道頓堀ダイヴ

道頓堀川の水位を上げていた 大阪市「阪神ファンがケガしないよう」
 プロ野球・阪神タイガースが18年ぶりのセ・リーグ優勝を決めた14日、大阪・ミナミを流れる道頓堀川を管理する大阪市が、川の水位を約50センチ上げていたことがわかった。川への飛び込みを警戒して、川底への衝突を防止したり、遊歩道へ救助しやすくしたりする狙いがあったという。

 市河川課によると、阪神優勝前日の13日午後から道頓堀川と近くを流れる東横堀川の水門を操作し、通常約3メートルの道頓堀川の水位を試合当日の昼ごろには約3メートル50センチまで上昇させた。

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朝日新聞東京版 2023/9/22

 いやはや、タイガース優勝の影にはこんなご苦労もあったのかと恐れ入りました。
 ところで記事には「水門を操作して」水位を上げたとあるが、もしそんな水門がなければ、あそこは標高も低いから水位は潮の干満の影響を受けただろう。そしてこの翌日は新月だったからこの日は大潮だった。気象庁潮位表によると、19:02が満潮で潮位は161cm。その後翌0:20の干潮時には95cmということで、水門で調整しなくても66cm高くなっていたことになる。おそらく佐藤輝の20号2ランでほぼ勝利が決まった頃から岩崎が抑え岡田監督が胴上げに舞う頃まで水位は高かったろう。

 全く場違いな例だが、1945/8/6 も新月の2日前で大潮だった。そして広島に原爆が投下された8:15頃は満潮で、原爆ドーム前の元安川の水位は高かった。そこに多くの被爆者が飛び込んだ。 。 沿岸の河川の水位はそのように潮の影響を受けるのである。

 ところで、道頓堀川を開削したのは江戸時代初期の安井道頓という人物である。
 江戸初期といえば阿国歌舞伎の頃である。道頓堀は歌舞伎の「船乗り込み」でも有名だが、さすがに出雲阿国の時代にはそんなのはなかったろう。

 安井道頓の従兄弟に安井算哲という碁打がいた。彼は島原の乱の折、鎮圧に向かった板倉重昌の討ち死にを予言して有名になった。
 算哲の子息も当初は碁打で二代算哲を襲名したが、彼は天文の才に秀で初の国産暦である「貞享暦」を作り、渋川春海と改名した。
 和暦(いわゆる旧暦)では新月の日が毎月の朔日ついたちで、したがって2023/9/15は八月一日だった。だからこれを知っていれば前日9/14が大潮だったこともすぐわかったはずである。

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