱されるのだ」という反論が必ずあるだろう。しかし、それは何を言っているのか?
 たとえば電子の挙動を「見る」ために光を当てたら、電子と光子のエネルギーは同程度だから当然電子の挙動は乱される。止まっているサッカーボールに野球のボールをぶつけたら動き出すのと同じことである。しかし、猫に光を当てたからといって、よほど強烈な光や放射線でないかぎり、猫には何の影響もないはずである。
 放射性元素装置は、窓からの光の影響を受けるかもしれない。しかし、だったらどうだと言うのだろう。光の影響で崩壊確率が高くなろうが低くなろうが、そこは変わっても、ともかく崩壊が起きれば毒ガスが撒かれて猫が死ぬというストーリーには何の変化もない。

 このことをもっとはっきりさせるには、数百匹、数千匹の猫を使って実験すれば良いだろう。1匹ずつを放射性元素装置を設置した箱に別々に閉じ込める。半分の箱には窓をつけるが残り半分にはつけない。窓のある箱とない箱で猫の死亡率に有意の差があればそれは窓の効果であるが、今それはたいした意味はない。窓のある箱では中を観察できる。そこでは放射性元素が崩壊すれば毒が撒かれて猫が死ぬというあたりまえの古典的因果関係が観測されるだろう。次は窓のない箱である。そこで何が起こっているかは観測できない。しかし、崩壊確率の変化(もしあれば)と、1匹1匹の猫の個性に関すること(たとえばよく動く猫、眠ってばかりいる猫、など)以外に窓のある場合と違うことが起こるなどと考えるのは全く根拠がない。「生きている猫と死んだ猫の重ね合わせ状態」が出現するなどというのはまともな感覚ではない。

 つまり、「猫パラ」の状態(2)というのは物理学的には存在しないのである。それは「観測原理」というレトリックに騙されて生み出された幻想にすぎない。筆者みたいな頭の悪い者は学生時代からずっと騙され続けて来たことになる。
 いや、シュレーディンガーでさえ、騙されていたのだ。

 猫を「光子を発する装置」と考えた場合の(1)はどうか?これは実在するだろう。猫が生きていても必ず|1>が観測されるとは限らないし、死んでも必ず|0>とは限らない。つまり、この「装置」の状態は(1)で表現されるのが常態なのである。これは古澤氏自身、「『現実』は生きている状態と死んでいる状態の重ね合わせであり、『シュレーディンガーの猫状態』となっているというのが筆者の立場である」(pp19)と述べているのと同じ見解である。
 ただし、この場合もpは放射性元素装置を入れることによって変わることはあり得ない。むしろpは猫の健康状態によって決まるだろう。だから、「猫がもともと持病をもっていて、放射性元素が崩壊しなくてもたまたま死んでしまうようなことは考えないことにする」(pp22)というのは杜撰な仮定である。それを言ったら(1)を否定することになる。ともかく観測できるのは、崩壊が起きた瞬間にp〜0からp〜1への変化が起こるということだけである。

 猫ではなくて人間だったら話は変わる。放射性元素装置を入れるだけで、大きなストレスを感じて、pが変化するだろう。しかしこれは物理学の問題ではなくて心理学の問題である。実際には装置を入れなくても、「入れた」という情報を与えるだけで同じだけのストレスを与え得る。

 そんなわけで、猫(または人間)を「光子を発する装置」と考えた場合の(1)、ひいては古澤氏の提示する量子光学における「猫パラ状態」というのは、オリジナルの「猫パラ」とはほとんど関係ないのである。

Nov. 2012

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