与謝野公園と『塵劫記』


 東京・南荻窪に「与謝野公園」というのができている。平成24(2012)年に整備されたというから、かなり新しい。
 ここは歌人の与謝野寛(鉄幹)、晶子夫妻の晩年の住居跡だそうな。筆者のような文学オンチでもこの夫妻の歌はいくつか知っているから、かなりのビッグネームだろう。



 ところで、与謝野夫妻には『塵劫記』の復刊という業績もある。
 すっかり忘れ去られた昭和時代になって、古代数学として登場する。『塵劫記』の復刻出版は昭和二年に与謝野寛、正宗敦夫、与謝野晶子によって刊行された。これが『古代数学集』である。
佐藤健一・著『江戸のミリオンセラー『塵劫記』の魅力――吉田光由の発想』pp3

 『塵劫記』とは、江戸時代初期に書かれた数学書である。著者の吉田光由は京の豪商角倉の一族。その書名は嵐山天竜寺の僧侶による命名で、「塵」すなわち無限小から「劫」すなわち無限大に至る数理の書といったほどの意味合いであろうか。そろばんが普及しはじめていた時代にあって数学知識への欲求は高まっており、江戸時代を通じて、『塵劫記』を騙る類書も含めて売れ続けた、まさに「江戸のミリオンセラー」だったのである。
 その書を昭和になって復刊したのが与謝野夫妻および正宗敦夫ということである。歌人がこんなものまで復刊しているということに懐の深さを感じる。昭和2年といえば夫妻がこの南荻窪(当時は井荻村)に居を構えたまさにその頃である。ここが「復刊の地」なのだろうか?公園内の説明板には「この家で『日本古典全集』の編纂」をしたとの記述がある。その中に塵劫記などの『古代数学集』も含まれていたのだろうか?
 ちなみに、 。新幹線もなかったこの時代、岡山から東京は現在ならちょっとした海外旅行にも匹敵しようか。正宗敦夫はこの書の編纂などのため足繁く与謝野家を訪ねたのだろうか、これも気になる。

 「江戸のミリオンセラー」であったこの書によって江戸時代には多くの人が数学を学んだのである。その中には和算の完成者・関孝和や初の国産暦『貞享暦』の渋川春海なども含まれよう。とりわけ後者に関しては、 。また光由自身にも古暦に関する著書がある。
 そんなわけで、ここが塵劫記復刊の地であるとしたら、文学のみならず、日本の数学、暦学、天文学にとっても記憶されるべき地であろう。

Sep. 2017
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