朝日新聞に「古代の火星、広範囲に水? 米チーム、地層発見」という記事があった(2009年5月)。「火星の赤道付近にあるビクトリアクレーターの壁に、水の流れによって土砂が運ばれて堆積(たいせき)した地層が見つかった」ということである。
 写真も載っている。「米航空宇宙局(NASA)の探査車オポチュニティーが撮影した画像を解析し」たものという。「ビクトリアクレーターの壁」と称する崖があって、その上に湖のようなものが見える。なお、「写真は疑似カラー」という断り書きが目を引く。そして「湖」の上に描かれている空の色が「ペール・オレンジ」(昔のクレパスでは「はだ色」と称した。人種差別的ということで近頃はこう呼ぶらしい)なのである。「壁」や「湖」の色は地球と似たりよったりである(それも疑似カラーなのだろうが)。何故空の色だけが全く違うのか?

 ・・火星の表面で撮った最初のカラー写真は一九七六年七月、はじめてこの赤い惑星に軟着陸したアメリカの探査機バイキング1号の着陸によってもたらされた。・・・報道陣に公開された最初の写真に写った火星の空が、見慣れた青い色をしていたので、科学者は一様に驚いた。大気がきわめて乏しい惑星で、そんなはずはない。どこかで間違いが起きたに違いなかった。
 ・・・コンピュータ解析者にはときに、とてつもなく大きな裁量の幅がある。惑星科学の専門家ではないバイキングの解析者は、火星から送られてきた最初の写真を、「正しい」色になるよう、調整したのだった。私たちは、あまりにもこの地上での暮しに慣れているため、「正しい」のはもちろん、青い空だと思ってしまう。写真の色はすぐに、探査機にこの目的のために積まれていた、色見本に従って修正された。その結果、空は青などではなかった。むしろ、黄土色とピンクの中間のような色だった。・・・  これこそが、火星の空の正しい色である。火星の表面の大部分は砂漠で、砂がさびているために赤い色をしている。激しい嵐が時折、表面の微粒子を大気圏高くに巻き上げる。その微粒子が落ちてくるには長い時間がかかり、・・・こうしたさびた粒子が常に空中に漂っているため、火星で生まれ育つ将来の世代は、私たちにとっては青がそうであるように、サーモンのようなピンク色を、自然で懐かしいと感じるようになるだろう。
カール・セーガン(森暁雄[監訳])『惑星へ 上』p218〜220

 これが真相である。この時以来、火星の空は「黄土色とピンクの中間のような色」と認識されるようになったのである。
 ところで筆者は昔、吹雪の文献を探した時に C. Sagan の「火星の砂嵐」の論文がヒットしたことがあった。上のエピソードにある1976年のバイキングの写真から想を得たものだろう。そしてそれは後の Nuclear Winter にも繋がる論文のはずである。その気になれば取り寄せることはできた(会社の金で!)。しかしその時は見送ってしまった。今思い返すと悔やまれる。

 さてそれでは、バイキング以前の時代には火星の空はどのような色と考えられていたのだろうか?
 前掲書を少し前に戻ってみる。
 一九六一年四月一二日、ウォストーク1号で人類史上初の宇宙飛行をしたユーリ・ガガーリンは、彼が目にしたものを、こう書き記している。

 空は全くの暗黒である。そしてこの真っ暗な空を背景にして、星がいくぶん明るく、そしてずっとくっきりと見える。地球は、実に特徴的な美しい青色のかさ(ハロー)をかぶっており、それは、地平線を見るとよく分かる。空の色は淡い青から青、濃い青、そして紫、完全な黒へと、徐々に変わっている。実に美しい色の変化である。
カール・セーガン(森暁雄[監訳])『惑星へ 上』p213

 巷間、「空は黒く地球は青かった」と伝えられているガガーリンの言葉である。
 これについてセーガン博士はこのあと『レイリー散乱』を持ち出して説明している。
 私たちが雲一つない日に空を見上げ、青空に感嘆するとき、それは実は、太陽光のなかの短波長の光の選択的散乱を見ているのだ。最初にこのことに筋の通った説明を与えたイギリスの物理学者の名を冠して、これはレイリー散乱と呼ばれる。
カール・セーガン(森暁雄[監訳])『惑星へ 上』p215

 レイリー散乱は、空気分子による光の散乱現象である。波長が空気分子の大きさと同じ程度の青い光は強く散乱される。このため、上空のあらゆる方向から、空気分子が散乱した青色光が飛んでくる。これが「青い空」となるわけである。したがって空が青いためには空気がなければならない。
 火星になると、話はまったく異なる。火星は地球よりも小さく、大気もずっと薄い。火星表面の気圧は、サイモンズが昇った地球の成層圏のあたりとほぼ等しい。よって、火星の空の色は黒か、紫がかった黒であろう、と思われた。
カール・セーガン(森暁雄[監訳])『惑星へ 上』p218

 つまりこれは、ガガーリンの見た空の上のほう、「濃い青、そして紫、完全な黒へ」に相当するだろう。
 ちなみに現代では、「ガガーリンの空」と同じではないがやや似たものは誰でも見ることができる。ジェット旅客機で高度10000m程を飛ぶ時である。窓から上方の空を見てみよう。晴れた昼間でもやや黒っぽいはずである。一方下界を見ると青みがかっているだろう。高度10000mでは、それより上には空気が地上の2割ほどしかない。だからレイリー散乱光が少なくて黒っぽくなるのである。逆に自分より下にある8割ほどの空気が散乱光を発するので、下界は青っぽいのである。

 ところで、「イギリスの物理学者レイリー」とは、Lord Rayleigh (John William Strutt, 1842-1919) のことで、非常に多彩な研究を残した人である。その著書 "The Theory of Sound" は現在でも丸善などにペーパーバック版が並んでいたりする。寺田寅彦の学位論文にもその書は引用されている。寅彦はまた『レイリー卿』という一文をものしており、その傾倒ぶりが窺える。
 レイリーは空気中のアルゴンの発見にも関与している。すなわち、窒素化合物を電気分解して得られた窒素と、空気から酸素などを除いた後の気体の重さの微妙な違いを発見したのである。ヘリウム、ネオン、アルゴン、キセノン、クリプトン、ラドンという周期律表の右端(第0族)の『不活性気体』の研究はこのとき始まったとも言えるだろう。アルゴンは、フィラメントが燃えないように電球に封入されるガスである(近頃はキセノン、クリプトンも)。
 そして、空気分子による光の散乱もこのレイリーが明らかにしたのである。

 ガガーリンが宇宙を飛んだ、おそらくほぼその頃だったと思うが、手塚治虫『キャプテンKen』が『少年サンデー』に連載された。未来の火星に入植した地球人がロボット馬に乗り拳銃を撃ち合うという西部劇仕立ての、今考えればけったいな漫画ではあった。当時は映画やテレビで西部劇が大人気であったということを知らなければ、これはちょっと理解できないだろう。それはともかく、その中に「火星の空はむらさき色」という台詞があったのを筆者は記憶している。既に述べたように、バイキング以前には科学者もそのように考えていたわけで、手塚もそのことを知っていたことがわかる。
 そしてつい最近、『サンデー・マガジン50周年』のポスターを見ると、昔の両誌の表紙が並ぶ中に、日の丸の鉢巻をした少年の絵があった。これぞキャプテンKenである。そしてその背景は、やや黒ずんだ空である。これはまさに、当時の定説を踏まえて手塚が創出した「火星の空」なのであろう。

2009年5月
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