「オルバース」ふたたび

夜空は何故暗い?
 昔、「夜空は何故暗いか」を考えた人たちがいた。今ならイグノーベル賞?いや、これが一見冗談のように見えて結構奥が深いのである。
 現在ではこれは「オルバースのパラドックス」と呼ばれることが多い。19世紀のオルバースが考えたものとされたためであるが、実は既に という。
 何故、「パラドックス」と呼ばれるのか?
 まず、太陽が地球を照らしている。太陽から地球までの距離は
  1AU(天文単位)≒150,000,000km≒500Ls(Light second;光秒)
そして地球が太陽から受ける放射のエネルギーは
  太陽定数≒1.4kW/m2
である。
 もし太陽からの距離が実際の2倍の距離だったら、受ける放射は1/4に減る。一方、太陽の見かけの大きさ(視直径;≒0.5度角)も半分になり、”視面積”は1/4になる。一般的に言えば、太陽からの距離がrなら
となる。視面積が1/r2になるなら、もとの太陽の視面積
  π×0.25度角2
の中には距離rの太陽がr2個入れる勘定になる。
 ところで、宇宙に無数にちりばめられている恒星というのは、その一つ一つが太陽と似たようなものである。ということは、宇宙空間に恒星が一様に分布しかつ宇宙が無限だったなら、地球からどの方向を見ても必ず恒星にぶち当たる。その恒星までの距離が遠ければ受ける放射は小さい(1/r2)が、同じ視面積中には多くの(r2個)恒星が入るので、それらがどれも太陽と同じくらいだとすれば、全放射は太陽からの放射と同じくらいになるはず、つまり全天が太陽と同じくらいに輝くはずである。しかるに実際には夜空はあんなに暗い。なんでやねん、というのが「パラドックス」なのである。
 これの正しい解答というのは存外難しい。実のところ、「宇宙は無限ではない」というのが正解らしい。現在では、宇宙は137億年ほど前のビッグバンで始まったとされる。それから宇宙はどんどん膨張したわけだが、その宇宙空間には、全天を埋め尽くせるほどの星はない、ということらしい。
 歴史的には他にも様々な「答え」が提出された。中で赤方変位を理由とするものもあった。つまり、宇宙は膨張しているが遠い天体ほどその遠ざかる速度は大きい(ハッブルの法則)。そういう速く遠ざかる星からの光はドップラー効果で赤いほうへシフトする。これが赤方変位であるが、その赤いほうへシフトした光はエネルギーが小さくなる。だから全天が輝くことはないのだ、というものである。これは1950年代に『定常宇宙モデル』を唱えていたケンブリッジ学派のハーマン・ボンディが提唱したものだそうだが、現在では赤方変位の影響は僅かとされているそうな。実は筆者は高校生の頃からこの説を信じていたので、今はちょっとびっくりしている。

宇宙背景放射
 筆者が高校生だった1960年代頃までは、そんな『定常宇宙モデル』もまだ残っていたが、その後事態は大きく変わった。その発端は1965年に発見された「宇宙背景放射」である。これは の黒体に相当する放射(電磁波)が宇宙のあらゆる方向からほぼ同じレベルで降り注いでいるという現象で、 の有力な証拠とされるようになった。すなわち、ビッグバンから38万年後の宇宙の「晴れ上がり」の時の光がドップラー効果で1000倍の波長に引き伸ばされたものという。
 さてそこで、「宇宙のあらゆる方向から同じように降り注ぐ」というのは、ちょっと『オルバース』に似ている。そこで、地球に降り注ぐ背景放射のエネルギーを見積もってみる。

3Kの「太陽」
 まず、太陽の温度が3Kの場合を考えてみる。その前に、実際の太陽は半径≒70000kmで表面温度≒6000Kの球面である。ここからの放射が地球までの距離
  1AU≒150,000,000km
を伝播する間に減衰し、
  太陽定数≒1.4kW/m2
になって到達するわけである。
。だから、
 これは実に微々たるものである。

 ところで、星の明るさは等級で表わされる。元々は肉眼で見える恒星を1等星から6等星までに分類したものだが、現在ではこれを精密化して、「5等級差ごとに明るさが100倍」としている。つまり1等星は6等星の100倍明るい。この尺度で測りなおすと、金星は−4等級となる。つまり通常の1等星(わし座のアルタイル(牽牛星)や白鳥座のデネブなど)に比べてなお100倍明るいのである。そして太陽は-27等級とされる。
 太陽の6.25×10-14倍ということは、太陽(-27等級)より33等級暗いことになる。これはちょうど6等級、肉眼で見える最も暗い星程度である。3Kの背景放射はその程度で「輝いて」いることになる。
 ここでは「3Kの太陽」で考えた。つまり本物の太陽と同じ位置に同じ大きさの星があって、その表面温度が3Kとしたのである。しかし、この結果は背景放射の位置(地球からの距離)とは無関係である。それは、「距離が遠くなると放射は弱くなるが、そのぶんだけ星(放射源)の数が増える」というオルバースのときの論法がそのまま適用できるからである。つまり、太陽と同じ視直径(0.5度角)からの背景放射は(放射源の位置にかかわらず)6等級ということになる。
 ところが、現在では望遠鏡で6等級よりはるかに暗い星が見つかっている。これは「パラドックス」ではないか?背景放射が6等級なら、それより暗い星は背景放射に隠れて見えないのではないか?

 これがパラドックスでない理由は既に述べている。背景放射は「1000倍の波長に引き伸ばされたもの」というのがそれである。
  。太陽は6000Kの黒体とみなせるが、エネルギーが最も高いのは波長0.5μm(5×10-7m)付近で、そこは可視光の波長帯である。一方、背景放射は温度が3Kだから太陽の1/2000。したがって波長帯は太陽の2000倍の1mm(10-3m)付近なのである。こちらは可視光部のエネルギーはほとんどない。だから背景放射は「輝かない」のである。




 それでも、1mmあたりを中心とする背景放射の(全波長帯の)エネルギーを合計すると6等級くらいになるというのが先ほどの結論である。これは太陽と同じ大きさ(視直径0.5度角)で6等級ということなので、全天はそれ10万個くらいで覆い尽くされる。つまり背景放射から降り注ぐエネルギーの総計は6等星10万個に相当する。
 ところで、肉眼で見える6等星以上の星は全天で1万個もないくらいである。無論、1等星は6等星の100倍明るいが、その数は20個ほどしかないから、総計は6等星2000個分程度である。2等星、3等星と数は増えるが、だんだん暗くなるから、全天の6等星以上の光をすべて合計しても6等星10万個には及ばないだろう。つまり、背景放射から降り注ぐ全エネルギーは肉眼で見えるすべての恒星(太陽を除く)のエネルギーより大きいことになる。もっともそれは微々たるもので、たとえばソーラーパネルで発電など到底できないのだが、それでも「漆黒の宇宙」というイメージからは相当遠いだろう。

Oct. 2013
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